05 本番はこれから

 裂け目に入った二人だが、すぐに見慣れた場所へと出てきた。


「あれ?」


 そこは彼らがまさに今、裂け目に入ったその場所だった。


「どうなってんだ?」


 タツミはさっきまで隠れていた場所、つまり車道の向かい側を見てみる。そこにある『一旦止まれ』という意味の道路標示や近くにあった『侵入禁止』の標識の錆び方まで同じだった。


 タツミは拍子抜けした。あんなへんてこなものに突っ込んだのだから、何かとんでもない場所に入るのではないかと思っていたからだ。


 しかしガブは何かを感じ取ったようで、


「多分ここはオレがお前に捕まる前までいた場所だ」


 と言った。それからタツミの腕から離れて地面に着地する。


「本当か?」

「ああ、〈スピリットワールド〉からこっちへ抜けてきたときに感じた空気感と全く同じだぜ」


 その直後、衝撃音と同時に大きく地面が振動する。さっきと同じように路地裏から顔を出して周囲を確認する。そこには抉れた地面や引き裂かれたガードレール、破断された歩道橋はあった。それはさっきまで彼らが見ていた光景と何ら違いはない。が、燃え盛る自動車や横転したバスは存在しなかった。


 そしてそれらの中心に奴はいた。〈怪獣〉は今も見境なく暴れている。しかも今度は体が透き通っていない。


「あいつ、今度はちゃんと見えるな」

「やっぱり、オレの勘を信じてよかっただろ?」

「へへっ、人間にしちゃあなかなかやるじゃねえか」


 二人は頷き合う。タツミの中にあるこの未知の生物に対する親近感がより強まる。どこか自分と似ているような気がして、今以上にもっと仲良くなれそうな気さえした。


 しかし今はそんなことを考えている状況ではない。今からようやくまともに〈怪獣〉と戦うことになるのだ。


 〈怪獣〉の出方を見るために二人はもう一度注意深く観察する。


 〈怪獣〉の前に一人の人間と、その隣に一体のスピリットがいた。さっき裂け目を作り出した朝桐ユイとその隣にいた〈ウィリデサウルス〉であり、彼女らは〈怪獣〉と対峙していた。ユイの手元には拳銃のようなものが握られている。


(あれは〈ソウルブラスター〉か?)


 〈スタースピリッツ〉におけるマストアイテム、〈ソウルブラスター〉。それらしき物体を持ったユイはその引き金を引く。するとゲームの通り蒼い光がその銃口から発射される。しかし怪獣の巨躯に対しては無力に等しかった。当たったところでそこが少し焦げた程度であり、〈怪獣〉は全く意に介していなかった。


 その隣の〈ウィリデサウルス〉も〈怪獣〉に向かって攻撃する。そのスピリットの周囲に水の玉が数個浮いており、それらが一斉に怪獣に向けて発射される。〈ウィリデサウルス〉の能力は水を操る能力で、今の攻撃もタツミはあのスピリットの技としてゲーム内で見たことがあった。しかしそれもどうやら効いていなさそうだった。〈怪獣〉は攻撃を全て受けた上で、すぐにその太い前足を振り回し、伸縮自在の尻尾を地面に突き刺すように伸ばす。その衝撃によってユイとスピリットは吹き飛ばされる。


「ったく、見てらんねえな」


 ガブは我慢できないとばかりに路地裏を出る。そして、


「お前はここで待ってな」


 そう言うと、ガブは暴れる〈怪獣〉の元へと走り出す。


「お、おい、ガブ!」


 タツミの声はガブには届かない。少しの助走――それでも人間の出せるであろう速度を超えている――の後、ガブは畳んでいた背中の翼を広げる。ガブは地面を舐めるようにスレスレを飛び、そして起き上がろうとしていたユイたちの真横を通過して、その勢いのまま〈怪獣〉の体に体当たりする。


 〈怪獣〉の体が少し後ろに退がる。ユイの隣のスピリットと、明らかに格が違う攻撃力にタツミは驚く。


 しかしそれだけだった。〈怪獣〉は体に取り付いたガブを振り払う。それに合わせてガブも後ろに跳ぶ。しかし地面に着地した途端、〈怪獣〉の前足がガブを薙ぎ払うように迫る。


「おっと!」


 ガブはそれを宙返りしながら躱す。だが怪獣の追撃はそれだけでは終わらず、ガブは徐々に後退していく。


 タツミはそれを建物の影から見ていた。攻撃されているガブは心配だったが、〈怪獣〉がガブに集中している今がチャンスだと、少し怪獣から離れた場所に退いていたユイの元へ駆け寄る。


