* 宵闇の昔話


 * * *



 その裏路地には、食事ができる店や酒を飲める店が軒を連ねている。『宵闇よいやみの調べ』と看板がかかった店からは、暖かな明かりがこぼれていた。

 少しためらったものの扉を開けると、漏れ出た音楽と声に包まれる。

 カウンター越しに、女主人がこちらを見て目を見開いた。


(デール……)


 口の形がそう伝える。

 国王近衛団ロイヤルガードの副団長であるロックデールは片手を上げた。

 最後にここを訪れてからは二年以上経っている。だが、『宵闇の調べ』の女主人ミューゼリアは全く変わってないような気がした。


「――久しぶりだな。ミュゼ」


 カウンターの前で声をかける。


「本当に久しぶりね」


 彼女は苦笑混じりでカウンターに席を用意してくれた。

 ホールの中央では黒髪の若い男がリュートに似た楽器をかき鳴らしながら、歌っている。客はいっしょに歌ったり手を打ったりと楽しそうだ。


「あの男がユウリと同郷のヤツか」


「そうらしいわね」


 ロックデールがちらりと見ると、向こうも横目で見てきて目が合った。

 ――――ほう。

 線が細い兄ちゃんだと思ったが、肝は据わってるようだ。

 視線に背を向けてミューゼリアの前の席へ座った。


「――赤でいいのかしら?」


「ああ」


 目の前でボトルの封が切られる。グラスへと注がれたワインを一口飲んで、笑みが浮かんだ。パリーニャ産のカリコリン種は重く酒が濃い。ロックデールが好んでいるものだった。


「今、副団長ですって? おめでとう」


「あー……近々もう一つ上がるようだなぁ」


「あら……ますますおめでたいわね。ではこのお酒は私からのお祝い。レオは領主業に専念するのかしら?」


「ああ。前々から陛下に打診されてた件を引き受けるみたいだぞ」


「さらに出世するのね」


「……かなり張り切ってるみたいでな、忙しくしてるわ。新しく城を建てるだのなんだの」


 クスリとミューゼリアが笑った。


「かわいい奥様を迎えるからがんばってるのね。――――でも、おとぎ話のようよね。焦がれていた存在といっしょにいられるなんて」


 夢見るような視線を遠くへ向ける。

 浮世離れした少女のような雰囲気は昔と変わらない。こんな酒場の女主人をしていても、『天上姫』の二つ名を持っていた学生のころのままだった。

 天上の調べを奏でる指先と言われていただけではなく、本人の姿や様子も相まっての二つ名だったと思う。


『北方の若獅子』と『天上姫』に挟まれた学生生活。いろいろあったなとロックデールも昔に思いをはせ、グラスを揺らした。






 王立オレオール学院。

 王家が運営する国で一番高度な教育が受けられる学校だ。領立学園にはない芸術科が国で唯一あるのも特徴。学生は主に貴族の子たちだが、才能ある平民に対しても門戸は開いており奨学金制度も整っていた。


 その学院ではもうすぐ卒業試験の時期だった。

 一定以上の成績をとらないと研究院への進学はおろか、卒業もできない。

 最上級生である五年生はみな必死で勉強する。


「……国史がまずい……」


 ロックデール少年が頭を抱えると、いっしょにいた銀色の髪の少女も青い顔をした。


「私も国史が……あとダンスも……」


 ミューゼリアは決してダンスが下手なわけではない。リズム感はいいし体も動かせる。が、音楽が始まるとそちらに気がいってしまうのだ。

 特待生試験を、ずば抜けた音楽の成績一点突破で抜けてきた少女にダンスなんて踊らせるな。音楽を聞かせてやれ。なんなら演奏させてやれよ。ロックデールは内心で卒業試験にかみついた。


「――――ダンスは、考えなくても体が勝手に動くくらいになればいいんじゃないか」


 レオナルドが真っ当なことを言っているが、今さらだ。五年かかってコレなのに、今から何ができるというのか。


「レオ、それ卒業試験までにはムリじゃね?」


「あー……」


「…………」


「いや、ミュゼ違うからな?! 諦めろって言ってるわけじゃないからな!」


「デールが責任持ってダンスの練習に付き合うってことだよな」


「……そうだな……」


 絶望の眼差しから期待するような上目遣いに変わる。

 そんな顔で見てもダンスはできるようにならないからな。

 ロックデールがため息をつくと、レオナルドもため息をついた。


「――――国史は二人とも俺が手伝おう」


 救世主現る!

