獅子団長、休日の仕事
俺が光の申し子という存在に初めて興味を持ったのは、子どものころだった。
何度も読んだ絵本「光の賢者様」。よくあるおとぎ話ではなく、石鹸の誕生が描かれていたのが、子ども心におもしろかった。
この話に登場する光の賢者様が光の申し子だということを知ったのは、学生の時だ。
レイザンブール史の教科書には、石鹸とそれを作りだした光の申し子カエモン様の名前が載っている。
昔の人たちは[清浄]の魔法で体を清めており、体に必要な菌までも除いてしまっていて、病気などに抵抗する力が弱くなっていた。
菌を取り除き過ぎず、適度に清潔を保つことで病気での死亡率を下げたのが石鹸だった。
俺がそんなことを知り再び興味を持った頃、ちょうど前回の魔素大暴風から百年が経過しようとしていた。
大災害は起こらないんじゃないかという楽観的な意見もあったが、いつ来てもおかしくないそろそろ来ると、恐れつつも対策を講じている人たちが大半だった。
それと同時に、魔素大暴風後に現れたと言われる光の申し子の存在も、脚光を浴びていた。
学院内でも光の申し子について調べる同好の会があり、俺も参加して古い文献を漁っては意見を交わし合っていた。
石鹸は今も使われているのに、それを作り出した違う世界から来た人という不思議な光の申し子を、俺はどこか現実離れした神のように感じていた。
神話と現実の境目にいる存在。
その曖昧さが、知りたいという思いに拍車をかけていたのだと思う。
それが今、まさかの本物の光の申し子と出会ってしまうとは。
しかもデートのように二人並んで街を歩くことになるとは――――。
街を歩く光の申し子は凛としていたり、驚いていたり、のんきに見回していたり、いろんな表情を見せている。楽しそうなのは間違いないようだった。
髪も目も肌もあまり見ない異国情緒のある色合いで、この国の一般的な女性より少し小さく見える。
しかし、他国にはいろいろな人たちがいる。そういった他国のご令嬢となんの変わりもないように見えた。
光の申し子。なにが俺たちと違うのだろう。大きな魔力だの特殊スキルだのと聞いているが、本当にそれがこの
もっと知りたいと思ってしまう。
学生の時の知りたいと思った熱と似ているような気もするし、違うような気もする。
不思議で気になってとても目が離せそうもなかった。
◇
「レオ!」
ユウリを部屋まで送り届けた後、金竜宮の廊下で声をかけられた。
よく知った声色に振り向くと、頭に浮かんだ通りの
「……第二王子殿下。こんなところで何をなさってますか」
その後ろで護衛の者が、困っている風な顔で目礼をした。
ニコニコと立っているのはセイラーム殿下。
昔から割と自由気ままなところがある三歳年下の彼は、王立オレオール学院時代からの付き合いだ。ふらりとしたところは全く変わってない。
護衛が振り回されているのは手に取るようだった。
「レオ、立ち話もなんだからちょっとお茶していってよ。――話、聞きたいし」
伏せた言葉は多分、『光の申し子』。
そんな伝説のような存在が王城の庭に現れ、客間で暮らしているとなればそれは気になって仕方がないだろう。
後は部屋へ帰るだけだし、少しお付き合いするとしようか。
俺はセイラーム殿下と並び立ち、金竜宮二階の王族居住区へ足を踏み入れた。
ティールームの丸テーブルを挟んで座り、お茶と軽食を用意した
「で、光の申し子はどんな方? 女性だったよね。何歳くらいの人? 美人?」
「二十歳くらいに見えますが、正確にはわかりません。お姿は……凛とした方、でしょうか。姿勢がよく貴人のように見えて、時々可愛らしくもあり、不思議な方です」
座っている時も立ち姿も凛として――そうだ、あの答礼も指先まで綺麗に揃っていた。
普通に考えてご令嬢は警備の仕事などはせず、敬礼もしない。勤務している者や来城する者たちとの摩擦も大きい警備という仕事は、基本的には今も昔も男の職場だ。
凛とした空気を
ワインを飲んで幸せそうに笑った顔を思い出す。きっとあれが彼女の素なのだろう。柔らかくなった雰囲気にこちらまで幸せになるようだった。
あの時、一瞬、泣きそうな顔で笑った。
故郷を思い出したのだろうか。この世界にはない故郷を。
ワイナリーごと買うと言ったのは冗談ではなかったのだが、笑ってくれたのならそれでもいいかと思う。
レオさんと呼ぶ声が、見上げる目が、手が触れると赤くなる反応が、そのたびに胸をくすぐった。
あの[転移]の時に、置き去りにしてしまわないようにと抱きしめてしまったのは、本当に心配なだけだっただろうか――――?
