02 困ってる子はほっとけない

 昼下がり、タツミは外に出ていた。「ふう」と一息ついて、空を仰ぐ。住宅街ということもあって静かで、スズメの鳴き声もクリアに聞こえてきて、どこか長閑だった。

 

 カケルにああは言ったものの、やはりずっとダンボールを開けてはどこに直すか考え、そしてまた開けてという繰り返しにタツミはさすがに飽きてきていた。なので昼ご飯を食べ終わった後、少しでも家の周りの様子を見てみようと思い、こうして散歩していたのだった。


 今いる住宅街はタツミの引っ越してきたマンションより少し離れた場所だった。一戸建ての住宅が建ち並び、明らかに新しいデザイン性に富んだものから昔ながらの日本家屋まで混然としている。そんな中を買い物帰りなのだろうか、時々抱っこ紐で赤ちゃんを提げた主婦とすれ違う。さらに閑静な住宅街などお構いなしといった感じで嬌声を出しながら通り過ぎる年下らしき少年たちが、自転車を飛ばしたりしていた。この辺はタツミたちの学校、〈咲浜市立第一小学校〉の校区なので、同じ学校の生徒なのだろう。


 彼らを見て一瞬カケルやユイがその辺にいるかもしれないと思い、周囲を確認する。あんな断り方をしたのにもかかわらず、こうしてこんなところ歩いていたら悪く思われてもおかしくない。だが一応それらしき人影は見当たらなかった。


 タツミはほっと胸をなでおろし、会ったら会ったでその時だと考えを切り替える。ユイはともかく、カケルは理由を説明すればわかってくれるような気がした。


 そして周囲を確認した時に公園が視界に入っていた。ちょっと気になって中に入ってみる。


 あまり大きいとは言えない公園だった。滑り台、ジャングルジム、ブランコ、砂場、そしてベンチが敷地の両端に一つずつと、一般的な公園にあるものを全部詰め込んだような感じだ。狭い敷地に無理やり詰め込んだ感じなので、ただでさえ広くないのにさらに手狭に感じる。


 さすがに一人で遊具で遊ぶのもためらわれたので、タツミは近くのベンチに座って、少しぼーっとする。春の陽射しは柔らかく、このまま何もしなければ眠ってしまいそうなほど心地良い。


 しかし外で寝てしまうのもまずいのでタツミはポケットからスマホを取り出す。そして一つのアプリを起動する。


 少しの画面の暗転の後、表示されるタイトル。〈スタースピリッツ〉と画面には表示されていた。


 タツミは画面をタップし、次の画面に遷移する。画面中央に人のキャラクターモデルが立っている。立っている地面にはここの周辺の地図が描かれている。そしてその周囲に、現実の動物ではない、それらをデフォルメしたようなキャラクターが多数出現する。


 これが今世界中で流行しているゲームアプリ、〈スタースピリッツ〉だ。


 この表示されているキャラクター――〈スピリット〉と呼ばれている――をタップすることでそのスピリットと戦闘になり、捕獲することで仲間にできる。ゲームの中でのプレイヤーの位置は実際に現実でいる場所とGPSで同期しているため、様々なスピリットを探すために必然的にプレイヤーは外に出かけることになる。今まで存在した、ゲームは家の中にこもって遊ぶものだという固定概念が、このゲームによって崩壊した。外出してプレイすることがメリットとなるために、メインターゲットであった子供だけでなく、会社員たちの間でも爆発的に流行し、当初はあまりの人気に歩きスマホが原因の事故が多発し、社会問題ともなった。


 現在ではスピリットのステータスをある程度まで自由にいじれるようなアイテムだったり、対人戦が実装されたりしたことで今やスマートフォンゲームといえばこのゲームと言われるほどの立ち位置に定着している。


 タツミももちろん、サービス開始当初からのベテランプレイヤーだった。そしてその画面を見て思わず呟く。


「やっぱ、多いな……」


 タツミのスマホの画面にはかなりの数のスピリットが表示されていた。それこそ、実際にここにいたら足の踏み場もないほどという数だった。


 実はここ、咲浜は〈スタースピリッツ〉のプレイヤーたちの間ではかなり有名な土地だった。なぜか咲浜は出現するスピリットの数が異常に多いことが確認されていた。ある熱心なユーザーが実際に咲浜に赴いて他の地域との差を確認したが、その結果は最も出現数の少ない場所と比べて倍近いほど咲浜が多いというものだった。もちろん通常のゲームでは不公平だなどという意見が多発するはずだが、そもそもどの街でもスピリットの出現数がゲームを進める上で特に困ることがないぐらい多い上に、種類もそれほど偏りがないため、今のところ特に改修される予定はないらしい。それでもその出現数の多さからわざわざゲームをするために咲浜を訪れるプレイヤーも多く、地方都市でありながら今最も注目を集めている街と言っても過言ではなかった。


 そのことはタツミも知っていて、今まさにそれを実感しているところであった。だがあまりにも数が多すぎてどのスピリットを捕まえればいいか迷ってしまう。


 が、その無数のスピリットの中でタツミは一体のスピリットに注目する。


(こいつって……)


 三次元マップに表示されているスピリットのモデル、それはトカゲかワニなどの爬虫類のような頭をしていて、体の色は空のように蒼く、ぬいぐるみのようなずんぐりとした体格をしている。そしてもう一つにして最大の特徴として、体とほとんど同じ大きさの一対の立派な翼がその背中に生えていた。


 タツミの知識の中で、この特徴に該当するスピリットの種族は一つしかなかった。


(ドラゴン族じゃん!)


