04 〈怪獣〉の咆哮
タツミは住宅街を、時々スマホに表示されているマップを確認しながら走る。すでに空の色は東から、夕暮れのオレンジから夜の黒に変わり始め、夜の部分から星々がちらちらと見え始めていた。
マップで確認しているのは青い点、つまりガブの位置だった。突然進む向きを変えたりした場合のことを考えての『ながらスマホ』なのだが、ガブに進行方向を変えるような動きは今のところ見当たらなかった。
その中でタツミは自分の体に対して違和感を感じていた。
(なんでオレ、全然疲れないんだ?)
タツミは自分が全速力を、いやそれ以上の速度を出していることにようやく気づいた。しかしそれでも今は少しジョギングをした程度しか呼吸が乱れていない。こんなペースで走り続けていれば普段なら一分と持たずに倒れ伏して動けなくなっているはずだ。
ただその理由を考えている暇はなかった。これだけ速く走っていてもガブとの距離は引き離されるばかりだったからだ。この速さはやはりガブがスピリットだからなのかとタツミは思う。
やがて住宅街を抜け、大通りに近づいてきた途端、タツミは爆発音を聞く。そう遠くない位置からだった。そして通りへ出ようとした瞬間にタツミは足を止める。
大通りは爆発音のした方向とは真逆の方向に、誰も彼もが顔に恐怖の表情を貼り付け、逃げるように人々が走っていた。それはまるで川の奔流を思わせ、ひと度そこに入ればどれだけ抵抗しようとも流されてしまいそうだった。
タツミはここに飛び込むか迷う。手元のスマホを確認する。ちょうど爆発音のした方向、つまりこの奔流の向きとは逆方向に赤い円があり、すでに青い点――ガブもそこに到達しそうだった。そしてそこへ向かうにはこの奔流を逆行するしかない。
「クソッ!」
タツミは真横から人の流れに紛れ込み、彼らをかき分けて進んでいく。もちろんその中をさっきまでの勢いで走ることはできず、途中で邪魔だとか怒声を浴びせられたり、足を踏まれたりもしたが、それでもなんとか少しずつでも進んでいく。
そうしているうちに人の数が少なくなっていった。タツミはそこからはもう一度走り出す。進めば進むほど、逆に人は少なくなっていく。
そしてついにその場所にたどり着いた。
しかしその有様にタツミは絶句する。
「なんだよ、これ……」
まるで地獄のようだった。地面は抉られ、歩道のガードレールは引き裂かれ、留め置いていたのであろう車からは火が噴き出していた。そこにさらに異様な存在があった。
それは〈怪獣〉としか形容できない存在だった。長い体にクマのような太い四肢、引き裂いたように広がる口には触るだけで傷つけられそうな鋭い牙が生え揃っていた。
しかしさらに異様なのはその〈怪獣〉の体が透けている状態だった。その〈怪獣〉の茶色の毛並みはちゃんと見えるのだが、〈怪獣〉の体からは後ろで燃え盛る車の炎まで透けて見えている。
そして、
「オラァッ!!」
ガブはそんな〈怪獣〉に向かって飛びかかっていた。〈怪獣〉の真上に背中についた翼で飛び上がり、それから一気に降下する。体をくるりと回転させて足が下に来るように体勢を変え、弾丸のような速度で〈怪獣〉に突っ込む。
しかしその攻撃は〈怪獣〉の体をすり抜け、地面に直撃する。地面が爆発し、瓦礫や粉塵となって周囲へ飛び散る。
「クソッ、なんで当たんねえんだ!?」
ガブは警戒してすぐに〈怪獣〉から距離を取るため後ろへ飛び退く。
「ガブ!」
そんなガブにタツミが声をかける。するとガブは振り向き、そして目を見開く。
「お前、なんでここに!?」
しかし〈怪獣〉は二人に会話の機会を与えない。〈怪獣〉はその太い前足や自在に伸びる尻尾で暴れまわる。しかしその攻撃は特にタツミや攻撃を行ったガブを狙っているわけではなさそうだった。その手当たり次第な攻撃をガブは避ける。その様子をタツミはただ見ていることしかできない。
そしてガブがタツミの隣に着地した瞬間だった。〈怪獣〉が前足にぐっと力を込め、タツミたちのほうへ突進してきたのだ。
「チッ!」
