04 狭間の空間で

 タツミたちは再び咲浜市街の中心地に戻ってきていた。車から降りたユイはスタスタと「ついてきて」と言って歩き始め、タツミはその後ろをついていく。

 

 大通りはランチタイムが終わってある程度閑散としているが、それでも市街地の中心部であるためか、それなりに行き交う人も車も多い。また歩道を歩く人たちも、スーツ姿のサラリーマンよりも制服を着た、タツミたちよりも少し年上の少年少女の姿が目立ってきた。そろそろ中学や高校も放課後の時間が近づいてきている。

 

 ユイはそんな大通りをキョロキョロと周囲を確認しながら歩き、やがて人通りの少なそうな脇道を見つけると途端にそこを曲がる。そして脇道に入ってすぐに建物と建物の間の、人がぎりぎり二人ほど並んで歩ける、隙間程度の道へ入り込む。

 

 急な方向転換に驚きながらもなんとかついてきたタツミは、


「ど、どこ行くつもりなんだよ?」


 と問う。


 しかしユイはそう問われた途端に、


「よし、ここなら大丈夫そうね」


 と立ち止まる。


 ここはまさに路地裏といった場所だった。建物一つ隔てた先に大通りがあるにも関わらず、まるでその音は遠くの喧騒のように小さく聞こえる。建物の壁には表側の立派な自動ドアの入り口とは対照的に、取ってつけたような全体的に安っぽいドアノブのついた扉がある。その建物の中の者たちが利用しているのか、様々なゴミの入った大きなポリバケツが蓋が半開きの状態で放置されている。


「何が大丈夫なんだよ?」


 さっきユイが口走った言葉の意味をタツミは尋ねる。しかしユイはそれに答えず、スマホを取り出す。するとスマホの画面が白く光り出し、中から勢いよく何かが飛び出してくる。ユイがそれをキャッチして初めて、それが〈ソウルブラスター〉であることがわかった。ユイは慣れた手付きで、〈ソウルブラスター〉のソケットにスマホを差し込み、それを操作するために窓のように空いている穴からスマホを少し操作する。そして銃口を何もない前方へと向ける。


「まあ、こんなところ……」


 そして銃口を何もない前方へと向ける。


「見られるわけにはいかないからね!」


 ユイはそれから少し銃口を上げて引き金を引く。と同時に真下へと振り下ろす。目の前には何もない空間に真っ白な線が一本引かれていた。次第にその線はノイズが走ったようにギザギザになっていき、さらに二つに分かれてどんどん離れていく。空いた空間はまるで真っ黒な絵の具で塗りつぶしたかのようで、その先にあるはずのものが何も見えない。


「これって昨日の、あの裂け目!」


 まさに昨日、タツミがガブを抱えて突っ込んだ裂け目と全く同じものだった。


「これぐらい開いたらいけるかな。さ、行くわよ」

「行くってどこに?」

「決まってるじゃない。この先よ」


 ユイは裂け目を指差す。


「昨日星野くんも入ってるでしょ?」

「ま、まあ、そうだけど――あ、そうだ」


 そこでタツミは一つ、ずっと言いたかったことを思い出す。


「オレのこと、下の名前で呼んでくれないか? なんか名字で呼ばれるの、慣れてないっていうか……」


 言われてユイは「えっ?」と少しびっくりして目を見開く。それからぷっと噴き出す。


「な、なんで笑うんだよ?」

「わたしにそんなこと頼むの? 学校で勘違いされちゃうかもよ?」

「何を勘違いするんだよ?」


 何を言っているのかわからないタツミを見て、さらにクスクス笑い出すユイ。馬鹿にされているようで少しいらっとする。


「まあ、わかんないんならわたしは別にいいんだけどね。でもそれだったらわたしのことも名前で呼んでほしいな、ユイって。その方がもっと友達っぽいし」


 タツミの方としてはそれは願ったり叶ったりだった。男子だろうが女子だろうが、友達相手に名字で呼び捨てはタツミにとってあまり居心地のいいものではない。昨日からずっとユイに名字で呼ばれていてタツミはどこかむず痒く感じていた。


「わかったよ、ユイ」

「それじゃあ、タツミくん、行こっか」


 ユイは目の前に広がる暗黒に躊躇なく足を踏み入れる。そして歩を進めると完全に姿が穴の中に消えてなくなる。タツミも目の前の穴に足を踏み入れる。


 しかし穴をくぐり抜けた先にあるのはついさっきまでいた路地裏の風景そのものだった。タツミが出てすぐに、彼の背後にあった黒い穴はパシュッという音を響かせて消滅する。


 だがタツミはそこで気がついた。今まで遠くに聞こえていた喧騒が完全になくなっている。というよりもほぼ無音に近く、路地裏を通るビル風の音ぐらいしか聞こえない。


「ちょっと大通りまで戻ってみよっか」


 ユイが提案し、タツミはこくりと頷く。一度来た道を、今度は逆順に歩いていく。脇道までは裂け目を超える前と同じだった。


 しかし大通りに出ると、状況は一変していた。


「だ、誰もいない!?」


 あれほど大勢いた歩行者や車が一切合切がいなくなっていた。あるのはビルディングや歩道橋、道路標識などだけで、人間はここにいるタツミとユイの二人だけだ。


「ここが〈境界空間ホライゾンスペース〉。限りなくわたしたちの世界に近いけど、ちょっと違う、わたしたちの世界に重なって存在する空間なの」


 ユイはそう言うと、〈ソウルブラスター〉に装着しているスマホに向けて「出てきていいよ」と言う。その瞬間、またユイのスマホの画面が光で白飛びし、中から翠の鱗を纏った蛇のようなスピリット、フィンが現れる。フィンは空中をまるで水の中を泳ぐかのように動く。


「ひさしぶり、ってか昨日ぶり? よろしくね」


 フィンがそのつぶらな瞳で、タツミに向かってウィンクする。


「あ、ああ、よろしく」

「さっきユイが言ってたけど、ワタシもタツミくんって呼んでいいの?」


 タツミはさっきの会話が聞こえていたのかと思いながら、「うん、頼むよ」と答える。


「タツミくんもガブを……」


 出してもいいよとユイが言い終える前にタツミのポケットが光り出し、ポケットが膨れ上がる。そこにスマホが入っているのだ。そしてそこから何かが飛び出してくる。


「ふうー、やっと出られたぜ……」


 飛び出して着地したガブはぜえぜえと荒い息を吐いていた。


 フィンはその様子に呆れ顔で、


「〈スタースピリッツ〉のアプリの中は快適な空間に設定されてるはずなんだけど、あんたの場所は違うのかしら?」


 と尋ねる。しかし語尾が疑問形ながら、どこか挑発めいたような言い方だ。


「るっせえ、快適かどうかは自分次第だろうが。オレにとっちゃ窮屈で仕方ねえんだよ」

「ふーん……」

「なんだよ?」

「別に。何にもないわよ」

「なんか言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろ?」


 険悪な雰囲気になりつつある二人の間にタツミが割って入り「まあまあ落ち着けって」と制する。ガブとフィンはお互いにぷいっと顔を背ける。


 ユイはそんな彼らに気づいていないようで、辺りを見回して何かを探している。すると彼女は探していたものを見つけたのか、


「タツミくん、あそこ見て」


 と指差す。


 それは端から見れば蒼い箱のようなものだ。しかしそれはほの明るく発光している上に中が透けて見えている。そしてその中にいるのは、


「た、助けてくれぇ!!」


 と叫んでいるネズミのような生き物が一匹。しかしそのネズミは一般的なネズミよりも大きく、小型犬ほどはある。タツミにはあれが〈スタースピリッツ〉に出てくるスピリットであることがすぐにわかった。この種族もまた、昨日の〈サベージウィーゼル〉同様〈スタースピリッツ〉をしていれば必ず遭遇すると言ってもいいスピリットだからだ。


 そしてそのスピリットに〈ソウルブラスター〉らしきものが銃口を向けている。しかしそのグリップには誰の手もなく、一人でにその蒼い箱の中を縦横無尽に動き回り、勝手に引き金が引かれて銃口から様々な色の光の弾丸が発射されている。


 スピリットの方は最初はなんとか放たれる光を避けていたが、次第に被弾する回数が多くなり、やがて動きが止まる。その瞬間に白い光が〈ソウルブラスター〉から発射される。その光に当たると、スピリットの全身を包み込み、次第に輪郭がぼやけていき、ついに消えてなくなる。そして〈ソウルブラスター〉も、それらを包んでいた蒼い箱も消滅する。


 タツミはあんぐりと口を開けて呆然とその様子を見ていた。


「一体何なんだよ、あれ?」


 タツミがそう尋ねると、ユイは〈ソウルブラスター〉からスマホを取り出して、その画面を見せつけてくる。


「これよ」


 画面は〈スタースピリッツ〉のタイトル画面だった。タツミには彼女が何を言いたいのか理解できなかった。


「これって言われても、どういうことだよ?」

「〈スタースピリッツ〉はただのゲームじゃない。ああやって、〈境界空間ホライゾンスペース〉にいるスピリットを捕獲するためのアプリなのよ」


 タツミは「へっ?」と思わず声を漏らす。


「ちょっと、何言ってんのかわかんないんだけど……」

「そのまんまの意味よ。〈スタースピリッツ〉はスピリットを捕獲するためのアプリ。そして今世界で出回ってるスマホ全部に、〈スタースピリッツ〉をインストールするとスピリットを捕獲できる機能が内蔵されてるの。実はスマホってそのために開発されたようなもんなのよね」

「いやいやいやいや! ゲームじゃないっていきなり言われても納得できないって! それにスマホがスピリットを捕まえるために作られたって言われても……」

「まあ確かにいきなり言われても理解できないよね。でも全部本当のことよ。今話したことも、これから話すことも」


 ユイは口元を緩ませるが、表情はあくまで真剣だ。


「〈特殊災害対策機構〉は――みんな〈特災対〉って略してるけど、どこかの国、例えば日本とかの命令で動いてるってわけじゃないんだって。〈特災対〉にはいろいろ支援してくれるなんかすごいお金持ちがいて、うちの活動資金は全部そこから出てるらしいの。そんでそのお金持ちがスマホの開発に必要な部品の会社とも繋がりがあって、それでスピリットを捕まえる機能が内蔵されてるんだって。そうお父さんから聞いたわ」


 ユイは表情を変えずに続ける。だからこの話は冗談ではないのだろうとタツミは思う。しかしあまりにも規模の大きな話に理解が追いつかない。第一、一人のお金持ちの力でこの世界全てのスマホにスピリットを捕まえる機能を搭載することなどできるのだろうかと疑問に思う。


「まあ、わたしも正直信じられるかっていうとちょっと怪しいんだけど。でも見たでしょさっきの。少なくとも〈スタースピリッツ〉がただのゲームじゃなくて、スピリットを捕獲するためのアプリであることは間違いないわ。だってそうやってタツミくんもガブと出会ったんでしょ?」


「そ、そう言われれば、そうだけど……」


 ユイの指摘通り、タツミはガブを〈スタースピリッツ〉で捕まえ、そして彼と出会った。それはまさに変えようのない事実だ。だから彼女の言うことに反論もできない。


「捕まったスピリットはどうなるんだ? もしかしてずっとスマホの中にいるのか?」

「ううん。捕まったスピリットはデータに変換された後スマホの中で身体情報とか持ってる能力とかを簡単にスキャンされて、本体は〈特災対〉のサーバに転送される。それでスキャンされたデータだけがスマホの中に残ってそれがゲームの中で使われてるって感じなの。で、本体の方はより詳しくスキャンされていろんなデータを取った後、〈コネクテッドツリー〉から〈スピリットワールド〉に送り返す。

 ――本来ならね」


 ユイは隣のフィンやタツミの傍らに立つガブを見る。


「でも中にはそうじゃないスピリットもいる。それが捕まえた人と〈リンク〉できるスピリットなの。そういうスピリットはずっと転送されないでスマホの中に残ろうとして抵抗するの。そして最終的に外に出てくるってわけ」

「転送されないスピリットがその人と〈リンク〉できるスピリットってことか。でもなんでそういうことが起きるんだ? 〈リンク〉できるってことと転送されないってことがあんまり繋がんないような気がするんだけど」