 タツミはすばやくそのスピリットをタップする。ドラゴン族は数あるスピリットの中でも目撃例がかなり少なく、種族別で見た場合のステータスの成長率も最高と、今の〈スタースピリッツ〉の中でも最強クラスのスピリットの一角を担っている。もちろん対人戦などでは捕まえた後の育て方や技を使うタイミングなども勝利するための重要な要素なのだが、元々のステータスが高いことが良いことに変わりはない。なのでドラゴン族は〈スタースピリッツ〉全プレイヤーの憧れの一体なのである。


 タツミがドラゴン族のスピリットをタップしたことでゲーム画面が三次元マップから捕獲画面に遷移する。捕獲画面では改めてそのスピリットのずんぐりむっくりな図体が画面を通してタツミの真正面を向いていた。


 〈スタースピリッツ〉のプレイヤーは〈ソウルブラスター〉と呼ばれる拳銃のようなガジェットを持っていて、画面をタップすると〈バレット〉という銃弾を撃っているという設定になっている。このバレットをスピリットに当て、体力を削って捕獲成功率を上げ、最後に捕獲用バレットを撃つ。これが〈スタースピリッツ〉の基本システムだ。今もタツミは様々な場所に跳んで避けるスピリットに対し画面を連打して追撃するが、すべて避けられる。


 それならとタツミは隣にある銃弾を模したアイコンをタップする。するといくつか形状は同じだが色の異なるアイコンが表示される。バレットにはいくつかの種類がある。マシンガンのように連続して発射するバレットやスピリットを麻痺などの状態異常にさせるバレットなどを駆使することでより有利に捕獲することができるのだ。ちなみにこれらはゲーム内でランクを上げるなどして手に入れることができるが、基本は課金アイテムである。


 タツミはそれらをフル活用して捕獲を急ぐ。画面右端に表示されている時間を過ぎればスピリットは逃げてしまうからだ。


 そしてようやく捕獲できそうなぐらいまで体力を減らし、ついでに麻痺にさせ、さらに地面にネットで縛り付けるトラップにはめたりして動きを止め、タツミは捕獲用バレットを撃つ。それがスピリットに当たると画面いっぱいに空のゲージが表示される。これが満タンになれば捕獲完了だ。タツミは祈るように目をきつく閉じる。


 数秒の後、ポコンという気の抜けたような音がした。捕獲成功の合図だった。タツミは目を開け、ちゃんと捕獲が成功したことを確認する。


「よっしゃあー!!」


 喜びのあまり立ち上がってガッツポーズする。腹の底から人目もはばからず大きな声が出る。そこでここが外だったことを思い出して周囲を見回す。誰かいるかもと思うと恥ずかしくて顔が熱くなってきた。


 すると誰かいた。公園の隅の木の下だ。小さな少女だった。おそらくまだ小学校にも入ってない、幼稚園児ぐらいの子だろう。タツミのいる場所とは真反対の場所にその子がいたのだが、ここはそれほど広くないため今の絶叫は絶対に聞こえていたはずだ。タツミは恥ずかしさが突っ切って頭を抱えてうずくまりたくなる衝動に駆られる。


 しかし少女は全くタツミのほうを向いていなかった。ずっと木の上を見上げて、何かを呼びかけていた。


(どうしたんだろう?)


 少女の様子が気になり、タツミはスマホをポケットにしまう。電源を落としていなかったが、タツミはスマホを数分操作しなければ勝手にスリープするようにしていたので特に気にしない。それから彼女に近づくにつれて、呼びかけている言葉がより鮮明に聞こえるようになってきた。


「ミュウちゃん! ミュウちゃん!」


 必死そうな声だ。声が震えていて、今にも泣き出しそうだった。


「ねえ、どうかしたの?」


 タツミは少女に声をかける。タツミにとっては何気なく話そうとしたのだが、しかし少女のほうはいきなり現れた年上の男に警戒したのか少し後ろに退がる。目に溜めた涙はタツミが近づいたせいもあるのか今や一気に溢れ出しそうであった。


