第47話 本当の僕は薄暗い生き物だ。

「おい、それ……何を読んでるんだ?」

「あ、ルイ」


 本当なら、ロビンの姿を見かけても声をかけるつもりはなかった。

 だが彼が手にしているものがあまりにも意外だったので、思わず尋ねてしまったのだ。


「これ? 司書さんが勧めてくれた本」


 ロビンが本を掲げて背表紙を見せてくれる。

 やっぱりそれは最近出版されたばかりのロマンス小説だった。

 そのジャンルも意外だが、何よりつい最近まで絵本を読んでいた彼がもうそんな小説を読めるようになったことに驚いた。


「いつの間に小説を読めるようになったんだ!」

「司書さんに言葉を聞いたりして、頑張った」


 彼は事も無げに言って、にぱーと太陽のような笑みを見せる。

 彼のその言葉に、胸の内が掻き回されるように熱くなる。


「僕の知らない内にいろいろ覚えるんじゃない」


 彼の手から本を引っ手繰ってページを閉じる。


「あ、ごめん……。いけないことしちゃった?」


 彼がしょんぼりと眉を下げて濃褐色の綺麗な瞳で僕を見つめる。

 彼のその表情に苛々と頭を掻き毟る。

 口に出さなきゃ分からないのか!


「そうじゃなくて……! ロビンが小説を読めるようになったんなら、最初に僕の勧めた本を読んで欲しかったんだよ……」


 わざわざ言葉にする羞恥心で声が尻すぼみに小さくなっていく。


「……!」


 僕の言葉にロビンが目をまん丸にする。

 ああ、やっぱり言わなきゃよかった。


「今すぐ読もう! ね、ルイが好きなのってどの本?」


 ロビンはぱーっと顔を輝かせて椅子から立ち上がる。

 僕は引っ張られるようにして、彼を本棚へと案内することになったのだった。


 まあ、彼がロマンス小説の存在を忘れてくれたのは助かった。

 あれはかなり濃厚な……その、行為の描写があるからな。

 彼がそんなものを読んでると思うと、心臓が変な風に跳ねて仕方なかった。


「僕が好きなのはこれだけど……」


 様々な小説が収められている本棚の前で、僕は逡巡した。

 さっきのロマンス小説とはまた違った意味でロビン向きではなかったから。


「これ?」


 ロビンが僕の示した本を本棚から引き抜く。


「『洞穴の孤独』……?」


 タイトルを読み上げて首を傾げている。


「それは洞穴に籠ってひたすらに自分とは何か、他者とは何か、生きるとは何かを考えた男の手記だ。暗いし、分かりやすいストーリーがある訳じゃない。でも……惹き付けられるものがあって、僕は一気に読んでしまった」


「……」


「つまらなさそうなら、別に読まなくてもいいけど」


 表紙をじっと眺めていたロビンが顔を上げる。


「ううん、読む。ルイが好きなものがどんなものか知りたいから」


 ふうん読むのか、と意外に思った。

 彼はこういった薄暗いものとは無縁の人間のような気がしていた。


 少し前までは彼にそういう仄暗いものを塗りたくろうとすることを愉しんでいたのだ、僕は。恥ずべきことだ。

 でも、もしも彼の方から興味を持ってくれるなら……


「そうか……じゃあ、是非感想を聞かせて欲しい」


 彼の感想次第では、もしかしたら。

 いや、既に僕は彼に僕の心の襞を見てもらいたくなっていた。

 もしも彼が僕の造られた表面だけではなく、その裏側まで受け止めてくれるのなら。


 彼に触れられた訳でもないのに、胸の底が熱くなっているのを感じた。

 こんな気持ち、初めてだ。


 ロビン。

 昏くて、繊細で、まだ誰も触れたことのない場所に触れて欲しい――――。

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