ガブは舌打ちをして、タツミの体に飛びつく。あまりに勢いがあったため、タツミは一瞬衝撃で意識が飛びそうになる。そのまま二人は近くのビルとビルの間の路地裏に飛び込む。〈怪獣〉はそれに気づいていないのかただ止まれないのか、さっきまで彼らのいた場所を通過する。そしてその奥にあった歩道橋に突っ込んでそれを破断し、耳をつんざくような轟音が周囲に響き渡る。
路地裏を何回か転がってタツミは起き上がる。少し目が回っていて、衝撃もあって何回か咳き込む。
「あ、ありがとう……」
「どうも」
ガブはぶっきらぼうに言うだけでビルの影から〈怪獣〉の様子を伺っていた。タツミはとにかく自分の置かれている状況を確認しようと周囲を見渡す。大通りに入る手前の道路には『一旦止まれ』を意味する真っ白な線の道路表示や、建物の近くには大通りに向けて『侵入禁止』の標識が立っている。立てられてからそれなりに時間が経っているのか、標識は塗装が剥げたり、剥げてむき出しになった金属部分が赤褐色に錆びていた。
「なあ、ガブ」
タツミがガブの隣から〈怪獣〉のいるであろう方向を覗く。
「なんだ?」
ガブがタツミの方を振り向く。
「あれもスピリット、だよな?」
タツミは尋ねる。実はタツミにはあの〈怪獣〉の姿に見覚えがあった。〈スタースピリッツ〉のプレイヤーなら始めたばかりのころに誰でも捕まえているであろう種族、〈サベージウィーゼル〉とそっくりだったのである。もちろん最初に捕まえたときはイタチやカワウソのように愛嬌があるのだが、ランクと呼ばれるそのスピリットのレア度や強さの度合いを示すパラメータを上げた際に、今の〈怪獣〉のようなたくましい姿に形態が変化する。ただゲーム内ではそれでもその瞳は穏やかでランクを上げる前の愛嬌は残っているのだが、あの〈怪獣〉の赤く光るように血走った目にそのような穏やかさや可愛らしさはどこにもない。
「ああ、そうだぜ。それがどうかしたか?」
「いや、だっておかしいだろ? ゲームの中にしかいない奴が、ここに出てきて大暴れしてるなんて……」
そう言いながら、目の前にいる存在もそのゲームから現れたことを思い出すタツミ。もう何が現実で、何がゲームのことなのか頭がこんがらがりそうだった。
「ゲームってのが何なのかわかんねえが、でもあいつは確かにここにいる。なんでかオレの攻撃はすり抜けちまうけどな」
タツミの疑問に確信を与えるようにガブは言う。そう、確かにあの〈怪獣〉は実在している。目の前の地獄絵図を作り上げたのは紛れもなくあの〈怪獣〉である。これは現実に起きていることなのだ。
「ちくしょうが。あいつに攻撃が当てられたらいいんだが……」
〈怪獣〉の様子を見ながら悪態をつくガブ。イライラしているのか貧乏ゆすりをしていることにタツミは気づき、どこか人間臭さを感じて親近感が湧く。
しかしそこでタツミに一つの疑問が浮かんだ。
「なあ、なんでお前、あいつと戦うんだ?」
「……どういうことだ?」
何を言っているんだというふうにガブは首をかしげる。
「お前、オレの父さんに会うために来たんだろ? だったらあいつと戦う理由がないと思うんだけど」
タツミの指摘にガブははっと気づいたような顔になる。今の今までなぜ戦うのかを気にかけてすらいなかったようだった。
「まあ、なんつうか……」
ガブはうまく説明ができないらしく言葉に詰まる。少し宙を仰ぐ。自分の考えを適切に表現する言葉を必死に探しているようだ。
そうして出てきたのが次の言葉だった。
「オレの勘だ」
「勘?」
タツミはオウム返しにガブの言葉を反復する。それで理解ができるかもしれないと思ったが、やはりガブの言うことは理解できなかった。
「あいつを倒すこと。それがオレのやるべきことと関わってる、ような気がする」
「気がするって……」
そんなことのために、こんな場所に飛び込んできたとでもいうのだろうか。タツミは呆れて次の言葉を紡げない。
だが、ここでタツミは予想外の反撃にあう。
「でもお前もオレのこと言えねえだろ」
「え?」
