第15話

 朝から折原紗良は張り切っていた。今日は、というか今日から目いっぱい毎日を楽しむことに彼女はしたのだ。もういつ死ぬかも分からないのだから。出かけるのは好きだけれど、いつもは億劫であまりできていない。今日は山登りに行こうと思う。家の近くの小さな山だがちゃんと登れば良い運動にもなるし登山の雰囲気もある。そう頭の中で言いながら折原はまず朝ごはんをつくる。フライパンで目玉焼きをつくりベーコンを焼いた。青いプラスチックのコップに牛乳を入れた。ロールパンをお皿に置いて彼女の朝ごはんは出来上がりだ。いつもよりのんびりと味わって食べつつ彼女は長山に行く準備を考え始めた。結局リュックに色々入れすぎて大荷物になってしまった。今日はいい天気だと言っているテレビの天気予報を聞く。その代わり明日からは雨が続くでしょうとも言っていた。出発は9時ぐらいになったが準備は万端だ。

 彼女はマンションを出て、長山へ向かった。途中近所の老夫婦に声をかけられ、長山に行くんです、と答えた。いってらっしゃいという二人の声を背に受けながら彼女は歩き出した。なんでもない道を大げさな荷物を背負って歩いている。彼女にとってこの長山はよくお散歩に行くなじみ深い山だ。ただ頂上まで登るとなると大変なので適当なところで折り返すのだが。折原は夏の空気を肌で感じながら山に入って行った。光が木々で遮られ心地よい。山を登りながら、彼女は海も行きたいななんて考えていた。照り付ける太陽はとても楽しそうだ。海は少し遠いところにあるし、雨がこれから続くらしいからいつ行けるかはわからないが。どんどん登りながら彼女はこっちの入り口から行かずに神社側から入ればよかったと思った。あちらの方が、緑が豊かなのだ。帰りはあっちにしようと考えた。

 そこから2時間ぐらいかけて頂上に着いた。お昼ご飯はちょっとしたカフェでとることにした。折原はこういうカフェのナポリタンが好きなのだ。景色もよい。今まで住んでいた、というかなぜかもう死んだ視点になっているが、町がきれいなものに見えた。人間なんて都合の良いものだ。疎ましいと思っていたものが自分から離れることが分かると、かけがえのないものに思われる。しかし、それが一時期の心の迷いだとしても、折原は死にたかったのだ。そんな重い思考に走ってしまう自分を思いながら、お金を払って、彼女は店を出た。小銭が財布に目立つ。

 下山はさっき思ったように長山神社側から行こうと彼女は思い来た道とは逆側へ向かった。こっちは高さの低い木もあって、にぎやかな雰囲気だ。下には神社があってそれも折原のお気に入りだった。彼女は食べたナポリタンをエネルギーに変えて下山していった。青い空に見守られているな、などとポエミーなことを思いながら。歩いていくと段々彼女にとって見慣れた景色になって来た。いつも散歩で来る高さまで下りて来たのだ。そこから、かみしめるように、楽しい登山をかみしめるように彼女は下りて行った。

 そして、神社の鳥居をくぐった。これは山に近い奥の鳥居でもう少し石段を歩けば神社が見えて来る。彼女は神社までやって来た。いつもは売っているものなんかに見向きもしないが、今日はこれが最後かもと思うとよく見てみたくなった。お守りが充実しているようだ。学業系や家内安全、安産系のものもある。どれも関係ないかな、と彼女があきらめかけた時、視界の片隅に底抜けの青色のお守りを見つけた。どういう願いのものか、と折原が尋ねると特にこれといったものはなく、全般的なものです、と丁寧に説明された。死ぬ予定のある人がお守りなんかを買っても、神様にわしの無駄遣いだなんて言われそう、そう思いながら買った。小銭でちょうど300円があった。良い記念になると思って、買うことにした。この突き抜けた清々しい青色が彼女は気に入ったのだ。満足した彼女は楽しい足取りで家へと歩き始めた。買ったお守りは折原を励ましてくれているようだった。家に着いた折原は寝た。眠気が彼女を襲ったのだ。登山をした後の体にはやはり疲労がたまっていたらしい。しかし彼女はちゃんと身の回りを整理して寝た。おやつも食べずに。もちろん頂上で押した記念スタンプや買って来たお守りはテーブルの上に置いて。

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