シロツメクサと、冷たい頬

丁_スエキチ

壊れながら君を追いかけてく

「これ、さっき見つけたの。葉っぱが四つのクローバーって、しあわせを表すものだって前に教えてもらったから。かばんちゃんにあげるね」

「ありがとう、サーバルちゃん」

「ねえ、かばんちゃん」

「なに?」

「私、かばんちゃんのこと、大切にできたかな」

 いつもと同じ無邪気な瞳で君が笑う。弱々しく。それでも、僕にとっては充分に眩しい表情だ。

 暖かな日差しの昼下がり、シロツメクサが広がる草原を優しい風が吹き抜けて、僕の膝を枕にして寝転がっている君の頬をなぞっていく。

 僕も君の頬に手を当てる。手袋越しに伝わってくる、少し冷たくて優しい感触。前はもっとぽかぽかと温かかったんだけど、と懐かしみながら、君の言葉に返事を投げる。

「うん、できてたよ。ここまで、ずっと一緒にいてくれて、本当にありがとう」

 その言葉を聞いて、君は安堵したように息を吐いて、笑顔を浮かべる。




 寿命だった。


 そもそも君は、僕が生まれるよりもずっと前からフレンズだった。ヒトとサーバルキャットでは命の長さが違う。サンドスターの奇蹟はあったけれど、その差を埋めるには限度があった。

 最近の君は、疲れやすくなっていた。動きも少し鈍くなっていた。活発さも控えめになっていた。前よりも寝ていることが多くなってきた。

 はじめのうちは、君は僕を心配させまいと、「へーきへーき」と言って何ともないふりをしていた。でも、だんだん調子が悪くなっていく君を見ていれば、誰だってわかる。

 ある日、サーバルちゃんが眠っているうちに、ラッキーさんに何か治す手段はないのか聞いてみた。

「……カバン、覚悟シテ聞イテホシイ。サーバルハ、フレンズトシテノ寿命ガ近イミタイダヨ」

「そんな……。どうにかできないんですか……?」

「残念ダケド、僕ニハドウスルコトモデキナイヨ……。ゴメンネ、カバン」

 ラッキーさんの口調はいつもより哀しみを帯びていた。

「合わないちほーでの暮らしは寿命を縮める」

 昔、博士に教えてもらった言葉を思い出す。

 僕の、僕のせいで、君が無理をしてしまって、僕のせいで、君がいなくなってしまう。後悔、恐怖、悲しみ、色んな黒い感情が渦巻いてしまって、余裕を失ったままどうにかできないか模索する僕に、ある時、君は言ってくれた。

「かばんちゃんは、わたしがいなくなっちゃうのを自分のせいにしてるみたいだけど、かばんちゃんのせいじゃないよ。絶対、ぜーったいに、そんなことない。わたし、かばんちゃんと一緒じゃなかったら、こんなに楽しいこと知らなかったし、たくさんの子ともお友達になれなかった」

 君は僕の手を取って、まっすぐな瞳で僕を見つめていた。

「むしろ、謝らなきゃいけないのはわたしのほう。ずっとずっとついていくよ、って約束したのに、途中までになっちゃった。ごめんね」

「そんなことない!僕は、サーバルちゃんがいたから、ここまで来れたんだ。ヒトはもうパークにはいないんだって、何度も諦めかけたけど、『大丈夫だよ』って言って背中を押してくれたから、ほら!」

 鞄から取り出したのは、旅の途中で拾った、何冊もの手帳やノート。昔パークで使われていたものに、旅路の日記や、ヒトの痕跡のメモやスケッチが所狭しと書き加えられている。

「これは全部、サーバルちゃんのおかげなんだ。サーバルちゃんが励ましてくれたから、毎日楽しかったんだ。今までずっと、ついてきてくれて嬉しかった……。だから、謝らないで……」

「あはは、それならかばんちゃんも同じだよ」

 君の見せる屈託無い笑顔が眩しくて、でも、この顔を見られるのもあと僅かだと思うと切なくて、胸がいっぱいになっていく。

 どうにもできない想いで溢れる前に、君をきつく抱きしめた。




 シロツメクサの草原で、君の重みを膝の上に感じながら、今までの楽しかった日々を語り合って笑う。アライさんやフェネックさんとも一緒にパークを旅した。綺麗なものをたくさん見た。美味しいものをたくさん食べた。

 折り紙をしたり、本を読んだり、花冠を作ったり、歌を歌ったり、狩りごっこをしたり。毎日、じゃれるようにして遊んでいた。

 明日も会えるのが当たり前だと思っていた日々。

 ふざけ過ぎて、この関係が幻でも構わない、楽しければそれでいいんだと、いつのまにか思っていたみたいで、でも突きつけられたのは残酷な現実だった。

 君は、少しずつ壊れながら、僕を追いかけてここまで来たんだ。もう僕無しの暮らしに戻れないから。僕たちのこの関係が全部で、ほかに何もなくてもいいほどに。自分の命を削ってでも。


 サンドスターの粒子が、少しずつ空に昇って消えていく。気づけばもうお互いに言葉を交わすことはなくなっていた。言わなくたって、お互いの気持ちは分かっているから。

 それでも、ふと思い出したように、君はぽつりぽつりと言葉を連ねる。

「かばんちゃん、ボス、3人での旅、楽しかったよ」

「僕モダヨ」

「ふふ、食べちゃうぞ、って、まだ、言ってないのに」

「食べないで、ください」

「食べないよ」

 初めて会った時にした会話。太陽のように眩しかった君との出会いは、今でも鮮やかに思い出せる。あの時と違って、今は二人ともひどく穏やかな口調だけれど。

「かばんちゃん」

「なに?サーバルちゃん」

「わたしたち、すてきなコンビ、だったね」

「うん、そうだね。これからも、ずっと、すてきなコンビだよ」

「……ありがとう。元気でね、かばんちゃん」



 最期に浮かべた安らかな君の笑顔が、目に焼き付いて離れない。いちばん最後の表情が哀しいものじゃなくて、よかった。僕はどんな顔をしていたんだろう。自分でもわからない。

 きっと僕は、この先少しずつ僕じゃなくなっていく。それが良いことなのか悪いことなのかは知らない。そうやって壊れながら、いないと分かっている君を追いかけていくんだろう。

 君無しの暮らしなんて知らないくせに、もう君との旅はできないんだ。僕たちの関係が全てだったのに、もう何もない。

 残っているのは、たくさんの思い出たちと、君がさっきくれた、最後にくれた、可愛らしい四つ葉のクローバー。失くさないように、ずっと残しておくために、手帳のページの隅に挟んでおいた。

 そして、目を閉じて横たわるサーバルキャットの頬にそっと触れてから、別れを告げる。

 明日も会えると当たり前に思っていたから、今までずっと言わなかった言葉。


「さよなら」


 頬をなぞった優しいはずの風が、冷たかった。こらえていた涙が一筋、頬を伝ったから。

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シロツメクサと、冷たい頬 丁_スエキチ @Daikichi3141

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