第45話 もう大人の男なんだなって。
窓から月を見上げながら、ルイの言葉を反芻する。
『君のその一途な想いは美しい』
彼はそう言った。
そんな訳ないだろう。
弟を愛しているのだ。
血は繋がっていないが、それは近親相姦だ。
少なくとも前世の倫理ではそれはしてはならないことだった。
一体何が美しいというのか。
そもそもルイは何故突然オレに告白してきたんだ。
ロビンとルイをくっつけさせようと努力してきたはずなのに。
ロビンに色々と教えてやったのは無駄だったのだろうか。
ルイが告白してきたことにオレは失望してもいい筈だった。
だがオレは何故だか安堵すらしていた。
きっとオレは、ずっと不安だったのだ。
ロビンが王城に来ることを敵に攻め込まれているように感じていた。
彼が何もかもを奪っていく中で、己の命とラファエルだけは守り抜かねばならない戦いなのだと思っていた。
そうじゃないんだ。
ロビンも、ルイも、他のみんなも……生きた人間なんだ。
みんなそれぞれの想いを抱いてこの世界を生きている。
ゲームの中の駒なんかじゃない。
「そうか……ルイ、オレのことを想ってくれてたんだな」
今更ながらに、彼がオレに恋心を抱いてくれていたことを実感したのだった。
「別にデッドエンドなんて気にする必要、なかったのかもな」
オレが死ぬことになったとしても、それはゲームの中の悪役に生まれてしまったからではない。この世界で生き抜いた結果としてそうなったに過ぎないのだろう。
誰かと誰かをくっつける為に奔走する必要なんてないんだ。
そう思った途端、すっと気持ちが楽になっていくのを感じた。
今日はなんだかよく眠れそうだ……。
*
「まさかラファエルと二人きりになるとはな……」
数日後のことだ。
オレと弟は深い森の中で顔を見合わせて苦笑いすることになっていた。
騎士団の合同訓練が実施されることになった。
第一から第五まである騎士団のルーキーらに、次期宮廷魔術師であるラファエルを加えて瘴気の森を踏破するのだ。
瘴気の森とは、
人々はそこを避けるように生活しており、近隣には村もない。
何でも噂に寄ればこの森は呪われているから魔物が棲息しているのだそうだ。
騎士団が実戦経験を積むには絶好の場所であり、数十人で瘴気の森に足を踏み入れたオレたちは……何故か騎士団と分断されてしまったのだった。
「なんでオレを庇った」
ラファエルがオレを睨み付け腕を組み、オレを厳しく叱りつけようとしているようだ。だがどうしても表情が緩み、可愛らしい顔になってしまっている。
「すまん、ラファエルの方がオレなんかよりずっと強いのは分かっていたんだが……」
騎士団は魔物の群れに遭遇し、戦闘しているところだった。
巨大化した猪のような姿の魔物がラファエルに狙いを定めたその瞬間、身体が勝手に動いていた。
ラファエルを庇って跳ね飛ばされ、そんなオレを助ける為にラファエルが追いかけてきて……ということをしている内にすっかり騎士団とはぐれてしまったのだ。
「別にお兄様は弱くないだろ! 同期の騎士の中では負けなしじゃないか!」
「そりゃオレは5歳から稽古つけてもらってたし。でもそれでもラファエルの方が強いだろ。ラファエルには魔法があるんだから」
何もオレが庇わなくても、ラファエルは魔術を使って自分の身体を防御できただろう。そしてこういう風に他の奴らとはぐれずに済んだはずだ。
「魔術なんて……! そんなものなくても、お兄様は世界一なんだ!」
ラファエルは支離滅裂な主張を叫んだ。
「まあ……とりあえず、他の奴らと合流する方法を考えないとな」
「何か派手な魔術を使えば気づくんじゃあないか」
そう言ってラファエルが手に持った杖を空へと向ける。
「待て待て待て!」
慌てて彼の手を掴んで下ろさせる。
「この森に潜んでるのはただの野生動物じゃない、魔物だ。魔物は人の気配を感じたら容赦なく近寄って来るぞ」
野生動物とは違って、魔物は人を怖れたりしない。
騎士団の奴らに見えるような派手な魔術を使ったりしたら、間違いなく魔物が殺到するだろう。
「じゃあ、どうすれば……」
