02 〈特殊災害対策機構〉

 タツミらを乗せたセダンが咲浜の中心街を走る。通行量はそれなりに多く、さっきから渋滞に引っかかり、数分止まってはまた走り出すということを繰り返していた。

 

 タツミは窓の外を見ていた。今の場所は昨日の〈怪獣騒ぎ〉の場所から離れているため、カケルの言った通り封鎖されていたりするのかとか、そういうことを確認することはできない。ただ窓の外の歩道を歩く人々を見ている限り、昨日の騒ぎの影響はあまり感じられない。

 

 そんな中、無言を貫いていたユイが口を開く。

 

「そういえば星野くん。もうその絆創膏、必要ないんじゃない?」


 言われて咄嗟にタツミは腕や足の絆創膏やガーゼを見る。


「で、でも……」


 致命傷は避けたとはいえ、全身が血まみれになるほどの怪我が一日ぐらいで治るはずがない。タツミはそう思ってユイを見返す。するとタツミは違和感を感じる。


「そういえば朝桐、怪我は……?」


 タツミほどではないにしろ、ユイも〈怪獣〉の暴れた余波で飛んできた諸々の破片のせいで傷を負っていた。だが今のユイには、少なくとも肌が見える範囲では一つとしてない。


「たぶん、治ってると思うよ。わたしと同じように」


 タツミの問いかけに対し、ユイは答えになっているような、なっていないような返事をする。


 タツミは試しに手の甲の絆創膏を恐る恐る剥がしてみる。露わになった肌には傷どころかかさぶたすらなかった。


「な、なんで……?」


 こういう処置に慣れているからこそわかる。いくら軽い擦り傷でも一日やそこらでは治るはずがない。かさぶたが出来て、それからそれが自然と剥がれて、傷がなくなるまで少なくとも一週間ほどはかかるはずだ。


「やっぱりね」

「やっぱりって……」

「タツミくんもわたしと一緒になったってことよ。ま、そこら辺についても目的地に着いたら教えてくれると思うよ」


 また答えをはぐらかされる。自分の体に起きた異変に薄気味悪さを感じる。


 そんなタツミをフォローするつもりなのか、


「まあ大丈夫だよ。こういう『身体能力の向上』とかは昨日のような状況にならないとスイッチが入らないように体が無意識にセーブしてるらしいから」


 とユイは言ってくる。


「昨日のような状況?」

「うん。スピリットと肩を並べて戦うには人間の方も強くならないとダメってこと」


 物騒なことをさらっと笑顔で言ってくる。その不敵な笑みがユイの底知れなさをより演出する。一体彼女は何をどこまで知っているんだろう。そんな疑問がタツミの中に湧いてくる。


「うわっ、でっけえなあれ! あれも周りと同じもんで出来てるのか?」


 そんなタツミを余所に、ガブは彼の膝の上ではしゃいでいた。昨日の、怪獣を前にしても落ち着いていたあの態度はどこへやら、今は完全に珍しい物にテンションが上がっている子供そのものだった。


「ありゃあなんだ? 中が丸見えじゃねえか! なんであんな造りになってんだ?」


 ガブが全面ガラス張りのビルを見て言う。


 さすがにそろそろ何か言った方がいいかと思い、


「おい、あんま顔上げるなよ。見られるかもしれないだろ」


 とガブの頭を押さえる。外には昼食帰りのサラリーマンや友人とランチに行ったであろう女性たちが多く歩道を行き交っているので、車が止まっている時はガブの姿が見られるかもしれないのだ。


「いいじゃねえかよ別に。オレにとっちゃ、ここは珍しいもんだらけだしな」

「ここが?」


 タツミはガブの頭の上から窓の外を見る。見渡すかぎりのビルディング。その中にそこで働いているであろうサラリーマンに向けた安い定食屋やコンビニ。この現代に生きていれば誰だって一度は見ているはずの風景だ。


