怪獣のいる街

01 新生活の始まり

「本当にゴメン! 早速仕事入っちゃって……」


 少年――星野タツミが朝一に母親から言われた言葉がそれだった。

 

 タツミは昨日、この街に引っ越してきたばかりである。到着も夜だったので、タツミの周囲にはまだ開封もしていない引っ越し用ダンボール箱が山積みにされている。

 

「本当は担任の先生とかに挨拶しないといけないんだけど……」


 母親である恵はこの街のアパレルチェーンの店長を務めていることになっていた。引っ越し早々仕事が入ってしまって、タツミの転校先に一緒に行くことができなくなってしまった。


 申し訳なさそうな表情の恵に、タツミは、


「それぐらい大丈夫だって。だってもう六年生だぜ?」


 と言って胸を張る。


 しかしそんなタツミに、恵はニヤリと笑う。


「六年生なんてまだまだお子ちゃま。大人ぶるには早いわよ、少年」


 恵はタツミの頭の高さぐらいまでしゃがみ、額にデコピンする。それが眉間にクリーンヒットする。


「いってぇ!」


 タツミは若干涙目になって当てられた箇所を押さえて少し退がる。


「本当はちょっと不安なんでしょ? 新しい学校のこと」


「えっ……」


 そう言われ、困惑する。まさに図星だったからだ。タツミにとって今回が初めての転校だった。転校先の小学校も一体どんなところなのかまだ全く知らないのである。


「べ、別にそんなことないし」


 あくまで否定するが、声が震えていてあまり説得力がない。


「まったく、強がっちゃって……」


 仕方ないな、という風に苦笑する恵。


「まあそういうことにしといてあげるけど。お母さんから一つアドバイス」


 恵はタツミの眼前で人差し指をピンと立てる。


「最初の挨拶は元気いっぱいにすること。でもあんまり元気にしすぎると鬱陶しがられると思うから適度に声を張ること。いい?」


 真っ直ぐにタツミの瞳を見て恵は言う。この助言は彼女が数々の店を渡り歩いてきた経験から基づいたものだった。


「う、うん……」


 助言の持つ重みを感じ取ったのか、タツミも恵の瞳を見つめ返した上で頷く。


「じゃあ行ってくるから。ちゃんとご飯食べてから行くのよ。あ、後……」


 恵は玄関へ向かう前に、リビングのある場所を見る。タツミもそれに促され、その方向にある物を見つめる。


「お父さんにも挨拶してから行くこと。いい?」

「もちろん!」

「じゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい!」


 二人はまるで警察官のように敬礼をする。そして恵は部屋を出ていった。タツミも朝食を手早くとって、身支度を整え、自分の部屋からランドセルを背負って出てくる。


「父さん、いってきます」


 タツミは敬礼する。


 タツミの見つめる先には仏壇と、警察官の制服に身を包んで敬礼する父の遺影があった。





 四月。学生たちは学年が一つ上がり、また多くの人間が新生活を始める季節である。


 それは関東の地方都市〈咲浜市〉でも同じであった。


 この日、咲浜にある〈咲浜市立第一小学校〉でも始業式が行われていた。


「星野タツミです。よろしくお願いします!」


 タツミは恵のアドバイス通り元気よく、しかし元気すぎない声量と声音で最初の挨拶をする。


 そのおかげかはわからないが、教室中から拍手が湧き起こる。


「じゃあ星野くんの席はあそこね」


 担任の女性教師が教室の真ん中から少しずれた位置にある、ぽっかりと穴が空いたように誰も座っていない席を指差す。タツミは転入手続きを年度が変わる前に行っていたため出席番号がきちんと五十音順の通りの番号を割り振られ、そのため今出席番号順で並べられている席も教室の隅のような場所に置かれずに済んだというわけである。


「じゃあ今から新しい教科書とかいろいろ配るからねー」


 担任はテキパキとやるべきことをやっていく。次々に配られる真新しい教科書。そこには〈六年〉と書かれていた。パラパラと中身を適当に確認する生徒や、中には開きやすいようにするためにもう新しい教科書にわざと折り目を付けている生徒もいた。タツミもそんな生徒の一人で、次々に配られる教科書を流し読みしては次の教科書のページをまためくる。


 それからも各種連絡事項を担任が伝えた後、帰りのホームルームとなった。


 担任はわざとらしくコホンと一つ咳払いする。



「これから小学校生活最後の一年が始まります。このクラスの仲間と一緒でよかったと思えるような、そんな一年間にして、それでみんな笑顔で卒業しましょうね」


 まるでタイミングを測ったかのように、その言葉の終わりとともに終業のチャイムが鳴った。


(最後の一年、か……)


 タツミは以前いた小学校のことを思い出す。幼稚園の頃から友達だった者も大勢おり、彼が転校すると聞いて涙を流して送ってくれた友達もいた。そのような友人が果たしてこの学校でもできるだろうか。中には違う者もいるかもしれないが、この教室にいる人間の多くは五年の月日をここで積み重ねている。そんな彼らが、いきなり現れた自分をすんなり受け入れてくれるだろうか。


 ただ考えていても仕方がない、ともタツミは思う。今日は転校初日だ。とりあえず今日は帰ろう。タツミにはまず家に積んであるダンボール箱を片付けるという仕事があるのだ。


 そういうわけで、目の前に置いてあるランドセルを手に取ろうとした時だった。


「よっ。星野、だったよな?」


 タツミの前に一人の少年が現れた。少年は他の生徒が座っていたタツミの前の席に躊躇うことなく座る。


「あ、ああ、そうだけど……」


 突然のことでタツミは面食らう。


「オレ、風祭かざまつりカケルってんだ。よろしくな」


 前にいる少年――風祭カケルははにかんで笑う。人懐っこそうな笑顔だ。


「よろしく、かざ、まつり、くん……」


 タツミは少し気恥ずかしそうに名前を言うが、言いづらくて噛んでしまった。気恥ずかしさを感じたのは前の学校では普通に下の名前で呼び捨てにしていて、今更〈くん〉をつけるのも変な感じだったからである。


