03 突然現れたソイツ

「これで、大体終わったかな……」


 タツミはリビングを見渡す。そこに積まれていたダンボール箱はほとんどが中身を片付けられ、部屋の片隅で解体されて平積みにされている。


 家に帰ってから片付けの続きを済ませ、自分の部屋とリビングに置かれていたダンボール箱の片付けを終わらせたのだ。残りは母親のプライベートなものだけで、それには触らないように言われていた。母曰く、仕事に関係のあるものも入っているらしい。なのでタツミも興味はあったが触らないようにしていた。


 時間はすでに夕暮れ時だった。今日が母の初出勤だったので、おそらく今日は夜になってもなかなか帰ってこないだろうとタツミは推測する。店長を任されるようになってから、転勤のたびに初出勤の時は定時を大きく超えて帰ってくるのが常だった。今までは居を移さないでも済む場所の店を任されていたが、ついにそうもいかない場所の店を任されることになったため、こうして咲浜に引っ越すことになったのだ。


 ただタツミにとってはもう慣れっこだった。むしろ最近は自分の好きなようにできる時間だと思えるようになってきていた。


 まだこの時間に見たいテレビ番組などもなかったので、自分の部屋に向かうタツミ。とりあえず最近気に入っている動画配信者の動画を見ようと思う。そして気づく。


(そういや、あの後スマホ全然見てなかったな)


 あの少女と子猫の一件以降、スマホの確認をしていなかった。もしかしたら母から何かしらの連絡が来ているかもしれない。タツミはポケットからスマホを取り出す。


 しかしスマホの画面を見てタツミは怪訝な表情を浮かべる。


「なんだこれ?」


 スリープから目覚めたスマホは、何度も『セーブデータを転送しています』という表示と『データ転送エラーが発生しました』という表示を繰り返していた。こんなことは初めてだった。


(どうなってんだ? まあ落とせば元に戻るか)


 おかしいことはおかしいが、どうにかなるだろうとタツミは考える。アプリを落とそうとして液晶に表示されているホームボタンを押そうとする。


 ――その瞬間だった。


「な、なんだッ……!」


 突然、画面が強い光を発し始めた。あまりの光量に画面が白飛びしていて、タツミは画面を直視できずに腕で目を光から守ろうとする。


 しかしその前にスマートフォンの画面から何かが出てきた。なぜ〈何か〉と表現したのかというと、次の瞬間にはタツミの顔面に衝撃が走り、体がのけぞるようにふっ飛ばされていてその存在を確認できなかったからだ。その次にタツミの視線は天井へと強制的に向けられ、直後には尻もちをついていた。


「い、てて……」


 強打した尻を擦るタツミ。今日はよくケツを打つなあと、少し涙目になりながら天井を向いていた顔を少しずつ下げていく。


「な、何なんだよ、一体……」


 語尾に近づくほど、声量が小さくなっていった。それは目の前にいた存在にあっけに取られたからだ。


 トカゲかワニのような爬虫類に似た頭で、体の色は空のように蒼く、そしてぬいぐるみのようなずんぐりとした体格をしている。まるでマスコットのような見た目だが、その後ろにはそれに似つかわしくない一対のたくましい翼が生えていた。


 間違いない。タツミが昼間に〈スタースピリッツ〉で捕まえた〈ドラゴン族〉そのものだった。


「え、ええ……?」


 理解のできない事態に言葉にならない声が漏れる。


 そのスピリットらしき存在は仏頂面といった感じでタツミを見つめる。


「テメエだな?」


 唐突にスピリットは口を動かして言葉を話した。まだ声変わり寸前の少年のような声だった。


「へっ?」


「テメェだな! オレを捕まえやがったのは!」


 突然怒声を上げてスピリットはタツミめがけて飛びかかる。反射的にタツミは両腕で頭を庇う。


 しかし、ぎゅるるという場違いな音が鳴った。そしてスピリットはタツミの場所まで届くことなく、床に力なく落下する。


「お、おい、どうした!?」


 タツミが恐る恐る近寄る。言葉を話すとはいえ、ついさっき怒声を浴びせて敵意をむき出しにしてきた相手だ。近づいた瞬間にその大アゴでバクリと噛まれてもおかしくない。


 しかし床に倒れ込んだスピリットは、


「は、腹減った……。……もう、動けねえ……」


 と小さく呟く。それでタツミは脱力する。


「なんだよそれ……」


 タツミは安堵し、しかしそのまま放置もなんだかかわいそうに思えたため、リビングに戻って何か食料がないか探す。恵が帰ってきていないためご飯は用意できないが、幸いお菓子類がリビングの机の上の、小さなカゴの中に入っていた。