「〈スピリットワールド〉にはこんなバカでけえ建物とかはねえからな。ほとんど木とか草とか、そんなもんばっかだ」


 そう言われてタツミは気づく。ガブは昨日自身の口で〈スピリットワールド〉という別の世界から来たと言っていた。こういう風景はその世界にはないから物珍しげに見ていたのかと納得する。


「〈スピリットワールド〉は自然豊かな場所だってわたしもフィンから聞いたことがあるわ」


 ガブは割り込んできたユイの言葉を肯定する。


「その通りだ。オレたちにとっちゃこんな建物必要ねえからな」


 タツミは少し考えて、その通りだろうなという結論に達する。これらのビルディングに限らず、建築物は基本それを建てた人間が必要だから建てたものだ。家も人間が雨や風をしのぎ、暑さや寒さとは関係なく快適に過ごすためのものである。実際人間以外の動物は、家はあれど竪穴だけだったり、枝や藁を敷き詰めただけだったりとかなり簡素なものが多い。そしてそれ以外の用途の建築物などほとんど存在しないだろう。それはなぜなら必要がないからだ。毎日の食料を集めたり、狩りをしたり、そしてそれら全てが終わって日が沈み、眠りにつく。そのためにこれだけの大規模な建築物など必要ないだろう。そこまで考えてみて、逆に人間が動物の中で特異な生態をしているようにタツミには思えてきた。


 それからも車は彼らを乗せて走り続けた。市街地を抜け、住宅街を通過し、そしてだんだんと人気がまばらな郊外の道を走っていく。車はいつの間にか緑の豊かな場所を進んでいる。まだ三十分ほどしか経っていないにも関わらず、窓の外の景観は市街地とは全く異なっていた。


 タツミは少しずつ不安になってくる。一体自分はどこに向かっているのか。ユイが自分から乗っていたので安心していたが、本当は乗ってはいけなかったのではないかと徐々にそんな疑念が湧いてくる。


「なあ、どこまで行くんだ?」


 居ても立ってもいられず、タツミはユイに行き先を尋ねる。情けない声が出てるなあとタツミは自分の事ながら思う。


「そういえば星野くんはこっち方面に何があるかわかんなかったよね。〈咲浜自然公園〉まで行くの。ってかもう公園には入ってるんじゃないかな?」

「自然公園?」


 確かに車の周囲は緑だらけで、その名にふさわしい風景となっている。


「そう。まあ自然公園とか言っても街から結構近くて、学校でも遠足で行ったりする場所なんだけど、目的地はその中にあるの」


 すると車が上り坂を駆け上がり始めた。その時に「もうすぐだよ」とユイが言う。


 ある程度上がったところで傾斜が緩やかになり始め、完全に平坦になった途端に彼らの目の前に重々しい金属製の門が立っていた。その少し前には来客者かどうか確認するための守衛所があり、運転手は車をハンバーガーチェーンのドライブスルーのようにそこに横付けする。運転手が守衛所に詰めている老け始めの壮年男性と一言二言会話し、その後男性が守衛所の中にある何かを操作する。直後、眼前の重々しい門がゆっくりと奥の方へ開き始める。運転手が守衛の男性に軽く挨拶して車を中に進める。


