車窓のおとも

@aguchi_lion

第1話



米粒ほどのクモが四畳の床の隅にいるのを発見したので、なるべく潰さないように下敷きですくい上げ西日の差す窓から放る。明日雨らしいけど、ほんとかな。僕の部屋に白い毛玉が飛び込んできたのはその時だった。ぼそんとフローリングに着地する。不良がなにかゴミを投げ込んだのか、大きな鳥でも入ってきたのかと、動悸が爆上がりした胸を右手で抑えながらそれを凝視した。僕は鳥が苦手なのだ。鳥にしてはやけにでかい、大型犬よりは小さいけど、人の手で投げられたとしてもこの大きさを二階まで投げれそうな奴なんていなかった、そもそも人がいなかった。白い毛むくじゃらの楕円形がもぞもぞしたかと思うと、びよんと横に伸び4本足で起き上がった。


「いそやま たいき君ですか。」


アリクイと犬の中間地点が話しかけてきた。青年の声にしては高いけど、子供の声ほど幼くはない。僕を見つめる目はピカピカの黒飴だ。怖いのかただ興奮しているのかわからないまま首を縦にふる。一番古く覚えているのは幼稚園生のとき、高校生になった今でもこいつを見ている。


「登下校いつも一緒だよね。ご存知、“車窓のおとも”です。」


ご存知じゃない。ご存知だけど、ほぼ毎日見てはいるけどご存知じゃないだろう。何者かわかってくると、夢を見ているか頭がおかしくなったか超常現象を見ているかの三択だった。今は迷いなく怖いという気持ちだ。ちょっと涙目で黙ったままの僕を慮ったのか、そいつはまた喋り出した。


「突然入ってしまってすみません。明日からしばらく走れそうにないことをお伝えするためなのと、休ませてもらおうと思って。」


コリー犬っぽい笑顔を作ったのがわかった。


  僕の部屋なのに、そいつに勧められてベッドに腰掛ける。“車窓のおとも”とは車や電車に乗っている間、その窓から見える景色の中を併走してくれるあれだ。人によってはそれが忍者だったりアニメのキャラクターだったり様々である。こいつは夏に田舎へ行く時の新幹線には追いつけないらしい。


「私の知り合いなんかは飛行機までおともしたことあるって言ってましたよ。」


ホッホと笑う。息が多く混じっている。


「そうそう、今日帰りのバスでたいき君が一瞬前向いたでしょ、その時に整骨院入ってるアパートから隣の美容院降りるのに失敗しましてね恥ずかしい話。右足を変にひねったみたいで翌日回復!ってわけにいかなくなりまして。」


だから治るまで居させて欲しいんですと僕の顔を覗く。まだ開いた口は塞がってないんだぞ。


「いつまでいるつもりですか、僕が外にいる間家族に見つかったらどうするんですか」


そいつの口調につられて敬語だ。


「だいたい1週間では治ると思いますよお。私たいき君以外に見えないんで大丈夫です、イマジナリーフレンドの一種だと考えてくれれば。」


  高校2年生の秋にもなってイマジナリーフレンドが見えるとは、しかもそいつと会話しているなんて。ぼーっとしていると言われてるし自覚はあるけど、まさか具現化までするのか。自分の幼稚さに首から上が熱くなる。別にそれならいいですと、左手の指毛を引っ張る。ヒー痛い、やっぱり夢じゃないのか。つい今まで床におすわりしていたおともはピョンとベッドに飛び乗り、家の中まで入ったことなかったからどんなものかと思っていた、ベッドに憧れてたんですよと回りながら座るに良い位置を探っている。母が夕飯ができたことを階下から知らせた。お前、何食べるの。問うとご飯とか排泄はしないんで安心してください、と鼻息を立てた。


