第2話 鏡の中の少年1
よくある、地方チェーンスーパーがあった。
パステルカラーの外壁の四角い建物の中にびっしりと物資を溜め込んでいるそこは、煌々とライトが店内を照らし田んぼの中でポツンと佇んでいた。今は特売品の狩人となるおば様方が活躍する夕方が過ぎ、今は仕事帰りのサラリーマンやOLが割引シールを貼られた弁当を吟味する時間帯だった。
ピークから落ち着いてはいるが、まだまだ活気のある店内の事務所にて一人の青年が電話をしていた。
「いや、ですからね。恵方巻きセール自体は否定している訳じゃないんですよ。ですがね、この量は明らかに多すぎるでしょう」
まだ、二十代後半と思わしき青年は、灰色のデスクに座り苛立たしげに電話の相手に話しかけていた。掃除はされてはいるが年月による劣化にて何処かみすぼらしい雰囲気の事務所に、硬い青年の声が響く。
「内容も肉とか蟹とか豪華にしろって。これ、作ってもほとんどはけませんよ。うちの主要客の年齢層分かってます?こんな重たいの食べきれませんって。ああ、はい、はい、若者層を呼ぶ必要がある事は重々承知していますがね。はい、はい、今はその話をしてるんじゃないでしょう!」
どうやら、来月に控えた催事について話しているらしい。いろんな意味で話題の恵方巻き。第二のバレンタインと言われているイベントを控えた今、本部と現場にて意見の相違が発生しているようだ。電話の向こうの声を聞いていた青年の表情が強張る。最初から穏やかな顔をしていなかった青年であるが、電話の向こうからの馬鹿にしたような声にその眉尻がつり上がる。
「……は!?それ、本気で言ってます!?……、なら言わせて貰いますが、うちの従業員に残業させてわざわざ捨てられる物を作らせるのはどうかって言ってんですよ!去年のロス知ってますよね?バレンタインとは違って、恵方巻きは寿司なんですよ寿司!日持ちが出来ないんですよ!チョコみたいにいくらでも潰しが聞く物と一緒にしないでくれますか!」
積もり積もったものを吐き出しながら、青年はダンダンとデスクをどつく。
「そもそも、努力してロスを減らせと言いながら、本部からの指示に逆らうなって!?発言が矛盾してますよ!せっかくだから言いますが、何ですかこれ!若者層も取り入れるって、こんなパクチー使ったトムヤンクン恵方巻きとか、タピオカ使ったスウィーツ恵方巻きとか、古いんですよ!ちょっと前に流行った物入れたくらいで、今時の若者はこんな下手物買いませんよ!はあっ!?こちとらギリギリ二十代じゃオッサン!お前よりは若者心理分かるわ!そんなセリフ、娘に口を聞いてもらってから言え!」
何を言われたのやら、一気に怒りを爆発させた青年が不満をまくし立てながら受話器を電話本体に叩き付けた。
「てんちょー、大丈夫ですかー?」
「飯沼さん、ダメかもしれん。ちょっと、あのハゲの頭を叩いて来てくれない?不具合直るかもしれん」
「あはぁ、知らないんですかぁてんちょー。馬鹿は死ななきゃ治んないですよ」
事務所に入ってきたバイトの高校生が、プークスクスと笑いながら言い放った言葉に、青年は「ああ、こんなに若い子すら分かる位、アイツは無能なんだなぁ」としみじみする。
「あれ?ていうか何でまだいるの?君は六時まででしょう?」
青年が不思議そうに時計を見ると、短針は六時を差し、長針は六と七の間をさしていた。この高校生は間延びした話し方の割には仕事の要領がよく、いつもは定時には帰っている。
「あのですねー、竹中のおじちゃんが来てます、野菜の子が絡まれてます」
「あの爺さんまた来たのか!」
「対竹中のおじちゃん最終兵器店長、出動おねがいしまーす」
「よっしゃ、任せろ」
バイトの高校生の芝居がかった言葉に、ノリノリで腕捲りしながらポーズを決めた青年は部屋から出ていった。
バイトの高校生がタイムカードを棚から取り出していると、遠くから青年の大きな声が聞こえてきた。
「聞いた限りですと、うちの従業員に非は一切ないと言わざるを得ない!」
「おっ、今日もてんちょー節効いてるなぁ」
高校生が能天気な声で呟き、タイムカードが機械を通るピッという電子音が聞こえた。
「あー、疲れた」
夜もふけた頃、誰もいなくなったスーパーの戸締まりを確かめながら青年は呟いた。27歳という働き盛りと言われる年頃だが、まるで社会に揉まれた初老のサラリーマンのように疲れはてた表情だ。
青年の名前は、岩津 源太。
某、見た目は子供頭脳は大人な少年探偵の仲間のせいで、なんだかヤンチャそうとか食いしん坊っぽいと無意味に言われる名前だ。名前の印象とは逆に、一重の瞳に薄い唇という、いわゆる醤油顔や塩顔と評されるあっさりとした顔だった。だが、なよなよとさした印象はなく太い凛々しい眉や太い顎といった顔付きは男らしい印象を主張している。
その眉を元気なく垂れさせた岩津は、その日の疲れがこびりついた肩を解しながら帰路に着く。
「ただいま」
岩津が住んでいるのは、手取り18万に相応しい古いアパートだ。築40年だが流行りのリノベーション物件なので、家賃の割には綺麗で風呂トイレ付の一室は男の独り暮らしには充分であると思っている。自室に入りながら岩津が声を掛けると、誰もいないはずの室内から応える声があった。
「おかえり、お兄ちゃん」
まるで鈴の音色のような声を聞いた石津は、疲れた顔に笑みを浮かべながら靴を脱いだ。シンプルなデザインの座卓の上に置かれた手鏡がぼんやりと光り、その鏡面の向こうから美しい少年が石津に手を振っていた。
数刻後、一人きりの筈の石津家の食卓は賑やかに会話が弾んでいた。
「ふふふふ」
「笑い事じゃねぇよ。あの禿げ、髪と一緒に知性も抜けたんじゃねぇか」
風呂に入った石津が鍋を食べながら話し掛けるのは、傍らに置いた鏡台に設置された手鏡だ。
その手鏡は、独身の男が持つには可愛いらしすぎて、なおかつ高価な品物だった。
銀製の土台に長径15㎝程の楕円の鏡がはまっている。蔓が巻き付くような彫刻が施され、金や瑪瑙等で出来た可愛いらしい小鳥がその蔓に戯れるように取り付けられていた。その鏡に石津の部屋は映っていない。画面一杯に映るのは、まだ幼さの残る少年の顔だ。緩いウェーブの掛かった金髪は細かな編み込みが幾つも施されており、白く透き通った顔を飾っているようだった。大きな金色の瞳は琥珀糖のようにキラキラと輝き、梅の花弁のような唇は可愛いらしく笑みを浮かべている。
一部の隙のない美少年がそこにいた。
「そもそも所縁もない土地の新しい催事で稼ごうとしてるんだから、試行錯誤を繰り返すのが当たり前だろ。というか、最初はそういう話がお上から来てたぞ。それが現場の声も無視して、豪華でございと思考停止するのが馬鹿だって言うんだ。禿と知性に関係あるんか?」
「そういえば、ハロードも同じ事言ってたよ。この間とか【禿と偏屈による無能の生誕】っていう訳のわからない論文書いてたし」
「お前の恋人さんのストレス発散方法、相変わらず斜め上だよな。流石、アウトロー系インテリ」
「エウーロイ卿は禿だけど好い人だよって言ったら「エウーロイ卿に免じて禿は許してやる!」って叫んで論文を燃やしてた」
「エロイ卿、好い人だもんな」
「もう、変な名前で呼ばないでよ。本当に好い人なんだからね」
「悪い悪い」
膨れっ面で怒る少年に、石津は笑いながら謝った。少年の怒りは本気ではない戯れ程度のもので、すぐに笑顔が戻って新しい話題に夢中になる。石津は主にスーパーで起こった事件やハプニングに関して話し、その一方で少年が語る内容は侯爵やら聖獣やら魔法やら、なにやらファンタジーな単語が頻発する。
それも仕方がない。
なにせ、この美しい少年は異なる世界の存在なのだから。
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