 レオナルドに苦手なものはあまりない。しいて言うなら『女性』と『片付け』が苦手だったが、それは教科も試験もない。

 得意なものは体術からノスドラディア語までいくつもあったが、このガタイのよさからは意外な国史の特に近代史が一番得意だ。光の申し子が出てくるあたりからは、それはもう前のめりで教師の話に食らいついていた。

 さすがは意識の高い高位貴族令息というべきか。熱狂的な光の申し子好きというべきか。


 つい先日婚約破棄の騒ぎがあってからは、さらに申し子研究に没頭している。好きだという感情が特になかった相手でも、傷つかなかったわけがない。それを忘れるような熱中して打ち込めるものがあってよかったと、ロックデールとミューゼリアはレオナルドを見守っていた。

 ――光の申し子様ありがとう! レオだけでなく俺たちも救ってくれるんですね!

 期待に満ちた目を二人から向けられ、北方の若獅子は苦笑を返したのだった。




 課外時間の小ダンスホールは、ダンス練習する学生が集まる。音楽科の研究生たちが練習を兼ねてダンス曲を演奏してくれるので、試験や夜会本番のように練習ができるのだ。

 ホールを覗いて銀色の髪がいないことを確認すると、ロックデールは音楽科の棟へ向かった。

 ピアノの調べが聞こえている。ミューゼリアの音だ。音楽のことなんて全くわからないが、ミューゼリアが弾くピアノの音だけはわかった。

 もう少しでグランドピアノホールに着くという時。唐突に曲が止まった。何かあったのではと急いで行くと、廊下へ話し声が漏れていた。


「――――僕の家に招待させていただけませんか」


「ごめんなさい。用事がありますので」


「ミューゼリア様! 僕は本気であなたのことが……」


 ――――ああ、南方の子爵家のあいつか。

 知った声だった。時々、ミューゼリアの周りをうろちょろしていた男だ。

 だが、そういう者は何人もいたからあまり気にも留めていなかったが。卒業近いとみんな動きだすんだな。

 何かあったら止めに入ろうと、ロックデールは入口の横で待機する。


「――――身分が違いますから」


「そんなこと僕は気にしません。家の者も誰も気にしません。うちはそういう家系ですから気にしないで――――……」


気にするのですよ?」


 無邪気な美しい声が放たれた。天上姫は声までもが透き通っている。

 地上の者ごときが何を言っているのかというような残酷な響きに、心臓を突かれた。

 ミューゼリア本人にそんなつもりはなくても、相手はきっとそう感じただろう。こうして隠れて聞いてしまったロックデールですらそう感じたのだから。

 いたたまれなくなったのか、子爵家の少年は走り出て来た。そしてロックデールの方を見ることもなく駆けて行った。

 ホールからは、またピアノの音色が流れてくる。

 何もなかったかのように。






 あの時の胸の痛みがなんだったのか。

 今ならわかるが、それはもう昔の話だ。




「ミューゼリアさんー! ピアノ使っていい?」


「いいわよ」


 光の申し子の青年はピアノも弾くらしい。ピアノに向かってから冗談のように言った。


「美しき店主に捧げます」


 店内は口笛と拍手で盛り上がる。

 その美しき店主は「もう……」とか言いながらも嬉しそうに恥ずかしそうにうつむいた。

 この国の曲とはまるで違う旋律が甘く切なく心に迫る。

 ――――悪くない、な……。

 ロックデールは安心したようなさみしいような気持ちで、辛い酒を飲み干した。





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