ラファエルが困惑の表情をオレに向けたその時。
ぽつり、と一粒の雫が彼のフードに当たって弾けた。
「雨だ」
雨粒の勢いは見る見る間に増していく。
「雨宿りできる場所に移動した方が良さそうだな」
雨に追い立てられるように、オレたちは走り出した。
*
ほどなくしてちょうどいい洞窟を見つけた。
「奥の方なら火を点けても大丈夫、かな」
道中歩きながら集めた焚き木を奥まった場所に置く。
そして着火の為の
「ラファエル、頼む」
必要最低限の魔力さえ持っていれば誰でも起動することができる。
そして魔力ゼロ体質のオレはその『誰でも』の中には入っていない。
最も、ラファエルなら
「ああ」
ラファエルがボールペンのような形をした
「服を乾かそう」
留め具を外し、鎧を脱いでいく。
中に着ていた服も脱いで、上半身裸になる。
何気なくラファエルに視線を向けると、ローブも脱がずにそのままの彼がバッと顔を逸らすのが見えた。
「ラファエル、そのままだと風邪を引くぞ」
「我慢する……」
ぼそりと呟かれた彼の言葉に、眉を吊り上げる。
「我慢するとかそういう話じゃない。こんな場所で風邪を引いたら肺炎になる。最悪死ぬんだぞ」
彼に歩み寄ると、そのローブを引き剥がすように脱がせる。
その中も濡れていたので、ボタンを外してシャツをはだけさせていく。
「や、やめて……っ!」
気が付いたら彼の黒い瞳は涙で潤んでいた。
耳まで真っ赤になった彼の顔を見て、ようやく自分の行動を客観視した。
「すまん!」
火傷でもしたみたいに彼の衣服からすぐに手を離し、後ろを向いた。
はだけたシャツの間から見えた彼の白い胸元が、脳裏に焼き付いて離れない。
裸に近い格好で彼と二人きりでいることを意識せざるを得なかった。
洞窟の壁に映し出された二人の影が揺らめく。
先日、ルイに言われたことが思い起こされる。
ラファエルに向き合うべきだと。
だが何もこんな時じゃなくたっていい筈だ。
こんな逃げ場の無い場所で何か言い出すのは卑怯だ。
「お兄様、ごめん……」
彼が謝る声が背後から聞こえる。
「いや、いいんだ。オレは背を向けてるから焚火に当たってなさい」
振り返らずに、子供に言い聞かせるような口調で言う。
オレの想いが彼に透けて見えているかは分からないが、多分オレには裸を見られたくないだろう。
「ありがとう……」
消え入るような声で彼が礼を言う。
それきり会話が途絶えて、洞窟の中はシンと静かになった。
だが彼が眠ったりしたのではないのは分かる。
何となく背中にラファエルの視線を感じるのだ。
「ラファエル、何だ?」
背後へと声をかける。
「あ、いや……お兄様の背中、大きくなったなと思って」
「……そりゃあもう23だからな」
肩を竦めて答える。
部屋が一緒だった頃ならともかく、今では互いの肉体をまじまじと見つめる機会などそうない。ラファエルがオレの背中をじっと見つめている様子なのは、だからだろうか。
「そうなんだけど、それだけじゃなくて……」
「なんだ?」
彼が躊躇いがちに言葉を搾り出す。
「その……お兄様、もう大人の男なんだなって」
心臓がどくりと跳ねた。
否が応でも彼の言葉に性的な意味を見出してしまう。
まるでラファエルが男としてオレを意識しているかのようだ。
安宿での出来事が思い出される。
今、彼を押し倒せば彼はオレを受け入れてくれるだろうか。
あの時大事なものをオレに差し出そうとしてくれたように。
「……っ」
拳を握り、手の平に爪を立てる。
何を考えてるんだオレは。
こんな場所で彼を抱いてはならない。
そんなのはオレの為にも彼の為にもならない。
城に帰ったら……。
そう、城に帰ることが出来たら、その時ラファエルに告白しよう。
オレはそう心に決めた。
その後雨が止み、乾いた服を羽織ったオレたちはすぐに騎士団の他の奴らと合流することができた。
王城への帰路の最中、オレはずっとラファエルの背中に熱っぽい視線を注いでいたのだった……。
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