 タツミはカゴごと部屋に持っていき、その中に入っていたビスケットの袋を開けてスピリットに差し出す。


「これ、食えるか?」


 するとスピリットの鼻がピクピク動き、次に大アゴが開き――


「ぎゃあぁッ!!」


 タツミの右手はビスケットごと大アゴにバクリと噛まれたのだった。

 



 

 

 用意されたビスケットやチョコレートを次々口に運ぶスピリット。タツミはそれを正座して見つめていた。噛まれた右手は今も歯型が残り、赤く腫れ上がっていた。


「あのー……」


 おずおずとタツミが尋ねる。


「なんだ?」

「お前、スピリット、なんだよな?」


 そんなタツミの質問にスピリットらしきそいつはさも当然の如く、


「当たり前だろ」


 と答える。


「当たり前って……」


 その一切の迷いのない回答に逆にタツミは惑わされる。〈スピリット〉はあくまでゲームの中の、架空の存在のはずだ。それがなぜ今、自分の目の前に存在するのか。タツミは今でもこれは夢ではないかと疑っていたが、右手から伝わるひりひりとした痛みが、今この瞬間がまさに現実であるということを突きつけて来るのだった。


「ああ、そっか、人間はオレたちのことをほとんど知らないって父上も言ってたか」


 スピリットは宙を仰ぎ、何かを思い出したようだった。


「父上?」

「ああ、そうだ。オレたちの族長で、オレはその跡取りなんだ」


 誇らしげに語るスピリット。タツミはスピリットの言った〈族長〉という言葉に引っかかりを覚える。


「族長ってことは、お前みたいなスピリットがいっぱい住んでる場所があるってことか?」

「こっちの世界にはないな」

「こっちの世界?」


 何の話だ? と困惑するタツミ。しかしスピリットはそんなタツミを余所に話を続ける。


「そうだ。オレはスピリットたちの住む世界、〈スピリットワールド〉から来たんだ」

「……そ、そうか……」


 そんな設定、〈スタースピリッツ〉にあったかと疑問に思う。さっきから現実離れしたことが続いてイマイチ現状を把握しきれない。このスピリットにしても、このままここにいたとして母親になんて言われるかわかったものじゃなかった。


 そしてなおもお菓子を貪り食うスピリットを見て一つあることに気づく。


「そういえば、お前、なんて呼べばいいんだ?」

「いきなりどうした?」

「いや、種族名でいいなら〈カエルラドラゴン〉って呼べばいいけど、長いしさ」


タツミは捕獲完了画面の次に現れたステータス確認画面に表示されていた種族名を思い出す。ドラゴン族のスピリットを捕まえられて興奮はしていたが、そういう確認は怠っていなかった。確かにそこには〈カエルラドラゴン〉と書かれていたはずだ。


「……そういえばまだ名乗ってなかったな。オレの名前はガブだ」


 名前を聞いてタツミは少し拍子抜けした。族長の跡取りだなんだなどと言っていたから〈ナントカカントカ何世〉みたいな大層立派な名前かと思っていたが、これではまるでペットにつけるような名前だ。ただマスコットのような彼の見た目にはピッタリだとは思った。


「オレは星野タツミだ」


 目の前のスピリット――ガブが普通に言葉を話す存在であるためか、自然とタツミは普通に人間相手に自己紹介するような感じで名乗っていた。


 するとその名前を聞いてガブの眉がぴくっと動く。


「お前、今〈星野〉って言ったか?」

「あ、ああ、そうだけど?」


 それがどうしたんだとタツミは思う。


「オレがここに来たのは父上からの命を受けたからだ。人間たちの住む世界へ行き、〈星野達也〉か〈朝桐浩一郎〉という人間と接触し、彼らの指示通りに動けっていうもんだ。お前もしかして関係者だったりするのか?」


 ガブはあくまで冷静に答えるが、唐突に出た名前にタツミはさらに戸惑う。


「〈星野達也〉はオレの父さんだけど……」

「なんだって?」


 ガブは驚く。驚きの余り手に持っていたビスケットを落としていた。


 一方タツミはガブが自分の父親の名前を知っていたのに驚いていた。なぜ何年も前に亡くなった父親の名前を、目の前の謎の生物が知っているだろうか。それと同時に〈朝桐浩一郎〉、特に〈朝桐〉という名前に引っかかりを覚えていた。聞いたことがある、というより今日まさに聞いていたはずの名前だった。


「こっちに来てからいろいろ面倒事が続いてたがやっと運が回ってきたって感じか。お前の親父は今どこにいるんだ?」


 ガブは「やれやれ」とため息をついていた。ここに来るまでによっぽどのことがあったようだ。さっき腹が減ったと言っていたから、少なくとも数日は満足に食事もできていなかったのだろう。


