第3話 鏡の中の少年2

鏡の中の少年との逢瀬は、三年前に始まった。


当時の俺は慣れない店長業で疲れはて、半ば本気で転職を考えていた。ふと母の手鏡を思い出した。あの卒業式に見て以来、母の形見の手鏡は不思議な現象を起こさなかった。暫くは母との思い出を共有したくて何度も鏡を覗き込んだが、あの少年少女は現れなかったのだ。そして、就職の忙しさから間隔があき、その時にはほぼ忘れていたような状態だった。


約一年ぶりに取り出した鏡は相変わらず、その美しい鏡面を輝かせていた。覗き込むと、そこには知らない少年が映っていた。その美貌と金色を見て、一瞬だけあの少女かと見間違えた。


「うわわわわわぁ!」


次の瞬間、鳴り響いた少年の素っ頓狂な叫び声に違うと気付いた。


「わあ、鏡のおまじないって本当だったんだ!こんにちは、こんにちは、貴方って鏡の妖精さん?」

「よ、妖精!?」


少年は俺に鏡の妖精かと聞いてきたが、それを言う本人こそ、まるで妖精のように美しい見た目をしている。そんな美少年がキラキラと目を輝かせて、汗臭いスーツを着た男に妖精か?と聞いてくるギャップに思わず笑ってしまった。


「へえー、ていう事はそっちは異世界って事?つまりつまり、別の世界の人間や神様がいるって事!?」

「おそらくそうだろうね。君が言う帝国や大陸の名前は知らないし、君みたいな外見の人間がいたら大騒ぎだよ」

「へへ、僕の外見はこっちでも大騒ぎになるんだけどね……」

「そうなのかい?」

「うん、国に保護される程度にはね」

「へえ、超レア種族なんだね。偶然会えた俺はラッキーだ」


お互いに鏡の由来を話していると、鏡の向こうは異なる世界が広がっていると分かった。母から聞いていた話や、一年前の少年少女達の様子から予想はしていたが、母は詳しく話そうとしなかったし、あの日の少女は母の死を知ったショックでマトモな会話は出来ず、確信を得ることができなかった。


もしかしたら、彼等が超技術を駆使するコスプレイヤーである可能性もある。その場合、この鏡は液晶テレビか何かと思い調べてみたが、簡単な工具で分解できる平凡な鏡だった。


少年の事情は、ごくありふれた物だった。倉庫を探検していたら訳ありげな鏡を発見し、【満月の晩に覗き込むと妖精が現れる不思議な鏡】と書かれていた紙が添えられていた為、早速試してみたらしい。


異世界に繋がるとは思っていなかった少年。驚きの後に少年が抱いた感情は好奇心だった。


当時はまだ13歳だったオプタレアと名乗る少年は、俺という異世界の存在に危険や恐怖を感じる前に好奇心と興味を掻き立てられていた。矢継ぎ早に質問してくるオプタレアは、口調が幼く大人に対する礼儀が少々抜けている所があるものの、質問内容は政治から文化まで幅広く、時々鋭い疑問を投げ掛けてくるのでスマホで慌てて検索して答えたりした。幼い言動の割には振る舞いには気品もあるし、知識と教養に溢れ高度な教育を受けた子供だった。


「そうだ、一年位前に君みたいな女の子に会ったんだけど知らないか?」

「え……僕みたいって?僕みたいな目と髪で、金環と翼があるってこと?」


ふと、あの少女の事を尋ねた所、明るかった少年の顔がみるみるうちに曇った。その様子に、若干の引っ掛かりを感じながらも言葉を続けた。


「ああ、そうだ。名前は分からないけど、とても綺麗な子で、少し垂れ目気味で髪を三つ編みにしてる、おっとりした子だよ。君と同じくらいの歳だったかな。青みがかった灰色の髪の男の子も一緒にいた。名前は分からないが、知らないかい?」

「いないよ……多分、お兄さんが見たのは僕から見て過去だと思う」

「過去?」

「うんと過去か少しだけ過去か分からないけどさ。いや、きっと百年以上前の子だよ。この十年、僕以外に僕の種族はいないんだ」

「……そうか」


先ほどまでの溌剌とした様子がすっかりと消えてしまったオプタレアに、思わず出そうになった無遠慮な言葉を飲み込んだ。

唇を噛みながら俯く少年の瞳には、悲痛な色が宿っていた。それは、テレビの向こうで時々見る、傷付いた子供の瞳に宿る色だった。


異世界の情勢は分からない。だが、一つの人種が浄化の名の下で虐殺される事や、病の流行で死に絶える事は地球の歴史上でも珍しい事じゃない。異世界ではどんな事情があるのか、只の店長の俺には想像もつかない。


俺は何と言って良いが分からなくて、オプタレアを見つめながら黙ってしまった。オプタレアも同じく黙ってしまい気まずい沈黙が続いたが、不意に彼は後ろを向くと焦った様子になった。誰かが来たのだろうか、遠くで声が聞こえる。


ゴソゴソと鏡の向こうのオプタレアが揺れる、おそらく鏡を持って隠れて移動しているのだろう。不吉な予想に思わず手鏡を握る手に力が入る。たった一人の少年は、一体どのような状況なのだろう。