ガブが何を指摘しているのかがわからない。思わず漏れた言葉に構わず、ガブは続ける。
「お前だってわざわざこんな危ねえ場所に来る理由なんてなかったはずだぜ? 特にただの人間であるお前にはな」
「あっ……」
そうだった、とタツミは思い出す。自分がここに来たのは放っておけない衝動に突き動かされたからだった。一応行くか行くまいか悩んだがそれも一瞬で、結局のところほぼ衝動的に家から飛び出していた。タツミもガブのことをとやかく言えるような立場にはいないのだ。
「オレ、何も考えないでここに来ちまった……」
その通りタツミはガブと同様、何も考えないも同然に生身でこの戦場のような場所に飛び込んでいたのである。
「そうかい。お前、割と面白え奴だな。気に入ったぜ」
しかしガブはそれを咎めない。むしろ興味が湧いたというようにその口元が緩む。
それからガブは再び〈怪獣〉――暴走するスピリットを見つめる。
「だけど、お前はそこで待ってな。あいつと戦えるのはオレだけだ」
「お、おう……」
確かにその通りだ。武器も何も持たず――そもそもそんなものを扱えるのかはともかく――生身のタツミにあの見境なく暴れる化物を止めることも、ガブの手助けをすることもできない。が、同時にタツミはこのままではあのスピリットを止めることはできないと悟っていた。まず攻撃がすり抜ける以上、いくらガブに奴と渡り合える力があっても無意味だ。
どうにかできないかと思いながらガブの後ろから見える範囲で周囲を見渡す。だがあるのは抉れたビルの壁面や横転したバスなどで役に立ちそうなものは一つもない。
すると車道を挟んで反対側に人影があることに気づく。その人物はこちらに背を向けていたが、後ろ姿や服装に見覚えがあった。
(あれって、朝桐か?)
どうして彼女がここに? と思うと彼女の隣に何かが浮いているのが見えた。それはまるで蛇のように長い体で、翠の鱗を纏い、背や尾のほうにヒレがついていた。これも見覚えのあるスピリットだった。タツミは自分の頭の中にあるスピリット辞典に検索をかける。確か〈ウィリデサウルス〉という名前のスピリットだったはずだ。なぜ蛇のような姿なのに〈サウルス〉という恐竜のような名前がついているのかというと、ランクを上げた際に起こる形態変化後の姿が首長竜にそっくりだからだ。
そんなことを考えていると、朝桐らしき少女は腕を前に突き出す。突き出した腕を真上に上げ、それから勢いよく上から振り下ろす。すると彼女らの前に、真っ白な裂け目としか言いようのないものが現れる。そして彼女と隣のスピリットはためらうことなく、その裂け目へと入っていく。そして裂け目に足を踏み入れた途端、その姿が消え失せる。
一連の出来事を呆然と見ていたタツミ。〈怪獣〉の暴れている状況も理解できなかったが、今目の前で起こった出来事もタツミの頭の処理能力を超えていて、理解が追いつかない。
しかし、
(……もしかしたら!)
あることを思いつき、タツミはガブに声をかける。
「なあ、さっきお前がここに来たのは自分の勘だって言ったよな?」
「あん? ああ、そうだけど」
「じゃあさ……」
タツミは何の前触れもなくいきなりガブを抱きかかえる。
「お、おい何を!?」
「ちょっと今はオレの勘に付き合ってくれ!」
タツミは路地裏から飛び出し、歩道のガードレールを軽く飛び越える。車道に出た瞬間に一瞬だけ〈怪獣〉の方を向き、こちらを向いてないことを確認すると後は裂け目の方へ一直線に駆ける。
「あ、ありゃあ何だ!?」
ガブが裂け目について尋ねるが、タツミは答えない。否、答えている暇がない。裂け目は徐々に狭まりつつあったからだ。
間に合えと祈りながら、足を前に出すタツミ。
そしてギリギリタツミの体が収まりそうな大きさまで縮んだところでタツミは裂け目の中に突っ込む。タツミとガブ。二人の存在がこの世界から消える。
その直後、裂け目は跡形もなく消滅する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます