閑話
* 馬丁の未来
メインストーリーに入れそびれた馬丁ルディルのお話です。
* * *
これは少しさかのぼった、近衛団団長と警備隊の女性衛士が退団する前の話になる。
「無理……」
顔をひきつらせて後ずさるのは、真白な近衛団の制服を着た女性。警備隊の制帽から、この国には珍しい黒髪が流れ落ちており、胸には白い狐がぎゅっと抱きしめられている。
少し離れた所に立つ大きな体を前に、完全に腰が引けていた。
「無理しなくていいんじゃねぇの? ユウリ」
少年とその手に手綱を握られている馬が、心配げにその姿を見ていた。
「うっ……でも……衛士が馬に乗れないなんて……」
「団長がいいって言ってるんだろ?」
「そうだけど……」
根がまじめらしい女性衛士のユウリは、巡回時間や仕事が終わった後に、厩舎へ立ち寄ることがあった。
馬が怖いらしいのによくやるよなと、
たしかに乗馬ができない衛士を今まで見たことがない。だが、少し前に男性衛士が騎馬巡回に出たばかりだ。
女性は乗馬しない人も多く、乗れる人は必要に迫られてか、余裕があり趣味でのどちらかだ。だから、そこは求められていないはずなのだが。
「――――ありがとう、ルディル。また来るわ……」
がくりと肩を落としながら城内へ戻っていく後ろ姿を、少年は見送った。
ルディルは領立学園を今年卒業し、仕事に就いたばかりの新人馬丁だ。
こう見えて馬産地で有名な子爵の次男で、叔父がこのレイザンブール城厩舎の責任者をやっている。ゆくゆくはその後継ぎにと望まれているが、馬好きな妹も弟もいるので誰かがなればいいだろとのんきに構えていた。
自領でも馬に携わる仕事はたくさんあるわけだし、まぁぶっちゃけ馬に触れられる仕事ならなんでもよかった。ただ馬が好きなだけの、将来がまだはっきりと見えていない十四歳だ。
ユウリと出会ったのは一か月ほど前のこと。
彼女は、突然庭へと落ちてきたのだ。転移魔法が使えないはずの王城の敷地内へ転移してきた。ありえないことだが、目の前で起こったことだったので、疑いようがなかった。
後から聞けば、他国から事故で転移してきてしまったという。なので本当は違うのだが、公には近衛団団長の遠縁だという話になっていた。
他国から来てしまった令嬢を自分の身内にしてしまうとは、さすが国王陛下の獅子はやることが格好いいと、ルディルは憧れの人に対しての評価を上げた。
――――が、その令嬢にメロメロの姿を見て、すぐに評価を下げることになる。
馬丁の仕事は馬の世話をすることだ。厩舎での世話の他、馬車道の点検(時々馬蹄が落ちていることもある)、
ここレイザンブール城は、大きな正門が南側にある。
そこを入ってすぐが前庭で、正面玄関前を通り東門へ向かう途中に、馬車を停めておく繋ぎ場があった。
ほとんどの馬車は、主人を乗せたり降ろしたりするとそのまま正門へ戻り帰っていく。
だが少数の馬車、例えば少し距離がある家で馬に水を飲ませたいとか、主人が短時間の用事ですぐ帰る場合は、しばらく駐車することになる。
馬は財産なので、よその馬に手を出してはいけないことになっている。そのため、自分のとこの馬の世話はそれぞれの御者や馬丁の仕事だ。
馬に使う水桶と水場の管理だけが、王城の馬丁の仕事だった。
昼過ぎの時間は、行き来する馬車も少ない。
ルディルは繋ぎ場近くの東屋の横で、水桶を綺麗にしていた。[洗浄]の魔法をかけ、そして[乾燥]。綺麗になったら、桶の山へ戻す。その繰り返し。
ちょうど最後の一個が終わるころ、一台の馬車が繋ぎ場へ向かって来た。
この時間に来る人は短時間の用事で来る人がほとんどだ。なので駐車して桶を使うかもしれないなと様子をうかがう。
ルディルの予想通り、馬車は繋ぎ場に停まり御者が歩いてきた。
「おい! そこの馬丁! うちの馬に水を持ってこい!」
見たことがない御者だ。
もしかしたら王城のルールを知らないのかもしれない。
「桶これ使っていいから、自分で持っていけよ。そういう決まりだから」
毒など入れられないように、自分のところの馬の水や餌は自分で用意するなんて当たり前のことだ。
「その口の利き方はなんだ! 男爵様の馬車だぞ! さっさと用意しろ!」