「あっ……、ごめんなさい。もう行かないといけないみたい」

「今来たのは知り合い?」

「うん!僕を守ってくれる人」


守るという単語に一切の曇りのないオプタレアの言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。この美しい少年は守られている。その事実は、ちゃんと彼の表情に現れていた。


「そうか、お別れだな。随分長い間話したけど、とても面白かったよ」

「ま、待って!僕、貴方ともっとお話しをしたい。これでお別れだなんて言わないで」


安堵のままに別れの言葉を口にした瞬間、思わぬ強い反応が帰って来た。特に気にせず口にした【お別れ】という言葉だったが、それはオプタレアにとって重要な単語だったらしい。


「また、話したいんだ。この鏡を通して貴方と会話したい。満月の晩だけでも……お願い」

「ああ、良いよ」

「っ」


感情を圧し殺そうとしているものの、その悲痛な想いが染みでた声で訴えられる。俺は鏡の表面を撫でながら、その言葉に応えた。


「そもそも、最初からそのつもりだったさ。オプタレアの話はとても面白いから、まだまだ話したいことが沢山ある。俺は寂しい独り身だからな、オプタレアみたいな可愛い子ちゃんと話せて恩の字だ」

「うん」

「さあ、オプタレア。行かないといけないんだろ、また次の満月の晩に会おう」


この日から俺と異世界の少年の交流が始まった。三年の間に沢山の事件があった。


主にオプタレアの世界であるが、疫病や飢饉、戦争や内乱、災害と人災。オプタレアのいる国は革命直後らしく、事件の種はそこかしこに埋まっていた。


俺はその度にオプタレアの相談にのり、此方の世界の偉人たちが採った解決策を調べて教えた。素人が集めた拙い情報だったが、オプタレアの傍にいる人々は非常に優秀らしく、それを巧みに活かして問題を解決してくれた。自分が集めた情報が、天才達によってどのように活かされたのか知らされる事は、俺にとってオプタレアとの会話の次に楽しみとなった。


オプタレアが俺の問題を解決する事もあった。不気味な現象が職場で多発した時、オプタレアが鏡に映した図形を模写し、その紙を貼ったらピタリとなくなった。店員間の窃盗事件で悩んでいた時は、オプタレアがあちらの人物にそれとなく相談して見事に解決してくれた。途中から、満月の妖精がオプタレアの友となったお陰で、俺達は好きな夜に語り合えるようになった。


そして、出会いから三年の時が経った。


その三年の月日は、オプタレアと俺の関係を深いものにした。友人の中には三年以上の付き合いの奴もいるが、オプタレアよりも深い関係かと言われたら否定する。三年の月日の中で交わした言葉や想いは特別な物だ。いつしか、オプタレアは俺の事を兄と呼び、俺はオプタレアを弟のように思うようになった。


当時は分からなかった、オプタレアの境遇も知っている。


俺が、あの日感じた引っ掛かりや予想は当たっていた。いや、それよりも遥かに過酷な宿命をオプタレアは背負い、懸命に生きていた。


異常事態に怯えたりせず、オプタレアとの交流を続けた当時の俺に喝采を送りたい。じゃなければ、オプタレアは今よりも過酷で辛い日々を送っていただろう。


オプタレアをオプタレアとして、純粋に心配して叱って褒めて励ます。たったそれだけの事が、子供ならば当たり前に受ける事が、酷く難しい場所にオプタレアは生きていた。小さな肩に重すぎるそれを、オプタレアは何とか抱えようとしていた。必要のない苦悩も受け入れようとしていた。


オプタレアの周りは優秀な人々が揃っているのだろう。オプタレアに示された選択肢は、どれもがぐうの音が出ない程に立派な物だった。賢い少年が言葉を飲み込んでしまう程に……。


だから、俺はその度に怒った、泣いた、否定した。


立派な政治家じゃない、庶民の考えだ。

正直、俺は賢くない。

偉い人には鼻で笑われるだろう。

ただ、俺だけはオプタレアの味方でいようと思った。

一個人としてオプタレアを想う男の無駄話だった。

何度、鏡の向こうに行きたいと願った事か。

何度、鏡の向こうの馬鹿を殴り付けたいと思った事か。

しかし、それは出来ない事だ。

所詮、鏡越しの安全地帯にいるだけの無責任な男だ。


オプタレアは自身で判断して決断し、己の勇気で状況を変えていった。今では以前よりも楽しげな話題が増え、押し潰されそうな表情を浮かべる事はなくなった。


「いつも食べてるソレ美味しそうだよね」

「こんなの材料ぶちこむだけの、適当料理だよ。教えた出汁と塩で、そっちでも食べれるだろ」

「駄目だよ、こっちではそんなの野戦料理だよ。僕にもイメージってのがあるからね」

「ははは、ぬかしおる」


目の前でふてぶてしく胸を張るオプタレアに、思わず笑ってしまうとオプタレアも笑う。


可愛いオプタレアの笑顔を毎日見れる事が、俺にとっては一番の幸せだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る