 目的の建物はすぐに現れた。


「ここが目的地よ」


 建物はそのほとんどが真っ白で、入り口のある面だけ全面ガラス張りになっていて、どこか清潔な印象を見る人に与える。ひと目見て、病院か何かの研究所かとタツミは思った。


 車はエントランスと思しき場所まで来ると止まり、それを合図にユイが留めていたシートベルトを外しドアを開けた。タツミも慌てて降りる準備をする。


 車から降りたタツミとガブに向けてユイが両手を大きく広げて言う。


「〈特殊災害対策機構〉へようこそ!」


 その物々しい名前をタツミは一回では聞き取ることができなかった。


「と、とくしゅ、なんて?」

「〈特殊災害対策機構〉。ま、具体的に何やってるのかは中に入ってからのお楽しみってことで」


 ユイは踵を返し、建物の自動ドアに躊躇いなく向かう。


「あ、ちょっと、待てよ!」


 タツミはユイの後に続く。


「ったく、なんかあの女に遊ばれてるみてえで嫌な感じだぜ」


 ガブも悪態をついた後、すぐにタツミを追いかける。


 建物の中も外観同様、清潔そのものだった。白を基調とした壁に、歓談のためだろうか丸テーブルとそれを囲む四つほどの椅子がセットになっていくつか設置されている。さっき外から見えたガラス張りの面から快晴の空が見え、開放感がある。リノリウムの床は足音がコツンとよく建物の中に響いた。しかし病院特有の薬品のツンとするようなにおいは感じられない。さっきの〈特殊災害対策機構〉という施設名からして病院ではないことは明らかだった。


 ただどう見ても子供だけで入っていいような場所ではなさそうである。タツミは居心地の悪さに耐えきれず、ユイに尋ねる。


「なあホントに中入ってよかったのか?」


 しかしユイは平然と、


「もちろん。だってわたしはここに所属してることになってるんだから」


 と言い放つ。


「所属?」

「うん。昨日みたいなことが起こった時に戦うためにね」


 その言葉の物騒さとは裏腹にユイは朗らかに言う。


 そうしてしばらく施設の中を歩いた後、エレベーターホールに到着する。ユイはポケットからカードを取り出し、ボタンの隣にあるカードリーダーにかざす。するとエレベーターがものの数秒で到着し、扉が開く。扉の近くにある行き先を示す表示灯は下を示している。


「さ、入って」


 ここでもユイは躊躇いなくエレベーターの中に乗り込む。


「どうしたんだよ?」


 次に乗り込んだガブがエレベーターの前で立ち止まっているタツミに投げかける。


 タツミは予感めいたものを感じていた。ここで一歩エレベーターの中に踏み込めば、もう後戻りできないところにまで行ってしまうのではないかと。知ってはいけないものを知ってしまって、以前の自分にはもう戻れないのでないかと。そう考えると、少し怖い。


 しかし昨日のことでタツミにはもう、何か未知のものに対する恐怖というものに対して耐性ができてしまっていた。それともそれはただ単にそういったことに対して恐怖というブレーキが壊れていたのかもしれない。だがどのようであれ、今のタツミの心理状態は悪く言えば無鉄砲、良く言えば怖いもの知らずだった。一回瞳を閉じ、深呼吸し、閉じた瞳を開ける。それだけで覚悟はできた。


 タツミはしっかりとエレベーターの筐体の中へ一歩踏み入れる。その瞬間に扉が閉じられた。もう後戻りはできない。


「なあ」


 とガブが声をかけてくる。


「なんだ?」

「もしかして、ちょっと怖いとか思ってたのか?」

「え、ええと……」


 答えに詰まるタツミを見てガブはぷっと噴き出す。


「まあ別におちょくってるわけじゃねえよ。実を言うとオレもちょっと予感みたいなのを感じてさ」

「予感?」

「そうだ。なんか後戻りできないっていうか、見ちゃいけないものを見ちまうかもしれないって感じだよ」

「そっか」


 全く同じことを考えていたと知ってタツミはほっとするのと同時に、だから昨日の夕暮れのあの部屋でガブと出会うことができたのかもしれないとわけもなくそう思っていた。そんな彼らを無言で、しかし微笑を浮かべてユイは見つめている。


 ちょうどその時にチンという目的の階に到着したことをを示す音がした。扉が自動的に開く。


「うわぁ……」


 タツミは目の前に広がった光景に思わず声を漏らす。


 まず一番最初に目についたのが部屋の最奥の壁に設置された三台の巨大なモニターだった。それぞれが街中の映像だったり、地図を表示したりしている。その下にはずらりとパソコンが置かれたデスクが段々畑のように階段状に並べられていて、そこに特徴的な紺の制服を着た大人たちが右往左往している。そして一番上には部屋全体を見渡すことができる一際大きなデスクが置かれている。部屋は薄暗く、最奥のモニターの光のせいで暗い部屋がどこか不気味に照らされている。


