海の記憶

 恋い焦がれてさざ波で、潮風浴びては思い耽る。

 地平線の向こうでは、今日も僕らと似つかわしい人類が何かをしていると思うと、僕の心は何ともいえない感傷に包まれた。

 晴れ、くもり、雨、雷。当たり前の景色たち。テレビで見慣れた殺人報道。泣き叫ぶ母親も、この世界では等しく存在していて、その一人でない優しさが僕を凡庸な存在だと裏付けていたのだ。

 僕は素足を押し返しにきたさざ波を、舌打ちしながら持ち上げる。海水は手のひらでくるくると回ると、やがて指の隙間から落ちていった。

 広さは僕を置き去りにしたが、代わりに僕は理解した。

 多かれ少なかれ、僕らの心は地平線なのだ。同じ色のようで少し違う。空と海の境目で、ふわふわと浮かぶ概念でしかなくて、その何にもなりきれない曖昧さが、僕ら人間にとってもっとも適した言葉だった。

 僕は涙を流して踵を返した。不安、嘲笑、暴力の渦。僕はそうした場所から来て、そうした場所に帰る。しかしそれでも、僕には変われる可能性があった。曖昧さとは、どちらにもいける可能性なのだ。

 恋い焦がれてさざ波で、潮風浴びたら帰宅する。たったそれだけの刹那、確かに僕は、この地球でもっとも自由な存在だったのだ。

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