第11話

 ただ、大抵というのはきちんとした言葉で、そこに例外が存在することを示唆しているのだ。例外は七月の下旬に起きた。今までとは違い彼女が運命的な死に方について調べている時だった。検索ワードを色々試しているうちに「運命 つくれる」とか「運命 感じさせる」なんていうよく分からない文字列を打っている時だ。検索結果にはろくなものはないだろう、そう思いつつ惰性で画面をスクロールすると、「運命を演出します」という謎めいたサイトが出て来た。興味本位で彼女はそれを読んだ。ある人に運命だと錯覚させてほしいという依頼を請け負っているらしい。今の自分に必要なものではないけれど、面白そうなことをしている人もいるんだなぐらいの認識は持った。

 そして、その日の検索タイムはお開きとなった。昼ご飯を近くのコンビニに買いに行き、家に戻って3分間弁当を温めている時だった。電子レンジの前で彼女は思い付いた。私を死なせて「ああ、私はここで死ぬ運命だったんだな」と錯覚させて下さい、という依頼をすればよいのではないだろうか。彼女は折角温まった弁当が再び冷めることは気にせず、嬉々としてスマホを手に取った。自分の死に方を見つけられて嬉々とするのも変な話だが。しかし、喜びに満ち溢れた顔はスマホがサイトを表示した途端に曇った。「自分の運命を演出してほしいという依頼は受け付けておりません」という一文が彼女の目に入ったのだ。これはつまり、さっき彼女が考えた依頼が受け付けられないということだ。彼女はしぶしぶ弁当を口に運んだ。

 最後のご飯粒を口に運んだ時、偽ればよいということに折原は気づいた。つまり、彼女が折原 紗良以外の人物になって折原 紗良を死なせてあげてください、と依頼すればよいのだ。そうと決まれば彼女の動きは速かった。日が暮れるまでに文面を完成させた。高校二年生の夏休みの後から、また別の学校に転校したのは本当だが、実際にはみんなから無視され続け、一人の日々が続いた。そしてすぐ不登校気味になり、気味の二文字が外れる運命となった。しかし、そんなことを書くと、この依頼者である「私」の出る幕が無くなるし、何より自分で書くのが辛くなる。それでも書かないと死なせてあげる理由がないと思い、彼女は頑張って書いた。ソフトな表現が多くなったのは事実だし、自分の死にたさが伝わらないかもしれない、そう思いもしたが、彼女はその程度にとどめた。そんな文章の中、折原は一つだけ書いていて楽しい部分があった。自分の死を依頼する文に書いていて楽しい部分があるのもおかしな話である気もするが、仲良くしてくれた男子、については書いていて楽しかった。安藤 司という名前だったが実名をさらす必要はあるまい。彼にも迷惑だ。ただ、その彼との話すらも自分の死にたい理由を引き立てるのに使ってしまったのは、なんとも言えず残念で、自分が悲しく思えて来た。

 でも、それが現実だという思いが折原の中にすぐ押し寄せて来た。錯覚させたい相手の欄に記入する個人情報はかなり細かく求められたので、不審にすら思ったが、「送信された個人情報は依頼の遂行のため以外には絶対に用いません。」と「自分の運命を演出~」という表記と同じくらい目立つように書いてあったので、彼女は信頼することにした。何かの縁があって知り合ったサイトだろうし、ここに自分の個人情報を書き込んで、死ねるのなら構わない、と彼女は階段を一段ずつ上がるかのように、フォームを自分の情報で埋めて行った。

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