06 ガブ、〈グロウアップ〉!

「……い、だい……か……」


 頭の中に声が響く。誰かに呼びかけられているようだ。


「お……、い……か……」


 力も入れていないのに体が少し動く。いや、動かされている。おそらく揺さぶられているのだろう。


 それが刺激になったのか、タツミはようやく目をゆっくりと開ける。


「大丈夫か?」


 目を開けるとガブが顔を覗き込んでいた。あまりにも心配そうな表情だったのが面白くて噴き出しそうになるが、我慢する。


「ああ、なんとか……」


 普通に声を出したはずなのだが、かすれて上手く発声できないことに少し驚く。心なしか体も少し重く感じる。


「お前、あんま怪我してないんだな。直撃してたのに」


 タツミはガブの全身を見て、意識を失う直前のことを思い出す。怪獣の尻尾はガブに直撃していたはずだったが、目の前のガブは擦り傷程度の怪我しかしていない。


「スピリットは頑丈だからな。こんぐらい平気だ。それよりもお前、自分の心配しろよ」

「どういう……」


 その時、タツミの片方の視界が赤く染まる。何か生温いものが額から流れ落ちてきた。手で少し触れてみるとそれが血であることがわかった。


 タツミは少し体を起こして自分の体を確認する。すると衣服のいろいろな箇所が何かに切られたように裂けていて、そこから血が出ていた。衣服の元々の色が鮮血の赤に上塗りされている。周囲を見ると元はショウウィンドウだったであろうガラス片がそこら中に散らばっていたので、それで切ったのだろうと考える。


「うわ、血まみれだ……」


 自分の身に起きたことながら初めてのことであまりに現実味がなく、つい他人事のように言ってしまう。


「一応傷は浅いみたいだからそんなに心配しなくていいと思うけどな。そうやって普通に動けてるところ見ても大丈夫そうだ」

「そっか、それならよかった」


 タツミは体を起こす。ガブを受け止めた際に骨が軋むような音がしたような気もするが、特に骨折などもしていないようだ。もちろん体を動かすごとに切ったところが痛んだが、すでに血は止まっているらしくそこからどくどくと血が湧き出してくることもなかった。タツミはふうと一息つく。


「それにしても、なんであんなことしたんだ?」


 ガブが問う。叱りつけようとするような険しい表情を浮かべている。


「あんなこと?」

「オレをかばったことだよ。こうなることはわからなかったのか? もしガラスの破片が首辺りを切ってたらどうなるかお前だってわかるだろ?」


 そう言われてタツミは首筋、頸動脈のあたりを触る。もちろんその部分に何事もなかったからこそこうやって普通に話せているわけだが、つい反射的に触ってしまった。そしてタツミは初めて自分のしたことの危険性を認識する。もしかしたら自分はあの時、運が悪ければ死んでしまっていたかもしれないのだ。そのことに気づいて背筋に冷たいものが走る。


「それに、さっきも言ったけどスピリットは頑丈なんだ。お前が庇わなくったって今よりちょっと傷がひどくなるだけで、特に問題はなかったんだ」


 ガブの口調はきついものだったが、タツミを見ておらず少し伏し目がちに言っていた。それはタツミではなく、どこかガブ自身に向けられているようにタツミは感じた。自分がもっと注意していればこんなことにはならなかったとでも言いたいように。


「……オレのしたことが無駄だったって言いたいのか?」


 そんなふうに思いながら、タツミはあえてこう尋ねる。


「あ、いや、別にそう言うことじゃなくてよ。別にお前までこんな怪我する必要なかったんじゃねえかって言いたいんだよ。ただでさえ、なんかこの事件に巻き込んだみたいになっちまってるしな」


 ガブはうつむく。やはりタツミの思っていた通りだった。ガブは自分がタツミをこの事態に巻き込んだ挙げ句、こんな大怪我をさせてしまったと罪悪感を感じているのだと。


 そんなガブにタツミは自分の今の素直な気持ちを言う。


「まあ、いいじゃん。結局ガブは怪我が少なくて済んだってことだろ?」


 ガブはタツミのこの言葉が理解できないようで、


「はあ?」


 と声を漏らす。頭の上に何個もの疑問符が浮いているようにタツミには見えた。


「オレ、あの時何も考えてなかったんだよな。体が勝手に動いたっていうか。助けなきゃってどっかでは思ってたかもしれないけど、でも全然そんなこと意識してなかったんだよな」


 さっきのことを思い返す。考えるよりも先に体が動いていた。目的なども考えず、ただ反射的に、自動的に、本能的に、そうしていただけだった。


「それにさっきからずっと、ガブには助けられっぱなしだろ? だからさ、今のことはその時の貸しを返してもらったとかそう思ってくれればオレはそれでいいよ」


 そう言い、タツミはただ笑う。それが嘘偽りのない、自分の本心だったからだ。


「お前、やっぱ面白え奴だな」


 ガブの険しい表情が消え、口元が緩んでいた。それを見てタツミも安堵する。


「そうか?」

「ああ」


 ふふふっ、と笑い合う二人。


 しかし、そんな中また地鳴りがして、腹の底に響くような衝撃音が聞こえてくる。


「やっぱりまだアイツを倒せてないのか」


 タツミはユイとフィンのことを考える。確かにガブの攻撃で〈怪獣〉を転ばせることには成功した。しかし彼女らの攻撃だけでは決定打にはならないかもしれないと、一度彼女らの攻撃を見ていたタツミは思う。