  部屋にすぐ戻りたくなくて、ご飯とお風呂を済ませた後は母とリビングでバラエティ番組を見た。10時前に父が帰ってきた。反抗期中の妹に居酒屋行ってきたんでしょ、おみやげとかあんのと聞かれ相好を崩している。買ってきてないからお小遣いやるよ、と2000円ほど渡す。普段無視されてる娘におみやげ集られただけで金を差し出すのか父よ。母が全く同じことを聞くと、今日は特別!と笑いながら風呂場へ消えた。


「あんたもいつも部屋こもってんのに珍しいね」


母の一言に、んーとだけ返してソファにべったりつけていた背中を剥がす。あいつまだいんのかな。


  戸をススス、と開けるとやっぱりいた。ベッドのど真ん中に丸くなっており、僕が戻ったのを確認して首だけ起こした。


「とりあえずオトモって呼んでいいですか。」


今更ながらたずねる。どうぞお好きに、敬語も必要ありませんよとフスフス鼻を鳴らしながら言う。携帯をいじる気も漫画を読む気も起こらず、布団を持ち上げオトモを壁際に寄せる。もう寝てしまおう。電気を消したが目は冴えているので、ぽつぽつと話しかける。


「今までもこうやって出てこれたの、なんか実体を持って」


「他のおともだと、小学1年生の鍵っ子があまりにも家でひとり寂しそうだったから、たまに遊んであげたってやつはいましたね。まあたいき君ぐらいの年になるとなかなかいません。おともって中学の終わりごろとかにはだいたいみんな見なくなるんです。もっと早い人もいます。他のことを考えることが増えるんでしょう。たいき君よっぽどなんですね。」


何がよっぽどなのか見当がつきそうなのがまた嫌だなあ。言葉遣いは丁寧でも甘やかな優しさを持つタイプではなさそうだ。人が見なくなるとオトモはどうなるの、と聞く。


「いなくなります。おともっていうのはあなたたちが考えるから見えるんです。あなたたちが初めておともを考えると、それがおともが生まれたことになります。まったくおともを考えない子の元には生まれませんし、たいき君みたいにずっと考えてくれるとおともはずっといます。考えなくなることはおともにとってはまあ寿命みたいなもんですね。さっき話した飛行機のおともとか、鍵っ子のおともはいなくなりました。私、人間にすると結構長生きしている方なんですよ。」


喉が苦しくなってきた。想像物でしかなかったオトモ達が急に生き物に思えてきた。オトモなんて登下校にしか付き合ってこなかったのに、僕がこいつの命を握っているんだって、責任がある気がしてきた。オトモはまだまだ長生きしたいのだろうか。


「でも、おともの凄いところはですよ、復活するんです。」


復活?発音したと思ったのに、ふあーとしか耳に入ってこなかった。肘付近で鼻がなっているのは少し笑っているからか。


「又聞きみたいな感じなんですけどね。結構田舎のおともらしいんですけど、一回いなくなったと思ったら十何年後にまた出てきたって言うやつがいたんですよ。」


なんだそれは。オトモにも幽霊というシステムあるのか。


「私も最初はそう思ったんですけどねえ。面白いですよ、相続されたらしいんです。」


今度はちゃんと相続ぅ?と声に出た。


「ひさしぶりに出てきて誰のおともかって見ると小さい女の子なんです。どうしてその子のおともになったんだろうって走り続けて、赤信号で車が止まった。運転席みるとそのお父さんなんですよ、昔おともしてたのは。多分子供に詳しく話して、その子が考えるようになったからまた出てきたんですね。そのおともはかつて1人スケボーで走ってたらしいんですけど、女の子のおともになってから熱帯魚に囲まれてサーフボードでおともするようになったんですって。」


オトモは眠たげで、だけど高揚しているのが伝わる。なんだか僕もウキウキする。先ほどのモチを詰まらせた感覚が去っていく。オトモ界隈でも復活ができるということは話題になったらしい。


「いなくなっても悲しいとか、早くいなくなると悔しいとか、長生きすることがいいことだなんておともにはないんです。あなたたちが考えることで生まれて、おともするってだけ。でもおともはおともすることが好きだし、おともする人のことも好きなんでやっぱり嬉しいんですよね。また会えると。」


