第10話
もしかしたら、依頼者が折原さんを殺したいだけで、全て作り話なのではないのか。僕が折原さんのことを少し知っていたからややこしくなっただけで、現在21歳の折原さんは死にたいなんて微塵も思っていない、なんてこともあるだろう。虚空を見据えた僕の目は泳ぎ、思考は巡り続けた。しかしまとまった考えは思いつかず、脳は疲労した。時は経ち、気づくと日は暮れそうだった。依頼を見た時には、おやつにダックワーズを食べていたのだから3時間ぐらいは過ぎたのだろう。依頼の内容を考えることも大事だが、今日の晩御飯を考えるのも大事だ。少し野菜が余っていて、朝のパンが期限前なので食べてしまおう。何で野菜炒めの味付けをするかを考えながら、パソコンを閉じて目と鼻の先のキッチンへ向かう。ニンジンを無心で薄い輪切りにして、ピーマンの種を取って切って、玉ねぎも切った。焼肉のたれを使おうと出す。火にかけたフライパンに材料を入れて少し待つ。焼肉のたれのボトルを持ち上げ、すこし回し入れるときに思い付いた。名案を。野菜を混ぜながら、名案ほどではなくとも、現状の思考にがんじがらめになる状態から半歩ぐらいは前に進めると思った。
ピーマンのシャキシャキ感を楽しみながら、思い付きを整理した。要するに、依頼者が正しいのか、なんてことも気にするわけだから、依頼者を調べればよいわけだ。情報はメアドしかないが。そこまで整理して、食べることに専念した。
ロールパンを3つ食べ終えて、パソコンに向かう。メールアドレスから調べられる個人情報なんてたかがしれてるが、この、運命を演出しますに使うかもと思ってハッカーまがいのウェブサイトはいくつか目を通しておいた。色々あったが、今回はメアドからの詮索だ。メアドを検索したり、それがどこに属するものなのかを調べる。調べるうちに申請すればアカウントを作ることで発行されるタイプのメールアドレスということが分かった。このアカウント情報を使ってさらに探りを入れると、答えが出るはずだ。いくつかの手順を踏んだ後、アカウントの個人情報とそのアカウントの申請者の個人情報を示すアングラサイトのような画面に答えが出た。アカウント自体の個人情報は奇妙なもので、適当に偽造したことがうかがえる。その下はアカウント申請者の欄だ。氏名の欄を見る。
折原 紗良
この難解な状況を半歩前に前進させることのできる一手だと思っていたものは、難解な状況を呆気なく打破した。そして、さらに難解な問題を僕に突き付けた。
折原 紗良は笑っちゃいたいぐらい死にたかった。同時に自分の意志で死ぬのが、この国この時代、どれぐらい難しいことなのかも分かっていた。人に迷惑をかけないという条件を付けた途端、難易度がグッと上がることも。リビングの椅子に座って、天井を見つめていた。いつもこんなことをしながら、生きているのだ。大学にも籍は置いているが、それは親の言いなりに仕方なく従っただけだった。両親の彼女に対する占有的な態度はいくつになっても変わらなかった。もちろん蔑みを伴ったものである。そんな家庭環境の中で育ち学校ではいじめられた。いじめから逃げる休息地となるはずの家はそんな状況だったのだ。今は東京に出てきているから幾分かましだが。死にたい彼女は、買い物などに出かけると、不謹慎だと理解していても、通り魔が自分を刺し殺してくれないかしらなんて思う。
しかし、彼女の意思に反して、町は平和であった。誰かが自分を殺してくれたら楽なのに。そんな思いばかりが募る日々だった。これまた不謹慎だが、朝起きたら、死んでいるなんてことがあれば良いのに、と思うこともあった。しかし、この世界はカフカの紡ぐ世界ではなかった。生きたくても叶わない人がいるこの世の中で本当に不謹慎だが、自分が知らないところで誰かが殺してくれれば良いのに、自分がふとした手違いで死んでしまえば良いのにと思うばかりだった。寿命を分けたい。そう思ったこともある。だが、折原は毎日を悲観して過ごしているわけではない。たまにはスマホで死に方や自殺について調べる。しかし大抵、自分の人生を自分で終わらせることへの抵抗感を感じて終了する。
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