「朝桐!」


 声を張り上げてその名を呼ぶ。


 そして振り向いたユイはその場にいないはずの彼を見て目を見開く。


「え、星野くん!?」


 ユイの声は驚きのあまり裏返っていた。


「なんでここにいるの?」

「朝桐がなんか穴っていうか裂け目っていうか、そういうの作ってるところ見てたんだ。それで、あそこに入ったらどうにかなるかもしれないって思って……」

「どうにかなるかもって……」


 〈怪獣〉と戦うガブを一瞥するユイ。状況的にタツミが連れてきたのだと考え、タツミの言わんとしたことは理解できた。が、やはりこのことは言わざるをえなかった。


「そもそもなんでこんな危ない場所に来てるのよ?」


「……」


 それに対し、タツミは少しだけ考えるが、やはりさっきガブに向かって言ったことしか返すことができない。


「なんとなく、かな……」


「はあ?……」


 呆れ返ってそれ以上言葉が出ないユイ。しかしタツミにはこれ以上ここに来た理由を説明する言葉を持たない。本当になんとなく、衝動的に来てしまったのだから。


 それを察したのか、ユイは「まあいいや」と言う。


「ところであのスピリット、どうやって出会ったの? もしかして〈わたしたちの世界〉に出てきてたの?」


 〈わたしたちの世界〉という言葉に一瞬戸惑うが、結局はなんでガブがここにいるのかと尋ねているということを理解すると、特に脚色もせずありのままにその様子を答える。


「いきなりスマホが光って、そこから飛び出してきたんだ」


 その瞬間、ユイの表情が一変する。そして少しうつむいて何かを考え出す。


「ねえユイ、これって……」


 うつむくユイの顔を覗き込むように〈ウィリデサウルス〉が近づく。そこで初めて声を発した。少し低めの少女のような声音だった。


「うん、もしかして……」


 そんな呟きがタツミの耳に聞こえてくる。


「どうした? 何かあったのか?」

「あ、いや、別に何も……」


 ユイが言い淀んでいたその直後、ガブがタツミの隣に着地する。


「ああ、クソッ! アイツ、オレの攻撃が全然効いてねえ」


 ガブの言う通り、怪獣の体には傷一つ付いていなかった。そしてその血走った目はタツミたちのほうを睨みつけていた。確実にタツミたちは〈怪獣〉に敵として認識されたのだろう。


「多分、アタシよりこのドラゴン族のほうが攻撃力は上だと思う。それでも通じないっていうんならアタシの攻撃もやっぱり通じないと思う」

「やっぱりそっか……」


 ユイは手を顎に当ててまた考え込む。


「こいつら、一体誰だ?」


 ガブがユイと隣の〈ウィリデサウルス〉を見て言う。


「えーと、クラスメート? 後は……」


 隣の〈ウィリデサウルス〉がどういう立ち位置なのかわからないタツミは言葉に詰まる。


「わたしのバディよ。『フィン』っていうの」

「よろしくね」


 フィンと呼ばれたスピリットはどんぐりのようにくりっとした目でウィンクする。


 しかしガブははっと何かに気づく。


「ッ!! やべえ!!」


 ガブは二人を横に押し出す。


 直後、さっきまでいた場所に〈怪獣〉が上から落ちてきた。いや、跳んできた。〈怪獣〉の巨体の全体重を乗せたその一撃はまるで地震のように地を揺らし、その衝撃で地面が砕け、瓦礫や粉塵となって周囲に飛び散る。