もしかしたらたいき君の子供とか、孫とかにもおともできるかもしれないですね。オトモは最後にちょっと深呼吸して、おやすみなさいといった。おやすみ。


 そうか復活できるのか。ちょっとオトモが羨ましいな。数年でいなくなることもあるし、永遠にオトモすることだってできるのか。オトモは完全に寝たらしい。すうすうと随分気持ち良さそうで、なんだか嬉しい。いつのまにかオトモと布団の境目がなくなって、ベッドも壁も床も天井も、白いふわふわの毛で覆われていた。右腕だけは布団の外に出していたため、オトモの頭だかお尻だかがあるであろう場所に手を伸ばす。本体は手元にいるのに、なんだかオトモの中にいるみたいだ。首を曲げて見てみる。喋っているときは犬っぽい顔をしていたのに、今はすっかり、太った真っ白なアリクイだ。オトモの体は4本足を保ったまま耳が伸びたり尻尾が短くなったりと緩やかに変化し続けている。僕がレム睡眠に入ろうとしているからだろうか。








  金曜日なので学校に行く。7時にオトモに起こされた。自分がいる間は遅刻させませんよ、となぜか楽しそうだ。別に普段も遅刻することはないよ、毎朝同じ時間に会っていただろう。玄関を出て4分歩く。バスに乗り込み12分。電車で二駅行くと学校の最寄り駅だ。その間オトモは本当に見えなかった。


僕の席は教室のど真ん中なので、そこから外の景色とは青い空気と掠れた雲ばかりである。4限目の英語では、次の授業までに英作文を作って1人ずつ発表させる予定だと言われた。内容に指定はないらしい。be動詞に未だに納得のいっていない僕としては、キツい課題である。しかも月曜は英語1限ではないか。クラスメイトが非難の声を上げると鐘がなり、先生はやってこなかったらもっと難しいの出しますからね、と吐いてさっさと退出した。あ、単語数聞くの忘れてた。良いように解釈させてもらおう。


午後の授業はほぼ寝て過ごし、放課後の部活に来ている。ちなみに吹奏楽部だ。しかし部員は僕以外に4名しかおらず、唯一の経験者で部長の藤井さんは週に2回しか来ない。顧問の堺先生も今年幼稚園に入った娘が可愛くて、他人の、しかも愛想だってない子どもになんて全く惹かれないらしい。ここ最近ほとんど見ていない。活動も毎日音楽室に入り浸っているだけで、コンクールに出るだとか、演奏会を開催するなんてことは恐らくない。無気力な暇人が集まるところなのだ。メンバーは先ほどの藤井さん、吉田くん、僕が2年生で、仁村さんと大林さんが1年生だ。春までは先輩が3人いたのでもう少し賑やかだったが、1・2年生は僕みたいにぼーっとしている奴らばっかりなので会話と無言は1:9で行われる。こいつらもオトモ見たことあるのかな。今日は藤井さんがいないので吉田くんにそれとなく聞いてみる。


「たしかに小学生の時走らせてた、虎を。」


しんべヱが高校生になったみたいな吉田くん、意外とワイルドなオトモだなあ。仁村さんは考えたことがなく、大林さんは昔読んだ漫画の準主人公だったらしい。


「でも私、その妄想半年してないと思いますよ。」


妄想って言われたことは置いといて、随分短い間のオトモだったのか。オトモを見ていた2人は懐かしーっ長いドライブの時とかよくやったよね、などと話している。仁村さんはどう会話に入ろうかと探る。


「どんなタイミングでそんなこと思いつくんですか?」


「タイミングとかないですよねぇ」


大林さんがスローテンポで横に揺れている。うん、いつのまにか考えてたよ。


「でもいつのまに忘れたんだろうね。」


ほーんと、ハマってた時は毎日ぐらい考えてたのに。吉田くんは微笑みをたたえているけれど、たれ眉を更にたれさせた。その時、火曜水曜しかこない藤井さんが出入り口から顔を出した。