 困った、とタツミは思う。これではまるでタツミが少女を泣かせたようにしか見えない構図だ。こんな状態で、何があったのか話してくれるはずもない。


 どうしようかと考えていると、タツミは以前お巡りさんがやっていたことを思い出す。小さい子供相手に話している時に視線を合わせるためにしゃがんで話していたのである。


 この少女に通用するかはわからないが、試してみる価値はありそうだった。タツミはしゃがんで、上目遣いにもう一度少女に尋ねる。


「何があったのかな?」


 すると身構えていた少女の警戒心が少し解けたようだった。小さい声だがきちんとタツミに伝えようと嗚咽をこらえて話し出す。


「み、ミュウ、ちゃんが、お、おりられ、なくなって……」


 少女はここで堪えきれなくなって泣き出してしまった。それでも少女はどういう状況かタツミに教えるために木の上を指差していた。そこには子猫がいた。真っ白な毛並みで、首輪をしているのでおそらくこの子の飼い猫なのだろう。タツミはこの子猫が調子に乗って登った挙げ句降りられなくなったのだろうと推測する。子猫のほうもずっと少女のほうを見て、助けてと言わんばかりに鳴いていた。


 タツミの周囲には今、この少女と子猫以外いない。つまりこの少女の助けになれるのは自分しかいない。


 なら、やることは一つだ。


「わかった。オレに任せときな」

「えっ?」


 わんわん泣いていた少女がその言葉で一瞬泣くのを止める。


「オレがあの子を助けるから。ここで待ってな」


 タツミは大丈夫だと言わんばかりに真っ直ぐに少女を見て語りかける。それで少女の嗚咽が止まり、あれだけ溜まっていた涙も最後の一筋が肌を走って止まる。


 タツミはそれを確認すると木を登り始める。手近な出っ張りに足を引っ掛け、力強く、しかしその出っ張りを壊さないように慎重に登る。そしてまた手近な出っ張りを探す。以前通っていた小学校の友達とよくこうして公園の木を登っていたりしたので、タツミはこうした木登りが得意だった。


 そうしてタツミはあっという間に子猫のいる枝のつけ根にまでたどり着く。


「よし、こっちに来な」


 タツミはクイッと手招きする。


 だが子猫は完全に警戒していた。タツミを見て「フーッ!!」と毛を逆立てて威嚇している。


(ったく、そんな状況じゃないってのに)


 タツミはゆっくりと枝のつけ根から猫に歩み寄る。枝は細く、心許ない。タツミの体重を支えられるのかさえ危ういほどの太さしかない。


 それでも少しずつ、少しずつ、タツミは子猫と距離を詰める。下にいる少女が息を飲んでタツミと子猫の行末を見守っている。しかし足元と子猫に全神経を集中しているタツミはそれに気づかないが。


 そして子猫に届きそうな距離になり、タツミは子猫に右手を伸ばす。


 しかしそこで子猫はついにタツミの右手に噛み付いた。


「ミュウちゃん!」


 少女が思わず悲鳴のような声を上げる。


 しかしタツミはニヤリと口元を緩ませた。確かに噛まれたのは痛かったが、これでようやく子猫に接触できたからだ。


 子猫がタツミの右手に噛み付いている間に、タツミは左手を子猫に伸ばす。首の皮の厚い部分を引っ張って持ち上げ、一気に自身の胸まで抱き寄せる。


「よっしゃ……」


 しかしその時、足元の枝が限界を迎えた。ぽっきりと根元から折れ、タツミの体が支えを失って落下する。


「あいったぁーッ!」


 尻から地面に落下したタツミ。落下した衝撃が尻から上へ突き抜けるように走って涙目になる。しかしそれでも怪我らしい怪我はなく、タツミは片方の手で子猫を抱え、もう片方の手で打った尻をさすりながら立ち上がる。


「おにいちゃん! ミュウちゃん!」


 少女が心配そうに近寄ってくる。すると子猫はタツミの手から少女のほうへ跳び移る。


「わわっ、ミュウちゃん!」


 少女は胸でそれを受け止め、両腕で大事そうに、もう離さないというふうに抱きしめる。子猫もほうも甘えた声で鳴いて少女の顔を舐める。


「もう、かってにのぼったらだめなんだからね」


 優しく叱る少女。そして視線がタツミに向く。


「おにいちゃん、だいじょうぶ?」


 タツミは尻をさすりながら、ピースを作って、


「大丈夫大丈夫……」


 と返す。あくまで少女を心配させまいと、笑顔を作る。


 そのおかげか、少女も表情が緩む。


「おにいちゃん、ありがと!」


 そう言って少女は子猫を大事に抱えて公園から去っていく。


「どういたしまして」


 少女の後ろ姿に声をかけるタツミ。「ふう」と一息つき、大仕事をやってのけたかのような達成感を感じる。


 しかしその直後タツミは思い出してしまった。まだ大量のダンボール箱が片付け終わっていないことに。


「うげえ……」


 タツミはうなだれるが、そうしていてもどうしようもないので、タツミは家へ帰ろうと公園の出口へと足を向ける。


 しかしタツミはこの時気づいていなかった。ポケットに入っているスマホの画面に、『データ転送エラーが発生しました』という文言が延々と表示されていたことに――

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