 煙を吸い込んで咳き込むタツミ。粉塵が目に染みたが、それでも目を開けて近くにガブやユイがいることを確認する。


「あ、ありがとう、ガブ」

「礼なんて言ってる場合じゃねえぞ。ここはあいつの攻撃範囲内だ」


 ガブの言う通りだった。視界のほぼ全てが〈怪獣〉の巨躯に覆われていた。それほど間近に〈怪獣〉がいた。


「フィン、どこ!?」


 フィンの姿を探して周囲を見回すユイ。そんな彼女の上から、空中を泳ぐかのようにフィンが近づいてくる。


「フィン!」


 バディの姿を見てユイはほっと息をつく。


「怪我とかしてない?」

「大丈夫。ちょっと吹っ飛ばされただけでどこもぶつけてないわよ」


 その言葉で判断力が戻ってきたのかユイが言う。


「ちょっとアイツと近すぎるわ。距離を取ろう」

「あ、ああ!」


 タツミもそれに応じ、そのまま大通りから脇道へと逸れて〈怪獣〉から離れる。幸いにも〈怪獣〉にバレることなくその場を去ることができた。


 タツミたちは大通りに並行している脇道を走る。。


「とにかく離れることはできたけど、あのまま放って置くわけにもいかないよな?」


 タツミが尋ねると、ユイは「もちろん」と答える。


「こっちでの被害は、わたしたちが普段暮らしてる世界にも影響が出るの。ここにいるってことは、星野くんも十分わかってると思うけど」


 ユイの言う通りだった。そのおかげでタツミは死ぬような思いをしたのだから。


「でもどうするの? あいつにこのまま攻撃しても通じないわ。


 ユイ、やっぱり〈あれ〉を使うべきだわ」


 フィンが進言するも、ユイは首を横に振る。


「ダメよ。〈あれ〉はあの〈怪獣〉と同じくらい向こうにも影響が出る。そんな簡単には使えないわ」


 〈あれ〉って何のことだとタツミが思っていると、ガブが二人の会話に割って入る。


「とにかく、あいつは暴れまわってる。それでオレたちはまともに攻撃ができない。一発一発当てたところでアイツの体は硬すぎるから攻撃が通じない。今のところ問題はこんなところなんだろ?」

「ええ、そうよ」


 ガブの投げかけにユイが応じる。


「だったらよ。動けなくしちまえばいいんじゃねえか?」

「どうやってよ?」

「アイツを転ばしちまえばいいんだよ。その隙に一気に攻撃を叩き込めばいい」


 しかしガブの提案にフィンは反論する。


「攻撃がそもそも通じない相手をどうやって転ばすのよ?」


 だがその反論にもガブは自信ありげに返す。


「それは攻撃する場所が悪いからだろ」


 そう言うとガブは走る向きを変え、再び車道の方へ向かう。


「あ、おい、ガブ!」

「まあ、見てなって!」


 車道へと出るガブに仕方なくタツミたちもついていく。〈怪獣〉とはある程度離れていたが、それでもまだ怪獣が突進してくれば避けることはできないぐらいしか距離が取れていなかった。


 ガブはそんなことはお構いなしに真っ直ぐに怪獣めがけて走り出す。〈怪獣〉もガブの存在に気がついた。少し離れているためかよりリーチの長い尻尾を天高く伸ばす。その間にもガブは地面から足を離し、さっきのように翼を広げ、地から足を離す。


 しかし今度の狙いは〈怪獣〉の胴体ではない。その巨躯を支える前足に一直線に向かってぐんぐん加速する。


 そして〈怪獣〉が反応できない速度でガブは〈怪獣〉の左前足に体当たりする。


 その瞬間、怪獣の足が地面から離れ、バランスを崩す。そしてゆっくり地面に倒れ込む。重さのせいかそれだけで地面のアスファルトが砕ける。ガブはその間にまた反動を利用して後ろに跳んで着地する。


「やった!」


 その様子を見ていたユイが歓喜の声を上げる。そしてこれが反撃の好機だと捉える。


 が、タツミは別の場所に注目していた。


 ガブが離れた場所にいた時、〈怪獣〉が彼を仕留めようとして伸ばした尻尾。それが〈怪獣〉が倒れるのと同時にちょうどガブの高さまで降ろされていた。そしてそれが今、水平に薙ぎ払われようとしていた。


「ガブ!」


 タツミの声でガブは自らに接近する尻尾のことに気づくが、反応が遅れた。振り払われる尻尾をガブは避けることができず、直撃する。


 タツミの体は勝手に動き出していた。今までのタツミの動体視力や走力では、吹っ飛ばされるガブの姿を捉えることも、走って受け止めることも限りなく不可能だっただろう。しかし今はなぜか吹き飛ぶガブの体がまるでスローモーションのように見え、そして体が軽く感じる。足が速く前に出る。さっきから自分の体に生じていた違和感について何も感じないわけではないのだが、そんなことを考えている余裕は今のタツミにはなかった。


 吹き飛ばされたガブをタツミは受け止める。しかしその威力は予想以上で、ガブの体が自分にめり込んでくるようで、肋骨あたりからミシミシと軋んだ音がしたような気がする。衝撃が骨を突き抜け、胃や肺に入っているものすべてが押し出されるような感触がした。


 タツミとガブはそのまま後ろのビルのガラスのショウウィンドウに突っ込む。そして派手にガラスの破片を撒き散らしながら、建物の中へと消えていった。

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