「え、ええと……」


 タツミは言葉に詰まる。しかし言わないと何も始まらないことはわかっていた。


 もうすでに亡くなっていると、そう言おうとした。


 ――その瞬間、スマホからけたたましい警報音が鳴り響き、激しく振動し始めた。


「な、なんだなんだいきなり!?」


 驚きで今度はチョコレートを落とすガブ。


「お、オレだってわかんねえよ!」


 タツミはとにかく床の上で暴れ狂うスマホをなんとか止めようと手に取る。掴んでもなかなかバイブレーションも警報音も止まらなかったが、たった一回画面をタップするだけで収まった。少し脱力するが、今度は画面に表示されている文字に釘付けになる。


「え、『非常事態発生』?」


 画面はその文字を表示するとともに赤く点滅していた。さっきの警報音といい尋常じゃないバイブレーションといい、嫌なことが起こっているかもしれないことはひしひしと感じる。しかし、少なくともタツミの家の周囲でそれが起こっているわけではないようだった。不気味なものを感じて嫌な汗が背筋を流れる。


「おい、なんかすげえことになってるみてえだぞ」


 するとガブがベッドの上に乗り、窓の外を睨みつけているのに気づく。


「な、何のことだ?」

「あっちのほうでとんでもねえ量の〈ソウル〉を持った奴がいる」


 〈ソウル〉ってなんだとタツミは思う。しかしさっきからガブの言っていることは自分の理解の範疇を超えているため、例えきちんと答えを返してくれても理解できないだろう。そう思ってタツミはスマホに視線を戻す。


 画面はさっきの『非常事態発生』から表示が変わっていて、周辺のマップが表示されていた。しかしいつもの〈スタースピリッツ〉のような三人称視点の三次元マップではなく、見下ろした二次元マップだった。そしてそこにはちょこちょこと赤い点がある。


「あっちの方って……」


 この地図ならガブの言ったことがわかるかもしれない。なんとなくそう思ってタツミはマップをスライドさせる。するとそこに表示されていたものにタツミは驚く。


「なんだよこれ!?」


 そこにはさっきまでちょこちょこと表示されていた赤い点よりも一回りも二回りも大きい、むしろ大きさからいって赤い円がでかでかと居座っていた。そしてまるでそれがこの『非常事態』の元凶であるかのように点滅していた。


 そんな驚いているタツミを余所に、あくまでガブは冷静だった。


「おい、お前。ちょっと、この前の奴開けてくれ」

「は?」


 いろいろと事情が飲み込めていなくて、いきなり放たれたガブの言うことを一瞬だけ理解できなかった。しかしガブのいう物が窓だとわかると、


「あ、ああ」


 と若干うろたえながらもタツミは窓を開け放つ。


「ありがとな」


 ガブは一言礼を言い、そして、


「後、食いもんうまかったぜ!!」


 窓から外へと飛び出した。


「お、おい!」


 ここは地上から三階の位置にある。そんなところから飛び降りればただでは済まない。


 しかしそれは普通の人間であればだ。ガブは普通の人間ではない。


 ガブは近くの一軒家の屋根に飛び移り、その後も次々に屋根を伝って行ってしまった。


 タツミは状況の変わりようについていけずしばらく呆然とする。しかし、だんだんわからないなりに状況を整理できてくると、居ても立ってもいられなくなってきた。


「クソッ、一体何がどうなってんだよ?」


 スマホの画面を見ると今まではなかった青い点が表示されていた。そしてその動きは今さっき外へと飛び出したガブの動きと一致していた。


(もしかしてこれを追いかければいいのか?)


 これを追っていけばガブにまた会えるかもしれない。そしてもしかしたらあの赤い円の場所にいる〈何か〉がわかるかもしれない。そう思い、一歩足が進む。


 しかしそこで一度考える。これは本当に自分に関係のあることなのか?


 今自分の身には何も危険は降り掛かっていない。危険があるであろう場所に飛び込んでいったのは、さっき理解不能な経緯で自分の目の前に現れたスピリットだ。しかも今思えばガブの別れ際の言葉はまるでもう会うことはないとでも言っているかのようにも聞こえた。この事態にわざわざ自分が首を突っ込む必要などどこにもないのではないか?


 しかしタツミの頭にはさっきのけたたましい警報音と、そして赤く光る画面に表示された『非常事態発生』の文字が焼き付いて離れなかった。もしかしたら自分の預かり知らないところで、何か良からぬことが起こっているかもしれない。だったらそれをわかっていて見過ごそうとする自分を許すことはできるのだろうか?


 いろいろと思考がぐるぐると頭を回り、どうすればいいかわからなくなる。


「ああ、もうしゃあないなあ!!」


 だが、やはり沸き起こってくる衝動は止められなかった。


 タツミは急いで玄関で靴を履いて、家を飛び出した。

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