 タツミはテレビで新幹線の管制室の映像を見たことがあった。それが一瞬浮かんだが、ここの規模は機材、人員ともにそれ以上だ。まるでアニメや特撮などの主人公が所属している秘密組織の指令室のような光景が目の前に広がっている。

 

「すげえ……」


 隣にいるガブもあっけに取られているのかタツミと同じように感嘆の声を漏らす。


 すると、部屋の一番上の、全体を見渡せるデスクに座っていた男性がタツミたちに気がついた。


「やあ。来てくれたようだね」


 男性が立ち上がり、近づいてくる。


 他の大人たちとは違い、上は制服は身につけておらず、白のワイシャツと紺のパンツという出で立ちだ。おそらくパンツだけは制服を着ているのだろう。顔立ちは疲れているのか目にくっきりと隈が刻まれていて、ひげの手入れもろくにできていないようでボサボサの無精ひげだ。しかしそれらを抜きにしてみればかなり若く見える。どれだけ高く見積もっても三十代前半ぐらいに見えた。


「あ、お父さん!」


 ユイの言葉にタツミは驚く。


「お、お父さん!? 朝桐の!?」

「その通りだ。ユイ、ここまで彼らを案内してくれてありがとう」


 男はユイに微笑みかけると、次にタツミとガブの方へ目を向ける。


「君が星野タツミくんだね? そして隣の君がガブくんか?」

「そ、そうですけど……」


 タツミはなんで自分たちの名前を知っているんだと疑問に思う。


「ああ、そうだけど、なんでオレらの名前を知ってんだ?」


 ガブはタツミの疑問を代弁するかのように男に尋ねる。


「実は昨日ユイから教えてもらったんだ」


 そこでタツミは昨日、ユイが話の途中で誰かと電話で会話していたことを思い出す。その相手はこの男だったのだ。


「おっと失礼。まだ名乗っていなかったね。私の名前は朝桐浩一郎。ユイの父親で、ここ〈特殊災害対策機構〉咲浜本部の本部長を務めている」


 どこかで聞いたような名前だとタツミは頭の中の記憶を探る。


「朝桐浩一郎!? あんたがか!?」


 ガブの声でその名前を聞いて、どこで聞いたかを思い出す。ガブがスマホから出てきて、彼からなぜ自分がこの世界にやって来たのかを説明された時に、父親の名前と一緒に出てきた名前だった。


「ああ。それがどうかしたかい?」

「オレは〈星野達也〉か〈朝桐浩一郎〉のどちらかに接触してそいつの言うことに従えって命を父上から受けてんだ。もしかしてその〈朝桐浩一郎〉はあんたなのか?」


 ガブの言葉、特に〈星野達也〉という名前のところで浩一郎の眉がぴくっと動くのをタツミは見た。もしかして父親の知り合いなのかとタツミは思う。浩一郎はそれからタツミを一瞥した後ガブに向き直る。


「なるほど、そういうことか……」

「えっ、なんだって?」


 小さく聞き取れなかった浩一郎の呟きにガブが反応する。


「いや、なんでもない。だがそこまで理解しているのなら話は早い。――もっとも、タツミくんは全く何のことかわからないだろうけどね」

「は、はあ……」


 浩一郎の指摘はタツミにとって図星だった。そしてさっきの浩一郎が一瞬タツミに寄せた視線。あれは何かに気づいたような目つきだった。自分の知らないことを気づいた上でのことなら知らないままでは気が済まない。


「ならば今の〈咲浜〉の、いや、この世界に起こっていることについて説明しなければならないな」


 少し大げさな口調で浩一郎は言う。


「今の、この世界?」

「ああ、そうだ。君だって気になるだろう? 昨日の〈怪獣〉がなぜ現れたのか、とかね?」


 そうだ。まさにそれを聞きに来たんだとタツミは思い出す。昨日からずっと抱えてきたモヤモヤをやっと晴らすことができる機会がやってきたのだ。


 タツミはこくりと頷く。すると浩一郎はこう言い放った。


「端的に言ってしまおう。我々の世界は今、侵略されている!」

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