「…………何? 光の申し子にかかっては、さすがの孤高の獅子も陥落されてしまうってこと?」
半目の殿下に問われ、俺は慌てて言葉を続けようとしたが上手くいかなかった。
「なっ……いや、それは……」
「ああぁ、いいなぁ。私もお会いしたいな。第二王子では側室は持てないし、
首を傾げ無邪気そうな顔を見せるが、そろそろ三十路の男がそれをするのはどうだろうかと思う。
「――陛下と王太子殿下にご相談ください」
国王陛下は、自由にさせることで新しいことが生まれるのだからと、光の申し子に対して王家の不干渉を決めた。
それを知っている目の前のセイラーム殿下は、美しい顔を歪めて眉間にしわを寄せた。
王太子殿下ですら妃様お一人しか
恋した方を妃様に得、お子様が二人もいらっしゃって、本当は愛妾など求めてもいないくせにそんなことを口にするのは、ただ退屈なだけなのだ。
俺は仕事用の笑みを浮かべたまま、頭の中の要注意人物リストに、セイラーム殿下の名前を連ねた。
殿下の
「遅くなってすまない、アルバート。第二王子殿下に捕まってしまってな」
「馬鹿正直にお付き合いすることないんですよ。まったく、レオナルド様はお優しい」
嫌味ったらしくそう言って、ダイニングテーブルで書類のチェックをしているのは、メルリアード男爵領のアルバート領主補佐。非常に有能だが歯に
「……そうは言うが、仮にも王族からの誘いを無下にはできないだろう」
「『大変申し訳ございませんがこの後の予定がありますので、また後日お誘いいただけますでしょうか』の言葉で片が付くんですよ。そのお茶の時間があれば何枚の決裁書が片付いたと思うんですか」
「……」
「そのせいで削られるのは、あなたの睡眠時間なんですからね」
今日の余韻に浸るのは後回しのようだ。
返す言葉もなく、俺は執務用の机へ向かった。
机の上には至急の決裁書と不備のあった書類の戻しが載っている。
「その急ぎと直しが終わったら、私は戻ります。新たに見ていただきたい分はこちらに置いておきますよ。こちらは次の休日までで結構です」
「わかった。これはすぐに終わらせる。待っている間に何か食べていてもいいぞ」
「いいえ。妻と子どもが食事をいっしょにしようと待ってますから」
「……そうか」
奥方とその幼子に申し訳ないし、言外に「あなたも早く結婚なさってください」という言葉を感じとって、さらにいたたまれない気持ちだった。
「……すまない。――――あと少しの間だけだ。よろしく頼む」
「仕方ないですね。そうそう、今日の煮込みは、領の港で揚がったスノイカとボゴラガイですからね。早く仕事を終わらせて、うちの妻の自慢料理を美味しいうちに召し上がってくださいよ」
返された言葉に、拝領して間もない自領を思い浮かべた。
冷ややかな北海の青に
美味しそうに食べる彼女を招待したら、喜んでくれるだろうか。そんな甘い想像をして、俺は少しだけ笑ったのだった。
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