「実はね、それがよくわかんないの」


 ユイに対し「どういうことだ?」とタツミは尋ねる。


「二つの現象の因果関係がまだわかってないみたいなの。お父さんも研究はしてるみたいなんだけど、どうも全然わかんないらしくって……」


「でも――」とユイは続ける。


「でも?」

「なんとなくだけど、わたしは多分、これはなんだと思うの」

?」

「そう、わたしとフィン、それにタツミくんとガブが出会うことは運命だったんじゃないのかなって。なんかそう考えた方がロマンチックだと思わない?」


 そう恥ずかしげもなく言い放つユイ。普段だったらこんなこっ恥ずかしいことを口走ることも、聞くこともタツミにはできなかっただろう。だが今はタツミもそのことについてはどこか同じ気持ちだった。ついさっき浩一郎から説明を受けている時にも、ガブと出会うことは最初から決まっていたことであるかのように感じたからだ。


「まあお前らがロマンチックに感じようがなんだろうが、あの時は生きた心地がしなかったけどな。いきなりわけのわかんねえもんに囲まれて動けなくされた上に、変な場所に放り込まれたら今度はどっからかすんげえ勢いで吸い込まれそうになったんだからな」


 しかしそんなタツミに冷ややかに、ガブは責めるように言う。


「吸い込まれそうって、転送される時のことか?」

「あいつの話の通りならそうなんじゃねえか?」


 ガブがユイの方へ顎をくいっと上げて示す。


「ああ、えっと、なんか、ゴメン」

「まあもうそんなに気にしてねえけどよ」


 ガブはやれやれといったふうにため息を吐く。その言葉は嘘ではないようにタツミは感じて安堵する。


「確かにスピリットにしたらあんまりいい気持ちしないよね。フィンだって最初はいろいろわたしに文句言ってきたし」

「でももう結構前のことだしね。その時のことなんか忘れちゃったわ」


 タツミはフィンの言葉で、ユイがいつ〈リンカー〉になったのかという疑問を抱く。昨日の〈怪獣〉だったり、今の〈境界空間ホライゾンスペース〉での立ち振る舞いからして決してつい最近なったわけではないだろうということはわかるのだが、具体的にはいつぐらいからなのだろうか。


 しかしユイはタツミがそんな疑問を抱いているとは露知らず、


「ねえ、あれ見てみてよ」


 と宙に向けて指差す。そしてその方角にあったものを見てタツミは唖然とする。


「あ、あれって……」

「あれが〈コネクテッドツリー〉よ」


 ユイの指先は〈咲浜自然公園〉の方を向いている。そしてそこにはさっき写真で見せられた、虹色に煌めいている樹状の物体が天を貫かんというほどの高さで屹立している。そしてその天頂付近からはこの街の空の近くにまで枝が広がっていて、まるで空の全てを覆わんとしているかのようだ。おそらくこの街ならどこからでも見えるんじゃないかとタツミは思う。


「〈コネクテッドツリー〉はこの〈境界空間ホライゾンスペース〉に生えているの。だからわたしたちの世界から見ることはできない。それに実は〈コネクテッドツリー〉が〈境界空間ホライゾンスペース〉を作ってるんだよ」


 ユイの言葉に「はぁ……?」としか答えられない。驚くことや理解の範疇を超えたことを言われ続けたせいでタツミも疲れてきていた。


「〈コネクテッドツリー〉は巨大な〈ソウル〉の塊でもあるの。その量は人間とかスピリットとかなんか比べ物にならないぐらい。その〈ソウル〉がわたしたちの世界と〈スピリットワールド〉の間にもう一つの世界を作り上げたってわけ」


「な、なんか何言ってんのか全然わかんないんだけど」


 そろそろわからなさすぎて頭痛がしてきそうだとタツミは思った。


「まあとりあえず〈コネクテッドツリー〉がこの〈境界空間ホライゾンスペース〉を作ってるって感じでわかってくれば大丈夫。

 でも、そうして作られた〈境界空間ホライゾンスペース〉は言ってみれば〈ソウル〉の塊なの。この空間の中は空気みたいに〈ソウル〉で満ちてる。そしてその〈ソウル〉は空間の中にいる生き物に勝手に流れ込んでくる。人間もスピリットも関係なくね。わたしたち人間はスピリットほど〈ソウル〉も持ってないし、その力に敏感じゃないから、そういうのが入ってきても全然わからない。だけど〈ソウル〉の力を利用するスピリットだったらどうなると思う?」


