第10話 転移(宮中第二門騎兵副隊長)3
「副隊長!一緒にやりませんか?」
エドウィンの言葉を最後に、黙りこんだ二人。そんな彼等に隊員から能天気な声が掛けられた。
二人が見てみると、半裸の隊員達が集まって何やらやっている。どうやら、今からレスリングをやろうとしているようだ。
帝国ではレスリングが親しまれている。攻撃手段は投げ飛ばしと押し倒しのみで、相手の肩、背中、尻を地面につけた回数で競う。帝国人のレスリング好きは有名で、庶民から貴族まで熱狂する。酒が嫌いな者はいても、レスリングが嫌いな者はいないと言われる程だ。
隊員達がレスリングをすると聞いて、まだ帰らずにいた数人の少年達が寄って来た。帝国軍の先鋭達によるレスリングと聞いて、その瞳はワクワクと輝いている。
静寂を打ち破られ、少しホッとした雰囲気で赤髪の青年は笑みを浮かべる。
「副隊長、行きましょう」
「あぁ」
金翼族の事は問題が大きすぎる。この場で考えても仕方ない事で、いつまでも気を落としても無意味だ。
エドウィンは僅かに表情を緩めると襟元に手をやり、留め金を外していく。服を脱いで上半身が裸になった彼は、シャツや制服の上着を床へ乱雑に投げ捨てた。
「あっ、副隊長。行儀が悪いですよ!」
「頼む」
「ああっ、レシャ織りの高級生地に汗が染み込んだ土が!?捨てるんなら場所を考えて下さいよっ」
必死に制服から土埃を落とそうと叩く赤髪の青年を横目に、素知らぬ顔をするエドウィン。彼が待ち構える部下の元に行こうとした時、後ろから誰かが呼んだ気がした。
小さな小さな声で「エドウィン」と声ではない声で呼ばれた。そんな気がしたエドウィンが振り向くと、彼の真後ろにフード姿の男が立っていた。
「誰か!?」
赤髪の誰何する言葉と同時に、今まで長閑に談笑していた隊員達が得物を構える。
エドウィンがフードを認識したと同時に、エドウィンと対面の位置にいた隊員、エドウィンの真横にいた赤髪の青年もフードの男を認識した。
これはおかしな事である。鍛練場の真ん中にいる隊員達は、エドウィンと赤髪の青年が見えている。当然だが、その後ろの出入口も見えており、視界を遮るような障害物もない。出入口からフードの男が入って来たなら、彼等が分からない筈はない。だが、彼等はエドウィンが振り向くまでフードの男を認識していなかった。
まるで以前から居たかのように、世界から滲み出たかのように、いつの間にかフードの男はそこに居たのだ。この、エドウィン自らが様々な術を施した建造物の中にだ……。
「門盾、門騎「待てっ」
フードの男を危険と判断した赤髪の青年が指示を叫んだ瞬間、それをエドウィンが制止した。何故だと問い掛ける部下達は、エドウィンを見て驚く。血生臭い戦場でさえも面を崩さない彼が、驚愕の表情を浮かべていたのだ。
「……だ」
「副隊長?」
これまた珍しい。何時でも腹から淡々と通る声で話すエドウィンが、まるで蚊のような小さく掠れた声で呟いた。
赤髪の青年は困惑する。目の前のフードの男は、明らかに不審者で危険人物だ。偉大なる術者でもあるエドウィンの防衛魔法をすり抜けて現れ、見慣れぬ白い衣を纏い、しかも仮面で顔を隠している。それが、エドウィンの前に現れた。悪魔と悪名高いエドウィンの前に態々だ。
危険だ、危険過ぎる。即刻、直ぐ様、直ちに対応しなければならない。なのに、当のエドウィンは目の前の男を呆けたように見つめるだけだ。
「……だ」
エドウィンは、目の前のフードの男の顔を見て、また呟いた。赤髪の青年や部下達の位置からは見えないが、フードの男の真正面にいるエドウィンからは、仮面の覗き穴から奥の瞳が見えている。
有り得ない事だが魅力の瞳にでも囚われたかと、赤髪の青年が思い行動に移そうとした所、今度はハッキリとエドウィンが叫んだ。
「外戚だ」
「は?」
「外戚だと言っている」
エドウィンが見つめる先、仮面の奥では金色の瞳が輝いていた。
救いの金翼族 春子 @tensi0910
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