第7話転移4

「on,dareda?」


気が付くと、石津は見知らぬ男に肩を掴まれていた。


さっき確認した時には、鍵が掛かっていた扉が開いており、出口を塞ぐようにして一人の巨漢が立っている。


ここで石津の為に一言言いたいのだが、彼は決して臆病ではない。学生時代には友人の為に不良と殴り合いの喧嘩をした事もあるし、仕事では金槌を持った泥酔客を宥めた事もある。だが、彼は平和な時代に平和な日本で生まれた平凡な男性で、既に理解不能な状況に放り込まれパニック寸前だったのだ。


ガッチリと自分の肩を掴んでいる男が見上げるような巨漢で、鬼瓦のような強面だった。これだけなら辛うじて平静さを保てただろう。だが、その頭から肩までが粘着質な赤い液体に濡れており、なおかつ石津を掴む手には剥き身の大型ナイフを握っていた。


この状況で平静さを保てる人間は、一体何人いるのだろうか?


「のひょおおおおお!?」

「guho!?」

スコーン


絶叫と共に、振り上げられる石津の右足。踵落としの要領で高く上がった右足は捻りを加え、巨漢の男の顎を見事に踵で打ち抜いた。


「お巡りさあああああん」


脳を揺らされてガックリと膝から崩れ落ちる巨漢。それを飛び越えた石津は泣きながら全速力で走り出し、瞬く間にその背は豆粒のように小さくなっていく。


まるでマラソン選手のような、見事なフォームと速度であった。


「nanisiyagaru!kusoga!」


脳震盪を起こしていた巨漢は秒で回復し、鬼のような形相で石津を追い掛けていく。鈍重な見た目に反して意外と俊足で、こちらも見事なフォームで駆け抜けていった。


後に残ったのは石津の情けない叫び声と、巨漢の怒鳴り声の残響。


まさに、一瞬の出来事だった。


「anobakamonoga!」


己の努力が水泡に帰した事を理解した鉄の青年が、額に青筋を立てながら思わず怒声を上げる。拳を握りしめながら、怒りを隠しもしない鉄の青年。すると、その瞳が真っ黒に染まり、どす黒いオーラのような物が全身から滲み出てきた。


「osizumarikudasai」


悪鬼羅刹のような姿で、巨漢を殺しそうな剣幕で怒る鉄の青年を、赤髪の青年が嗜める。赤髪の青年の冷静な言葉に頭が冷えたのか、鉄の青年は大きく息を吐くと周辺の者に指示を出していく。


異形の瞳や、どす黒いオーラは無く元の男前に戻っていた。


鉄の青年の指示に従い、ある者は逃げ出した石津を追って部屋から出ていき、ある者は衣服を着こんで別方向に駆けていく。


鉄の青年も素早く衣服を着こむと、赤髪の青年を伴って部屋から出ていく。この時、僅かな間だが立ち止まり、石津が逃げていった先の廊下を見つめていたが、再び息を深く吐くと別方向へ足を向けた。


その頃の石津は……。


「ひぎぃあああああ!?怖ぇぇぇぇぇえ!」

「goraaaa!mateya!」

「otituke」

「tanomukara!」


鬼の形相で追い掛けて来る巨漢から、悲鳴を上げて逃亡していた。


巨漢は蹴りを食らった事で怒り心頭らしい。止めようとタックルしてくる仲間達を弾き飛ばしながら、爆走を続ける。


石津は何度か巨漢の大きな手に捕らわれそうになる。その度に、壁を蹴って跳び上がり、仰け反った姿勢から回転したりと、まるで曲芸師のような動きで巨漢の攻撃を避けていた。とてもスーパー店長の動きには見えないが、本人は逃げる事に必死な為、自分の動きを理解していなかった。


「ヤバいヤバいヤバいぃぃぃぃ!」

「guraaaa!」

「ひえええ!」


避けられ続けて苛立ちが増したのか、更に狂暴性を増した巨漢が獣のような声を上げる。後方からの恐ろしい声に石津は更に怯えて悲鳴をあげるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る