「ああ、別にカケルって呼び捨てでいいぜ。言いづらいんだよなあ〈かざまつり〉ってさ。それになんかかっこいいだろ、カケルって名前」


 へへっ、と笑うカケル。それで少し気が軽くなったタツミは試しに呼び捨てにしてみる。


「……じゃあ、よろしくカケル」

「おう、よろしくな。星野」


 すると今度は名字で呼ばれることにむず痒さを感じる。


「じゃあさ、オレのこともタツミって呼んでくれよ。なんか名字で呼ばれてもピンとこないっていうかさ」

「オッケー、わかったよタツミ」


 カケルはすぐに順応し、呼び捨てにしてくる。『タツミ』という呼び名がストンと胸に落ちる。やっぱり下の名前で呼び捨てしてもらったほうが落ち着くとタツミは改めて思う。


「なんかもう仲良さそうね」


 すると一人の少女が二人の話に割り込んできた。少女は持っていたランドセルを置いてタツミの隣の席に座る。


「わたしは朝桐ユイっていうの。よろしくね」

「よ、よろしく」


 少し戸惑いながらタツミはユイからの言葉に返す。タツミは以前の学校では確かに大勢の友達がいたが、女子の友達は全くいなかった。だからいきなり話しかけてきた新しいクラスメートにどう反応していいかわからない。


「どうしたんだよ? いつも一緒の奴らもう帰ってるじゃねえか」


 そうしてタツミが戸惑っているのを知ってか知らずか、カケルが若干面倒くさそうに尋ねる。


「わたし、今年も学級委員やろうと思ってるから、今からいろんな人に挨拶しとこうと思って」

「うげえ、よくあんなのやろうと思うよな……」


 勝手に話が進んでいて、タツミはぽかんとしている。そのことに気づいたのか心底うんざりしたような顔でカケルが説明する。


「こいつ、去年もオレと同じクラスでさ。その時も学級委員やってたわけよ。ついでにオレも」

「そうなんだ」

「ただ、事あるごとに呼び出されたりしてよお。結局やってることは先生から頼まれた雑用だぜ? 面倒くさくて仕方なかったぜ」


 そのいろいろと面倒だったことを思い出しているのか、カケルはため息をつく。


「でも、あんた自分から立候補してたじゃない。わたしみたいに。まあ女子のほうは立候補してるのが何人かいたから選挙になったけど」

「あれはお前らみたいに男子から誰も立候補しなかったからだろ? しょうがねえからオレがやろうって思って手上げただけだ」

「いいことじゃん。誰もやりたがらないことをやろうって思えることは大事なことだってお母さんも言ってたよ。それにあんたってなんやかんやで結構頼られてるわけだし」

「そんなんで褒められても嬉しくねえよ。今度はゼッテーやらねえからな」


 カケルは首を振る。そしてまた置いてけぼりを食らっているタツミに気づく。


「ああ、悪ぃ。またわけわかんねえこと話してたな」

「いや、別に大丈夫だから。わかんないこともここに来てすぐだから仕方ないし」


 タツミのその言葉にカケルは少し安心したようだった。


 そしてカケルはあることに気づいてタツミに尋ねる。


「あ、そうだ。タツミ、お前いつこっちに引っ越してきんだ?」

「昨日の夜だけど……」

「じゃあもしかしてまだこの街のことよくわかってねえんじゃねえか?」

「そういえば、そうかも」


 タツミは昨日からこの学校に来るまでのことを思い返す。しかし朝通った通学路のこと以外は夜で暗かったせいか特に印象に残ってなくて何があったか思い出せない。


「だったらよ、今日昼飯食ってからオレが案内しようか?」

「いいの?」

「もちろん」


 当たり前だろというふうにカケルは言う。


 だがそこまで言われてタツミはあることを思い出した。


「ゴメン、今日家で引っ越しのダンボール片付けなきゃいけないの忘れてた」


 そう、母親が仕事で忙しい分、タツミが家のことをある程度任されていた。その任されていることの一つに引っ越しのダンボール箱を片付けることも含まれているのだ。もちろん本当に大事なものは母親が片付けることになっているのだが、それを差し引いてもかなりの数が残っており、帰ってすぐにやらないと夜まで終わりそうになかった。


「そうか、ならしょうがねえか」

「ホンット、ゴメン! せっかく誘ってくれたのに」

「まあいいって、今度の土日とかにでもすればいいしさ」

「じゃあその時はわたしも混ぜてよ」


 またユイは頬杖をつきながら会話に割って入ってきた。


「なんでだよ?」

「だってクラスの学級委員なのよ。同じクラスの子が困ってたら助けるのは当たり前じゃない」

「もうなってる気でいやがる……」


 少しうんざりした感じでカケルは言う。しかしすぐに気を取り直してタツミに向き直る。


「そんじゃ、今日は帰るか」

「うん。誘ってくれてありがとな。今日はホントゴメン……」

「んなことは別にいいって。やらなきゃいけないことがあるんだからしょうがねえだろ」


 そう言われて、タツミは少し気が楽になった。いきなりの遊びの誘いを断って気を悪くしたかもしれないと思っていたが、カケルはそれほど気にしていないようだった。むしろさっきと同じように人懐っこい笑顔を浮かべている。


 それから三人は校門を出た後、途中までは一緒の道で帰り、ある十字路に差し掛かったところで別れることになった。それぞれまた明日と言って、タツミたちはそれぞれの家路につく。


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