「どうなるって言われても……」と言いながら、タツミはわからないなりに考えてみる。自分たちが〈ソウル〉が流れ込んでくることに気づかないのは普段それを使っていなくて鈍感だからだ。ならばそれを使うスピリットなら――


「流れ込んでくることに気づく?」

「惜しい! 確かに流れ込んでくることには気づく。でもスピリットにはそれぞれ体の中で受け入れることのできる〈ソウル〉の量には限りがあるの。そしてそれを超える量が流れ込んでくると――」


 ここでようやくユイの言わんとしていることがタツミにも理解できた。


「――暴走する」

「そういうこと。昨日の〈サベージウィーゼル〉も多分そんな感じで暴走したんだと思う。スピリットにも種族や個体ごとに耐えられる〈ソウル〉の量に違いがあって、フィンやガブには耐えられても、昨日の〈アイツ〉のように耐えられないっていうのも出てくるの。

 まああんなふうにあそこまで暴走したのに出遭ったのはわたしも初めてだったんだけど。普段は意識はちゃんと残ってて、ちょっと気性が荒くなるっていう感じなんだけどね。だからわたしたちも対処に手間取っちゃったの」


 そう言われてなんとなく昨日のユイの様子に納得するタツミ。あんな〈怪獣〉を相手にしていながら、ユイは追い詰められても最低限の冷静さを保っていたように思えた。しかし今思えばそれほど落ち着いているにも関わらず、一方では慣れない状況に焦っているようにも見えた。この一見矛盾しているような態度も想像を超えた事態に対処していたからだとすれば納得のいくところだった。


「それで〈コネクテッドツリー〉は確かに二つの世界の架け橋になってる。だけど通り抜けた先が必ずしも咲浜ってわけじゃないみたいなの」

「え、でもここに〈コネクテッドツリー〉があるんだろ? ここに道がつながってるんなら出てくるのはここなんじゃないのか?」

「〈コネクテッドツリー〉がこっちの世界に出てくるスピリットを世界中にランダムに飛ばしてるのよ。〈スタースピリッツ〉って世界中でブームになってるでしょ? それってつまり世界中にスピリットが流れ着いてるっていうことなのよ」


 〈スタースピリッツ〉が世界中でプレイされているなら、世界中にスピリットがいなければゲームにならない。確かにその通りだとタツミの頭の中で合点がいく。


「で、〈コネクテッドツリー〉は強力な〈ソウル〉を常に放ってる。スピリットは強い〈ソウル〉に惹かれる習性があるらしくて、世界中に散ったスピリットたちがみんなこの咲浜に集まってくるの。だから咲浜にはスピリットが異常に多いってわけ」

「なるほど」


 咲浜にはスピリットの数が異常に多い、それは熱心な〈スタースピリッツ〉プレイヤーの間ではよく知られた噂話だ。それはあながち嘘ではなかったのである。


「じゃあちょっといろいろ歩いて見て回ろっか。ここで普段どういうことが起こってるのか見てたらわかることもあると思うし」

「でも危ないんじゃないか? 昨日みたいなやつが出るかもしれないだろ?」

「今はそういった情報は来てないわ。それにそういうことになったら、いの一番に戦わなきゃいけないのはわたしたちなんだよ? スピリットの力に対抗できるのはスピリットだけなんだから」

「ま、まあ確かにな……」


 さっき目の前で行われていた捕獲劇は序の口なのだろうとタツミは思う。本当に脅威になり得るスピリットに対してはゲームではなく、本物の人間とスピリットが直に対処しないといけないのだろう。


「〈特災対〉の役割はスピリットが暴走して起こす事件を〈災害〉と捉えて、普通ではできないような対処法で対処するための組織なの。だから〈特殊災害対策機構〉なんて名前がついてるわけ。その対処方法の一つがわたしたち〈リンカー〉ってこと」