「だな、早くいかねえと、って……」


 ガブの視線がタツミの横にある何かに釘付けになる。


「それ、お前の奴だよな?」


 ガブはそれを指差す。


「え、ああ、ってなんだこれ?」


 ガブが指していたのはタツミのスマホだった。あの衝撃でポケットから抜け落ちていたのだった。


 しかし今は画面表示が普通ではなかった。なんせガブが出てきた時と同じように、白飛びするほどに強く光っていたからだ。


 すると画面から何かが勢いよく飛び出してくる。それはまるで横にいるタツミに吸い寄せられるかのように放物線を描いてタツミの元に落ちてくる。タツミはそれを両手で下から受け止める。


 タツミはそれに見覚えがあった。


「〈ソウルブラスター〉?」


 ユイが持っていた拳銃のようなもの、そして〈スタースピリッツ〉でスピリットを捕まえるのに必要なマストアイテムという設定の代物である。


 するとスマホから聞いたことのない音声が流れてくる。


『当スマートフォンを〈ソウルブラスター〉のソケットに挿入してください』


 感情の起伏がまるでない、無機質な女性の声だった。しかしタツミは言われた通りソケットを探す。そうしなければならないと直感で思ったからだ。するとグリップの真上の部分にちょうどスマホが入りそうなくぼみを見つける。そこに自分のスマホを入れる。すると拳銃の表面に彫られた直線的な黒い筋のような意匠に一瞬だけ虹色の光が走る。


 そして次のアナウンスが流れる。


『使用するバレットをタップしてください』


 言われて側面を見てみると、ちょうどスマホの画面をタップできるように、その部分だけ切り取られたように穴ができていた。


 バレットの種類は麻痺やトラップなど、ゲームで見たようなのとほとんど同じものばかりだった。しかし一つだけ、見慣れないものがあった。


「〈グロウアップ〉?」


 こんなものはあっただろうかと思う。タツミは〈スタースピリッツ〉で課金アイテムの購入画面をほとんど開いたことがない。なのでもしかしたらその中にこのバレットがあったのかもしれない。


 だが今はゲームではない。少々怖いもの見たさで試しにタツミは押してみる。


 すると、


『〈ソウルブラスター〉をバディに向け、トリガーを引いてください』


 一瞬意味がわからなかった。しかしそう言ったきり、スマホはうんともすんとも言わなくなった。


「バディってもしかして……」

 タツミはユイの言葉を思い返す。


『わたしのバディよ。『フィン』っていうの』


 ユイは隣にいた〈ウィリデサウルス〉をそう呼んでいた。タツミにはバディという言葉の意味はわからない。だがユイの言葉から推測するとバディとは今この時、隣にいるスピリットのことを指しているのではないか。そして今タツミの隣にいるスピリットは――


 タツミは視線をガブに向ける。


「お、オレ?」

「いや、だって、他にいない、よな……」

「で、でもよ、オレこいつに撃たれて捕まったんだぜ? なんでまたオレが撃たれないといけないんだよ?」


 これに撃たれて捕まったということは〈スタースピリッツ〉でのことかとタツミは考えるが、今はそこが重要ではないとタツミにはわかっていた。そして音声アナウンスの放った言葉の意味を改めて考える。


 ゲームでの〈ソウルブラスター〉はスピリットを捕まえるためのものだ。それを味方のガブに撃てということは、一体どういうことなのだろうか。


 しかしまた地鳴りがする。天井からぱらぱらと何か細かいものが落ちてくる。それで自分に迷っている時間はないことに気づく。どっちみち決定的な何かに賭けないとこの状況を打開できないことはタツミも理解していた。


 息を飲んで銃口をガブに向ける。


「お、おい、本当にやる気か?」


 ガブの声が震えている。さっきまでの威勢はどこへやら、完全に怯えていた。


 タツミも同様だった。こんなにもわかりあえた相手を撃つことが怖い。撃った後どうなるかわからないのが怖い。もしかしたら傷つけてしまうかもと思うと手が震えた。しかしやるしかない、と思考の奥のさらに奥深く、本能の部分が決断を下す。


 奥歯を噛み締め、引き金に指をかける。


 引き金を引くと、反動もなく、蒼い光が銃口から放たれた。


 そして――




 

 

 

「ダメだわユイ! やっぱり〈あれ〉を使うしかない!」


 フィンは叫ぶ。


「で、でも……」


 だがユイはフィンの言う〈あれ〉を使った後のことを考えてしまい、決断を下せない。


 しかもその間にも〈怪獣〉は彼女らに容赦なく攻撃してくる。ユイたちはなんとかそれを避けているが、これでは限界が訪れるのも時間の問題だった。


「やっぱりダメ! 〈あれ〉を使ったらアイツだけじゃなくて周りまで巻き込むことになる!」

「そんなこと言ったってあのスピリットをどうにかしないといけないのは変わらないでしょ?」

「だけど……」


 ぎりっ、と歯ぎしりするユイ。ユイは〈ソウルブラスター〉の側面から見える、スマホ画面に表示されたアイコンの一つを見つめる。そのアイコンの下には〈グロウアップ〉と表示されていた。


 しかし怪獣は彼女らの迷いに付き合ってはくれない。


 怪獣は後ろへと跳び、そして前足に力を込める。突進してくる前兆だ。


(やばい!)


 そう思ったときには怪獣はすでに走り出していた。トラック以上の体躯で乗用車の加速度で突っ込んでくる怪獣に、反応が遅れてしまった。回避が間に合うはずがない。


 ――しかし、一瞬のことだった。


 怪獣は横から突然現れた蒼い炎の塊に、横のビルの壁面に叩きつけられた。


「グ、ァ……」


 初めて漏れ出た〈怪獣〉の苦悶の声。なおも自らを押し込み続ける蒼い炎を振り払おうと乱暴に四肢を振るう。炎が風に舞う花びらのように踊り、その中から一つの小さな影が飛び出す。


 ガブだった。今怪獣をビルに叩きつけた蒼い炎を全身に纏っている。


 ユイは蒼い炎――ガブが出てきたビルを見る。確かそこはタツミとガブがショウウィンドウに突っ込んだビルだった。そしてそこから一つの人影が出てくるのを見た。


「星野くん!」


 全身がガラス片で切り裂かれ、血まみれのタツミがそこにいた。しかし重傷を負っているとは思えないほど、彼の足はしっかりとアスファルトの地面を踏みしめ、両の目は真っ直ぐに〈怪獣〉を見据えていた。


 ようやく〈怪獣〉が動き出す。しかし押し込められたビルから体を出す際に少しバランスを崩した。ガブの攻撃で負ったダメージのせいか体を自由に動かせないようだった。


「ガブ! 効いてるみたいだ!」

「よっしゃ、そんじゃサポート頼むぜ!」


 二人はそんな会話を交わし、そしてタツミがガブに〈それ〉を突きつける。


 〈それ〉を見てユイは驚愕する。


「あれって、〈ソウルブラスター〉!?」

「やっぱりあの子、あのドラゴン族のスピリットと〈リンク〉してたんだ!」


 ユイとフィンがそんな会話をしているとはつゆ知らず、タツミは次なるバレットを選択していた。


「行くぞガブ! 〈ブルーフレアブロー〉!」


 タツミが引き金を引き、蒼い光が銃口から走る。蒼い光はガブに当たり、そしてガブを纏っていた蒼い炎が大きく膨れ上がっていく。炎は徐々にガブの腕に絡みつくように動き、そして巨大な拳を作り上げる。


 その間に〈怪獣〉は完全に体勢を立て直す。


 怪獣が突進する。一瞬で間合いを詰める怪獣に、しかしガブは完全にタイミングを合わせる。


「オラァ!!」


 タイミングを見計らって放ったアッパーカットが見事に怪獣の顎に直撃する。その威力は周囲に衝撃波が走り、巨大な怪獣の体が浮き上がるほどだった。


 ガブは上を仰ぎ、浮き上がった怪獣よりも高く跳ぶ。炎の両拳を固く握り合わせる。そして体を反らせて少し振りかぶった後、思いっきり怪獣に振り下ろす。


 怪獣の体が一瞬へしゃげ、直後地面へ叩きつけられる。それからまるでゴムボールのようにバウンドする。


 高さがちょうど合ったところでガブは握り合わせた拳をほどき、そして両方の拳をそれぞれ握りしめる。


「うおぉぉぉぉぉッ!!」


 容赦のない拳のラッシュが怪獣を襲う。十数発のラッシュの後、振り抜いた拳が怪獣を遠くへ突き飛ばす。何度もバウンドしても勢いが消えず、〈怪獣〉は地面を転がり続ける。


「トドメだ! いいの頼むぜ!」

「ああ、任せろ!」


 タツミはスマホの画面をタップする。直感でバレットを選んでいた。


「〈ブルーフレアブラスト〉!」


 放たれたバレットが当たると、両の拳の炎が消え、その代わりガブの口から溢れんばかりの蒼い炎が迸る。


 〈怪獣〉はダメージが大きいせいかその太い足を支えにしても立ち上がることすらできない。


「行けぇガブ!!」


 タツミのその言葉を合図にガブは口の炎を放つ。しかしそれは圧縮しすぎて炎というよりもむしろビームだった。広がるはずの炎は一直線に怪獣に向かい、そして怪獣に当たった瞬間周辺の物や空気もろども爆発的に炎上する。猛烈な爆風が周囲を襲い、黒煙がそれに乗って飛ばされ、視界が遮られる。


 ユイは咄嗟にフィンを自分の胸に抱え、しゃがみこんで暴力的な風を耐える。


 やがて風が収まり、ユイは爆発したほうを見る。


 蒼い炎と立ち上がる黒煙の元、ガブとタツミが〈怪獣〉のいるであろう方向を、静かに睨みつけていた。

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