* 伯爵令嬢の憂鬱 2


 何か落ち着かないまま、涼風宴りょうふうえんの日を迎えた。

 国王陛下主催の大きな舞踏会は、魔素大暴風前に行われた萌花宴ほうかえんから二年半ぶりになる。


 妹たちと侍女と馬車に乗れば、四人乗りの車内はぎゅうぎゅうだ。この後に伯爵夫妻と弟夫妻もこの馬車を使うため、詰め込まれているのだ。


 例の侯爵令息争いも決着は着いていないらしく、この狭い空間で舌戦ぜっせんが繰り広げられている。

 ヴィオレッタの気分はだだ下がりだ。


 王城へ着き、せいせいしたとばかりに一人でさっさと入口へ向かう。

 案内状を見せクロークへ入り、はっと足を止めた。

 この国では珍しい漆黒の髪の女性衛士がいた。

 警備隊の男性衛士と揃いの白いフレアスカートの制服を着ている。近衛団にふさわしく凛々しくもあり、女性らしい優雅さもあった。


「失礼します」


 嫌味のない笑顔で声をかけられて、身体検査を受ける。

 これ幸いとばかりにじろじろと見てやった。


 この人が噂の女性衛士だろう。

 口元に軽く笑みを浮かべながらきびきびと動いている。

 小柄で黒髪、しかも黒目で本当に珍しい色合いだ。

 どのような家柄なのだろうか。

 そういえば、他国から来たゴディアーニ家の遠縁らしいと友人が言っていた。今の辺境伯の叔母もノスドラディアへ輿入れしているし、その筋かもしれない。


 彼女は手際よく終わらせると「ご協力ありがとうございました」とまた笑顔を向けた。

 そんなに軽々しく笑いかけるなんてはしたない。と言いたいところだったが、軽々しく笑みを振りまいていた友人たちから結婚していったことを、ふと思い出した。


 ようするに、女は愛想が大事なのかとヴィレッタは苦々しく思う。が、よく思い返してみれば男も愛想がいい人ほどモテていたではないか。

 レオナルドとロックデールがいい例だ。


 笑顔はここぞという時に使う社交の道具と思っていたが、違うのかもしれない。安売りした方が、実は上手いやり方だったのでは――――?


 そこまで行きつき、家に来ていたマナー講師に文句を言ってやりたかった。

 なにが高位貴族の令嬢たる者、軽々しく笑みを見せてはなりません。よ! 嘘つき! 見せた方が良かったのではなくて?!


 ウェイティングルームで発泡酒のグラスを受けを取り、一気に飲み干す。

 わたくしだって、くだらないことで笑ってみたかったわよ! あの方素敵ですわと、はしゃいでみたかった!

 今さらだ。今さらもう若かったころは取り戻せない。学生時代は戻ってこないのだ。

 もう一杯、さらにもう一杯と、グラスを傾ける手が止まらない。

 大変気分が悪くむしゃくしゃしていたところで、見てしまった。


 それはそれはもう愛しげに黒髪の衛士に語りかけている、レオナルドを。




 むしゃくしゃしてやった。後悔はして――――いる。

 意地悪く二人を引き離してから、ヴィオレッタはこんなことがしたかったわけじゃなかったと、肩を落とした。


「……メルリアードきょう……申しわけございません。わたくし、具合が悪くて踊れそうもありませんわ。他の方を誘っていただけます?」


 その「申し訳ございません」は、もちろん踊れないことに対してではなかった。が、ヴィオレッタは今さらそんな言い方しかできなかった。

 顔を上げると、思いのほか優しい視線が向けられた。


「――大丈夫か? 治癒室まで送ろう」


「いえ、結構です」


 エスコートされていた手を放し、ヴィオレッタは「ごきげんよう」とかかとを返した。


 北方の獅子は変わった。

 あんな親しげに優しい言葉をかけられたことなどない。もしかしたら本当は元々優しい人だったのかもしれない。けれども、それをたやすく見せることはなかったのに。


 その後、偶然つかまえた黒髪の衛士と話をした。

 レオナルドとどういう関係か問い詰めたところ部下だと言い張り、挙句に、


「――――そ、それでは、国王陛下の獅子と城内で手をつないでいた黒髪の部下ということで」


 などとおかしなことを答えるものだから、ヴィオレッタの調子も狂った。

 レオナルドのことを素敵だという相手のペースにすっかりと巻き込まれ、


「レオナルド様、素敵ですわよね?! 恐ろしいけど素敵なんですわ!!」


 と普段は口にしないようなことまで話していた。

 まるで学生のころに戻ったようだった。

 いや、過ごしてみたかった学生時代をやり直すかのようだった。


「――――ヴィオレッタ様は気になりますか? 例えばレオナルド団長が、執務室で書類を前にむずかしい顔をしているところですとか、近衛団の青薔薇ことキール護衛隊長と並び立って指導しているところですとか」