「ねえ今日英語あった人いる?2年生で。」


手をあげる。うちのクラスと同じ課題が出されたらしい。


「何語以上とか言ってたけ、あの人。」


言ってなかったから超短く書く予定だよ、と答えると彼女が片目を細めた。推薦入試を希望している彼女は部活動ではなく成績で勝負することに決めている。内申を稼ぐためにどんな課題も真摯にこなすが、僕と同じで英語は苦手らしく指定された文字数以上書きたくないのだ。勉強には真面目な彼女も昔はオトモを見たのだろうか。


「なにそれ、初めて聞いたーっ。」


仁村さんがそうですよねえ私だけ知らないのかと思ってましたよと喜んでいる。部員全員で1つの話題を共有するのは珍しい。見た派と見てない派で言葉が飛び交う。


「じゃあ車とか乗ってる時どうしてたんだよ」


「ふつうに景色見たり、音楽聞いたりじゃないの。」


「うちはテレビついてたんでずっとそれ見てましたよ。」


「テレビは私んとこもあったよお。」


「そういえば昔さ、すごい変な子供番組なかった?多分アメリカの。」


オトモの話から前流行ったものの話に移る。今日は藤井さんが塾に遅れる、と慌てるまでみんなで喋っていた。


  自宅に戻る。部屋に白い毛玉が見えない、と少し血の気が引いた。向かいの部屋にいるはずの妹に気づかれないように呼んでみる。窓枠の上部から猿のような白い手が伸び、網戸を引いた。おかえりなさい、とオトモが部屋に入ってきた。屋根に登っていたようだ。一日中暇しなかったのか聞くと、全くですよとニコニコしている。


「あまりおとも仲間でも人の家とか、部屋まで入ったことあるのは少ないんですよ。だから冒険している気分でした。」


そうか良かった。何も言わずに見えなくなると不安になるから、書き置きとか残してくれると助かる。それは気がつかなかった、次からそうしますとまたニコニコ。昨日初めて喋ったのに、なんで心拍が上がっているのだろう。


「私から話しかけるのは初めてでしたが、これまでに何度も喋ったでしょう。」


オトモは僕のリュックサックの中身に興味があるようだ。薄々気づいていたが、こいつ僕の心が読めるんだな。口に出してなかったがやっぱり。そうですよ、と返された。








  土曜は特に用事がないのでタブレットで映画を見る。オトモはワーッすごいすごいとベッドの上で飛び跳ねる。そうか、ずっと外にいるから家電とかも見たことないよね。でも跳ね回りながら映画は見れないから、大人しくしてくれ。冒頭のファンファーレまでは騒いでいたが、本編が始まるとチワワサイズになり僕の膝に収まる。便利な体だよな。ロボットがはちゃめちゃに戦うアクションだった。シリーズ3作をひたすら見続け、もう夕方だ。目が疲れましたよ〜といって顔を僕の太ももに押し付ける。自分の想像が生んだやつなのに、想像以上に可愛いことをしないでくれ。僕は本当に馬鹿になったのではないだろうか。


 





 日曜日、中学から離れてしまった友人らと会った。ゲームセンターと本屋をひねり歩き、ランチタイムを過ぎた頃ファミレスで喋り倒すことにした。なんと彼女が出来たとのたまう奴がいたので、てめードリンクバー奢れよなともう1人の友人とそいつを軽く殴る。ニヤケながら別にいいよ、と言われたので今度はもっと気持ちを込めて殴った。


今の学校がどうだとか、中学校の時一万回喧嘩していたあのカップルがまだ続いているだとか、進路のこととかをひたすらふざけながら語る。そういえば、と思って彼らにもオトモの話を振ってみる。2人顔を見合わせてなんだそれと笑った。