「な、なんか道具扱いみたいだな……」


 自分たちの扱いに拳銃や戦車のような兵器を連想するタツミ。昨日のガブの力を見るにそれら以上の力を持っている存在と今肩を並べて立っているのかと思わされる。


「仕方ないわよ。そうでもしないと昨日の〈アイツ〉のようなやつには対処できないわけだし」


「それに……」とユイは続ける。


「今こうやっていろいろ説明してるのはお父さん、本部長が本当にタツミくんが〈特災対〉に協力してくれるかどうか選んでもらうためなんだから」






 タツミたちはユイの提案通り街中の、しかも車道のど真ん中を歩いていた。最初は戸惑って断っていたタツミだが、ここで普段の世界の常識は通用しないというユイの言葉と車道へ躊躇いなく出たその行動につられてタツミも車道へ出ることにした。少し歩けば慣れてくるもので、最初はおっかなびっくりといった感じでゆっくり歩いていたのに、今はスタスタと普段と変わらない調子で歩いている。


 そんな中で彼らは次々にスピリットが捕獲されていく様子を目撃する。咲浜は特別スピリットが多いので、街のそこら中でそんな風景に出くわす。スピリットたちは皆一様に突然始まる捕獲劇になすすべもなく捕まっていく。囲われた空間の中を一人でに動き回る〈ソウルブラスター〉は傍から見てもホラー以外の何者でもない。そしてそんな光景を目の当たりにするたびに非難の目をガブは向けてくる。普段は割と落ち着き払っているガブにとっても、これにはよほど恐怖を感じたのだろう。タツミは申し訳無さを感じるとともに、これからは以前のように〈スタースピリッツ〉をできなくなりそうだと思った。

 

 そして少し休憩しようということになり、彼らは近くの建物の壁にもたれかかってしゃがみ込む。普段の場所でこんなことをすれば大いに目立つだろうが、今は誰もいないので好き放題できる。


 その時ガブが口を開く。


「なあ、タツミ」

「なんだ?」

「お前、さっきユイに言われたこと、どう思ってんだ?」

「どうって?」

「選べるってことだよ。昨日みたいな〈バケモン〉と戦うのかどうかってこと」

「ああ、そのことか」


 タツミはそう言われてユイに言われたことを思い出す。正直、タツミはここまで戦うことになるかもしれないという実感がまるでなかった。ただ事実を淡々と説明されているだけで、説明された後どうなるのかまで完全に頭が回っていなかった。


 そんな中で提示された選択肢。ユイや浩一郎たち〈特災対〉の人たちとともに戦うか、それとも全て聞かなかったことにして戦わないか。言われて初めて、そこに選択肢があることに気づいた。そしてそれは中途半端に決断することが許されないということも。


 ユイにはこう言われていた。


「まあわたしとしては人手が足りないから一緒に戦ってほしいわけだけど、危ないことだしね。なんせ下手すれば命に関わることだから」


 昨日、タツミは何度か命の危機にさらされている。そして実際に致命傷とはいわないまでも大怪我を負った。もしガラス片が首筋を切っていたらそのまま死んでいたかもしれない。今、こうしてこの場にいるのはただの偶然が折り重なった結果に過ぎないのである。


 タツミはユイを見る。ユイはフィンと一緒にスマホを見ている。〈スタースピリッツ〉に周辺のスピリットの状態を示すマップが搭載されているのをタツミは思い出す。もしかしたら周りのスピリットの様子を観察しているのかもしれない。


 ユイは一体どれほどそんな修羅場をくぐり抜けて来たのだろう。昨日ほど暴走したスピリットは初めてだったというが、そもそもスピリットは人間以上の身体能力に加えてそれぞれに固有の能力も持っている。そんな相手に対し、フィンという相棒はいてもずっと立ち向かってきた。その間どれだけの危険にさらされてきたのだろう。


 そして戦うことを選択すれば自分もその危険にさらされることになる。一度そんな目に遭っているとはいっても、昨日のことは半ばなし崩し的にそうなってしまっただけで自分の意思はあまり関係していなかった。だがこれからは自分で決断して動かないといけない。果たしてそれが後悔しない選択なのだろうか。


 タツミはなかなか決めきれずにいた。ユイにはじっくり考えてからでもいいとは言われたが、あまり結論を先延ばしにするのも良くないだろう。ここに来るまでの間いろいろと説明されていたが、〈特災対〉はいわば秘密組織のようなもので公に公表されておらず、スピリットのことも隠されているという。そういうことならガブのことも秘密にしないといけないし、もしガブの存在がバレたりでもしたら〈特災対〉の活動にも影響が出てしまう。決断を下すならなるべく早くしないといけないことはタツミも薄々感じてはいた。