「――――ふぁっ?!」


 間の抜けた声が漏れる。

 ――――気にならないわけないわ?! キール・ミルガイア様と言ったら青の貴公子! 決して本音を見せない優美な笑顔で男女ともに魅了してらしたわ。

レオナルド様とお二人で並び立って指導されるというのですの? 柔と剛の出会い? 飴と鞭が一皿に? なんということでしょう――――!


 膝の上に乗せた白狐の毛並みはふわふわだし、近衛団の話は聞けば聞くほど興味を引かれる。

 なんだかんだと言いながらもどこか楽しそうにしている女性衛士に、ヴィオレッタはすっかり翻弄ほんろうされてしまった。


 跡取りをどうするか父親ははっきりと言わないが、どうせ弟が継ぐことになるのだろう。

 結婚もいつかどこかから何かが転がり込んでくるのではと思っていたけど、そんなこともなかった。


 ――――この先このまま家にいても、何も変わらないのでは? それならもう新しい世界へ飛び出してもいいのでは――――?


 気付いてしまい、扇子を握りしめる。


「…………待っていればいつかチャンスがと思っていたけど……そうよ、このまま行き遅れと言われて家にいるよりは…………」


 突然示された未来の選択肢は、不透明だけれども明るくて。

 帰りの馬車では妙にすっきりとしていて、往き以上に険悪な妹たちのようすも気にならなかった。

 その夜、ヴィオレッタは久しぶりに気持ちよく眠ったのだった。




 そして次の日。

 遅い朝食を食べた後にくつろいでいると、またティータイムを邪魔する者たちがやってきた。


「伯爵夫人には、わたくしの方が合いますわ!」


「わたくしが先に目を付けたのですわよ、お姉さま! わたくしがお手紙を出しますわ!」


「何言ってるんですの?! あんな汚い字でお手紙なんて恥ずかしくないんですの?!」


 今度はどこぞの伯爵家の跡取りらしい。

 また巻き込まれても嫌だからと、ヴィオレッタは椅子からそっと立ち上がった。

 だが、妹たちは見逃さなかった。


「だいたいヴィオレッタお姉さまがいつまでも結婚されないからこんなことになるんですわ!!」


「そうですわよ! あんな美人が行き遅れるなど、あの家には何か欠点があるに違いないって言われるんですからね?!」


 なんと――――!

 どう考えても結婚できないのは自分たちのせいなのに、わたくしのせいにしていると?!

 ヴィオレッタはまた白目で固まった。


「わたくしたち、恥ずかしい思いをしているんですのよ!」


「「お姉さまのせいですわぁーーーー!!!!」」


 魔素大暴風のせいで大事な社交の機会を二年も潰されたのだ。焦っているのはわかるしかわいそうだとも思う。だから二人の八つ当たりも大目に見てきた。

 ――――もう我慢などしない。

 ヴィオレッタは音も立てずに扇子を広げて顔を覆った。


「――――――――そのように大騒ぎしている者を妻に迎えたい方などいなくてよ? 見苦しい」


 凛と響く声が二人を打つ。

 突然の姉の言葉に呆然としている妹たちを、ヴィオレッタは横目で見た。


「わたくしは家を出て行くわ。わたくしがいなくなったら、あなたたちが結婚できないことをどなたのせいにするのかしら。見ものね?」


 にっこりと盛大に笑う。もうマナーなんか知ったことではない。

 ではごきげんようと言い捨て、控えていた執事に申し付けた。


「馬車を」


 新しい選択肢はこの手にある。

 これからは自分がしたいように生きるのだ。

 ヴィオレッタは軽やかな足取りで、バスクード伯爵家から出て行くのだった。





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