「磯山はぼーっとしてるやつだって知ってたけど、なんというか筋金入りなんだな。」


「修学旅行のときだって、移動中寝てると思ったら、目ガン開きでずっと外見てたもんな。」


なんだくそ、馬鹿にしやがって。お前だって給食の時間母ちゃんのご飯が一番好きだと言って、クラス中の女子にマザコン認定されてたのに、彼女出来たからっていばんじゃねーぞう。少し恥ずかしくなって彼女いじりに切り替える。最終的に俺らもあと1年ちょっとで彼女作ってやるんだからな、と恐らく達成できない目標を立てた。





  学校が始まり、1限目。昨日家に帰った後も友人らと遅くまでラインして、その後に課題に気づいたのでもうボロボロだ。パッと見たクラス平均と比較すると、僕の文章量は半分以下である。先週配られた白紙はそれぞれの文字で埋まっている。あからさまに余白の多い僕の提出物を見て、先生の眉がピクリと動いた。テストで挽回します、とさっさと席に戻る。小言の前に逃げられたことに腹を立てたのだろう、僕の作文を一例として読む、と声を張った。嘘だろ。


文法が弱い、この単語の綴りが間違っている、と指摘される。僕は顔を真っ赤にしながら読み上げるなんて言ってなかったじゃないですか、と小さく反論する。隣の席の梶さんが苦笑いして、どんまい、と励ましてくれた。


「にしてもこれ、どういう内容ですか?」


あまりにも散乱した文で、伝わってなかったらしい。何も浮かばなかったので、オトモの話を書いたのだった。車に乗ってる時の、窓の外を走る、あれです。クラス中が理解と疑問を表明しいっぱいになった。圧倒的に疑問が多い。優勢を保てたのはあの暇人クラブだけだったようだ。恥ずかしい、早く授業終わってくれ。先生は微妙にニヤつきながら、教科書とワークを開くように言った。





  「オトモ今日は何してたの。」


さすがにもうやることないです。オトモは2度目のナルトをペラペラめくりながら答えた。火曜日の夕方。そうだよなあ、あんまり遠くにはいけないらしく、家にこもりっきりだ。


「たいき君ち、おっきい道路に面してないから他のおともになかなか会えないし。」


悪かったな。でも気持ちはわかる。どうしようか迷ったが、少しビビりながら妹の部屋の前に立つ。ノックノック。


「なに?」


全く動いた気配がせず、不機嫌そうな声が返ってきた。うーん今日はハズレを引いたな。


「お前だろ、DS持ってんの。」


兄としてここで引き下がるわけにはいかず、使わせろよ、となるべく上から訊いてみる。大きな舌打ちが響いて、機体を携えた右手がニュッとでてきた。後マリオとテトリス貸せよ。無言のまま右手が引っ込んで、部屋を探る音がする。コイツはいつからこんなに無愛想になってしまったんだろう。自分を棚に上げ、4歳下、未知の知的生物にケチをつける。ソフトケースが扉の隙間から出てくる。にいちゃんさ、とダルそうな声がする。


「最近ひとりごとウザいんですけど。」


キモいよ、と捨てて戸を閉められた。尊敬や親しみなど塵もないことは知っていたが、ダイレクトに心を殴っていった。鬼だったのか僕の妹は。顔をショボつかせて自室に戻る。オトモがDSを見て目を明るくさせた。





  先週末から携帯のアラームは目覚ましとして使われていなかった。オトモに起こされた後にあのレーダー音は聞きたくない。そのため、油断していた。ヤバい!昨日ピーチ姫を救うために僕がベッドに入った後も画面の光と操作音は続いていた。朝はね起きるとオトモは椅子の上でひっくり返って寝ていた。充電が切れるまでやったのかお前。週のど真ん中、電車から出て改札を走り抜ける。珍しいじゃん寝坊。担任には気をつけろよ、とだけで許してもらい席に着くと、梶さんが笑っている。左だけえくぼあるんだなぁ。いやうへへ、と気持ち悪い返答しかできない自分が情けない。