うちの親父は子爵だぞと言うのは格好悪くてイヤだな。ルディルは顔をしかめた。
だが御者は格好悪いとは思わないらしい。男爵様が男爵様がとぺらぺらとしゃべっている。獅子の威を借る猫ということわざが思い浮かんだ。
子爵家の子息だけれども、自分の力でなんとかしようという男気にあふれるルディル。ただ、言葉遣いと言葉えらびは最悪だった。
「――――なぁ、おっさん。よく聞けよ。馬はその家の財産だ。その大事な財産をよその者に世話させるなんて、御者失格だぞ」
人は本当のことを言われると逆上する。なので、御者も逆上した。
「なんてなまいきなんだ!! 男爵様に言って、お前をクビにしてやるぞ!!」
おう、やれるもんならやってみろ――――そう言おうとした時。
「――――どうかされましたか?」
涼やかな声が、割って入った。
いつの間に近づいていたのか、ユウリが二人に微笑を向けた。
「……近衛か。いいところに来た。この小僧がなまいきな口を利くのだ!」
「なまいきな口ですか」
「なんだよ! おまえが悪いんだろ!!」
「そら! こんな口を利きやがるんだ! まったく口の利き方もなってない、うちの馬に水を用意しない、どうなってるんだ!」
「お客様、水の準備はそれぞれの家の方がすると決められておりますが、もしや何かできない事情でもございましたか?」
「え――――あ、ああ。ケ、ケガをしている。だからできないと言っているんだがな」
「王都内でケガをしている者に御者をさせた場合は罰則がありますが……今、ケガとおっしゃいましたか? わたくしの聞き間違えですよね?」
「あ……も、もちろん、聞き間違いだ。け、け……毛がじゃまでできないと言ったんだ!」
ぷっ! ルディルは思わずふきだした。毛がじゃまってなんだよ?!
だが御者の男は言い訳に必死で気付かなかった。
「そうですか。よくわかりませんが、王城内の決まりは陛下がお決めになられたことです。それに対しての異議でしたら、陛下にお伝えしてご許可をいただくことになりますが、お名前を伺ってもよろしいですか? お急ぎでなければ今すぐ手続きいたしますので、受付の方へどうぞ」
ユウリがにっこりと正面玄関口へと誘った。
御者はさすがに顔色を変えた。
「や、いや、お急ぎだ! 俺は忙しいんだった! け、毛もだいじょうぶだぞ! さっきまではちょっと邪魔でできなかっただけでな。もうだいじょうぶだぞ!」
「そうですか、それならよかったです。他にも何かございましたら、警備隊にご相談くださいませ」
「あ、ああ。わかった。では…………あー忙しい、忙しいぞ!」
そそくさと去って行くうしろ姿を二人は見送った。
ルディルは信じられないという気持ちだった。なんだこれユウリの国の魔法か?
こういうトラブルは時々あった。だがいつも騒ぎ立てる御者にうんざりして、最終的にやってあげていた。
「――――すげぇな、ユウリ!」
「あれくらいは普通だけど……ルディルは言葉遣いをもうちょっとだけがんばった方がいいかな」
「ええー?! 俺、勉強きらいなんだよー! ニーニャだってこんなだぞ!」
「……たしかに。でも、ほんのちょっとがんばるだけで余計な揉めごとが減るなら、安いものじゃない?」
「…………うん…………」
じゃ、あたしは巡回に戻るわね。とユウリは立ち去った。
――――ちょっとがんばれば、いやな思いすることは減るのか――――。
ルディルは、父や叔父の「ちゃんと勉強しろ貴族の言葉覚えろ」と言っていた意味を、初めて考えた。
さっきのユウリのように華麗に追い返せるのはすごい。できるならとてもいい。
というか、近衛団の衛士っていいな。大好きな馬に仕事中に乗れる仕事でもある。それに、困っている人を颯爽と助けるのはすげぇ格好いいぞ――――――?!
遠ざかるユウリのうしろ姿を見ながら、ルディルは就きたい職というものをこの時初めて見出したのだった。
そして言葉遣いやマナーの勉強をがんばった馬丁が衛士へ転身を遂げるのは、またもう少し先の話。
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