「――正直、オレはお前のこと、巻き込みたくねえって思ってる」


 ガブがぽつりと呟く。


「な、なんで?」

「お前は別に戦う理由はないだろ? オレには一応、朝桐浩一郎の言うことに付き合う理由がある。多分アイツはオレにこの世界で悪さするスピリットと戦えって言ってくるはずだ。そんでそれに従うのはオレが父上から受けた使命でもある。だからオレはアイツの言うことに従う。

 でも――」


「お前はどうなんだ?」とガブは問う。


「お前は何も関係ないはずだぜ。確かにオレたちは奇跡的に出会って、奇跡的に〈リンク〉とやらができる存在だったかもしれない。でも、それだけだ。偶然そういう関係だったってだけで、それは別に戦う理由でもなんでもないはずだ。

 それにさっき言われただろ。ああいう〈バケモン〉と戦うってことは下手すれば死ぬかもしれないってことだぞ。理由も何もないやつがわざわざ命張ってまで戦う必要なんてない、ってオレは思う」


 ガブは真っ直ぐにタツミの目を見て言う。それが今言ったことが冗談ではないということの何よりの証明だった。


 タツミは驚き、そして少し落胆する。自分たちが奇跡的に出会えたというのに、それを「それだけだ」と切り捨てられ、そして戦うべきじゃないと言われ、どこか突き放されたような感じがした。それがショックだったのだ。どう返せばいいのかわからず、言葉が紡げなかった。


「――お前がそんなふうにオレのこと考えてくれてるなんてな」


 タツミは茶化すようなことを言って強がってみるが、その言葉は無理やり喉から絞り出したようで少し震えていた。


「オレは冗談で言ってんじゃねえよ。それにお前は危なかっしいしな。見ててハラハラする」

「そう、かもな……」


 時々何も考えずに行動してしまうことはタツミ自身よくわかっていた。昨日の行動も自分以外の視点から考えれば見ていられない行動も多かったはずだ。そう考えると確かに自分はガブの隣に立って戦うのには相応しくないのかもしれないと思える。


 だけど、とタツミは思う。本当にそれでいいのだろうかとタツミは自分に問いかける。昨日のような脅威を、誰も知らないところで行われている戦いを、自分はただ黙って何も知らないフリをして生きることなどできるだろうかと。


 そしてそもそもなんでそんな危なっかしい行動を平気で出来てしまうのかと考える。そういう時はいつもどういう時だったか。公園で風船を取るために木を登った時、逃げ惑う人々をかき分けてガブを追いかけた時、ガブが吹き飛ばされてそれを受け止めようと走り出した時、その時々でどう思っていたのかタツミは思い出そうとする。


 そんなタツミとガブを、ユイはちらりと横目で見ていた。だが何も口出ししない。ユイはただ黙って彼らの会話を聞いているだけだ。


 しかしその時だった。


「ユイ! これ!」


 フィンが叫んだその瞬間、マップの表示が真っ赤になった。そしてタツミのスマホからも昨日も聞いたけたたましい警報音が撒き散らされる。


「な、なんだなんだ!?」


 タツミは咄嗟に立ち上がろうとする。しかし急に地面が揺れた。バランスを崩して倒れそうになるがなんとか手をついて免れる。そして顔を上げて見ると信じられない物が目に入った。


「何なんだよ、あれ……?」


 それは木の幹ほどもある巨大な蔦だった。それが天に昇る龍のようにのたうち回りながら、目の前のビルよりも高く伸びていた。






 その頃、〈特災対〉の面々がいう〈こちらの世界〉でも異常が起こっていた。市街地の車道のど真ん中からいきなり蔦が生えてきて、周囲の人や建物を飲み込んだ。そしてそれは成長を続けて木の幹のようになり、まるで樹海のように周囲を覆ってしまった。人々は混乱し、あらゆる方向へ逃げ惑う。しかし樹海はそんな彼らをも飲み込んでいく。樹海の成長はとどまることを知らず、なおもその範囲は広がり続けていた。

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