「そういえば前の英語のやつ。私考えたことなかったんだけどさ。」


バレー部の子に聞いてみたけど、1人だけいたよう、後輩の子だけど。いや、俺だって昔ちょっと考えただけだよ。おそらく部屋でまだその想像が寝ているんだよ、なんて絶対に言えない。


「でもさ、今朝それ思い出してさ、ちょっと電車乗ってる時走らせたんだよ。気づくと学校前ついてた。」


梶さんの左えくぼにときめいたままの僕からはやっぱりうへへ、としか出てこない。このままでは本当にキモいぞ、どもりながら質問する。何走らせた?


「ホンダ CBR1000RR。」


頰を少し染める梶さんはとても好印象だったが、さっぱり何を指すのか分からなかったのでとりあえずまたうへへ、と笑った。うへへ、と返ってきた。








  今日でオトモが窓から現れて一週間だ。部室で本を読んでいる。吉田くんが僕に話しかける。


「磯山くんさ、アニメ興味ある?」


たまに見るよ、金曜とか日曜とか。


「違う違う、ああいう家族向けじゃなくて、BSとかでやってるやつ。」


俺今見てるやつあって、と続ける。吉田くんとは1年から友達のはずなのに、知らないことばかりだ。僕ら普段何喋ってきてたんだろう。


「そのアニメのカフェが出来たんだよ、まあ期間限定なんだけど、周りで知ってる人いなくてさ。」


今度一緒に行ってくれない?そういえば2人で遊んだこともなかった。快諾して土曜に待ち合わせする。家に帰ってオトモにその話をする。ニコニコして聞いている。ご飯と風呂の後リビングからタブレットを持ち出し、部屋でそのアニメを探す。近未来をテーマに、少年少女たちが宇宙人に支配された地球から逃げ出そうとしている。設定はふんわりとしていたのに、割とグロテスクな展開もあるんだな、吉田くん。第1期のラスト、ヒロインの父親が宇宙人側と内通しているシーンに、オトモは本気でショックを受けていた。ひどい、だからあの作戦が失敗したんですよ、早く気づかないと一生イタチごっこですよ。憤慨しているオトモがイタチを姿どるが、僕がイタチとはどんな動物かよく分からないためか、どちらかというと狐のような形になった。第2期の4話まで見て眠った。











  あくびをしたオトモが部屋を一周する。  6時48分。起きてまだ30秒の僕は、乾燥した目でそれを見ている。うん、と納得してこちらを見た。


「今日から走れそうです。短い間でしたが、お世話になりました。」


え、あ、そうか。いつもより早く起きたのは礼のためかい。まだ狐の形が残っている。あのアニメ第3期まであるんだよ。まだマリオ、クリアしてないところもあったんじゃないか?ナルトも38巻から45巻、クラスメイトに貸したまま帰ってきてなかった。話わからなくなっただろう。


「久しぶりに走るから、ちょっと遅れたりするかも。ちゃんと見ててくださいね。」


窓を開けてやる。楽しかったです、ありがとうございました。オトモは一度伸びをして、空に飛び出した。白い体が膨らんだかと思い瞬きをすると、見えなくなった。





バスに乗る。良かった席が空いている。窓際に腰掛け、外を見やる。白い毛玉は走っている。もう僕の想像に戻ったことがわかる。キラキラの黒飴の目は、一週間ぶりの爆走にはしゃぎまわっている。ブランクも何のその、前より多めに上下左右に動いている気がする。あんまり飛ばすとすぐ疲れちゃうぞ。信号や駅ごとにオトモはキョロキョロしている。景色に変わったところはないはずだけど。


梶さんが、今日は遅刻じゃないんだね、と荷物を置いた。朝練だったらしい。胸は高鳴ったが無視して、挨拶する。声がうわずった、バカ。まだ先生が来る時間ではない。鞄からスマホを取り出し、彼女が画面を見せる。多分分かんなかったでしょうと左えくぼができた。彼女のオトモ、ホンダCBR1000RRとは真っ黒のバイクのことだったのか。


「いとこのお姉さんが乗ってるんだけど、カッコいいんだよね。」


頭を縦にブンブン振る。めちゃめちゃカッコいいよ。伝えると梶さんは、大人になったら、超稼いで私もこれに乗るんだ、と下の歯まで見せて笑った。めちゃめちゃカッコいいよ。





帰宅中、梶さんとの会話を思い出す。窓の外を見るとオトモが真っ黒のヘルメットを被っていた。一人で帰ってるんだから笑わせるなよ。ポコンとヘルメットが取れ、目が合う。良かったですね。オトモはコリー犬の笑顔に戻っている。途中駅で電車が止まり、オトモはまた周りを見渡している。今や大型犬を超えた彼はこっちを見て、コクコク頷いてみせた。はいはい、楽しいね。





  ドアを開けて、朝の寂しさを思い出した。あいつは本来の“車窓のおとも”に戻ったのだ。僕は高校2年生で、来月には17歳になるので、別に泣きそうになんてならない。もう少ししたら中間テストだってあるし、進路希望調査のお知らせだってもらったのだ。暇人クラブに入っている以上、藤井さんに見習って勉強を頑張らないといけないのだ。リュックを降ろし、数学と英語の問題集を取り出す。試験範囲はどこだっけ。


その時、白い毛むくじゃらの手が窓をコンコン、と小突いた。今切り替えようとしてたのになんで出てくるかな。緩む口角を隠して、サッシを引く。器用に窓辺に腰掛け、オトモがたいき君たいき君とニコニコしている。どうしたの。


「復活したんですよ!この街のおとも達が!」


きっと僕たちのおかげだとオトモは上機嫌で体を揺らしている。どういうことだ。眉をハの字にして、気づく。初めて言葉を交わした日、その夜。


「たいき君、お友達に話してくれたんですね、おとものこと。見知らぬ顔が一気に増えたなと思って、聞いてみたんです。なんでも先週の金曜ぐらいから、復活する奴らが出てきたらしくて。まあ3日でまたいなくなったりもしたらしいんですが。久しぶりにおともできて嬉しいって、楽しいって。復活は滅多にないことだと思ってたけど、この街で多発してる。」


リビングに母と妹がいることを忘れ、アハハと2人笑った。梶さんがバレー部でその話をしたと言っていた。吹奏楽部、クラスメイト、中学の友人。彼らのうち、他にも周囲にオトモの話をした人がいるのだろうか。話を聞いて、何人が彼らのオトモを思い出したのだろうか。今、どこまで復活の波は広がっているのだろうか。たいき君とこでお休みいただいて本当に良かった。


僕もオトモが出てきてくれて本当に良かった。一足踏み込んで、ぎゅっと抱きついてみる。ふさふさの毛が鼻をくすぐるのに、やはりそこに質量はない。少しあたたかいと感じるのを、夕日のせいにしたくなかった。またおいで。


「土曜日、電車でお出かけですよね。吉田くんのおともにも会えるかな。」


楽しみだといって、太陽が完全に沈んだ一拍後、赤い光に溶けた。





今日は父も早めに帰ってきて、家族4人揃って夕食を食べる。ご飯と玉子スープ、麻婆豆腐と野菜が多めに詰められた餃子。どんだけ豆板醤入れたんだよ母さん。禍々しいほどの麻婆豆腐を見て、辛い物が大得意な母を睨む。クックドゥそのままの味付けでいい、辛さは調節させてくれ。母以外むせながらとろとろの挽肉と豆腐を口に運ぶ。餃子で割るとちょうどいい、妹が涙目で提案する。うまいけど、やっぱり加減は重要だよ母さん。取引先で聞かれたんだけどさあ、と父が思いついたように言う。








「車乗ってて外見てる時、なんか走らせたりした?」

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