第38話 お願いだから

 ラファエルが図書室を去ったのを見送ると、僕はロビンと二人きりになった。

 ロビンは何が楽しいのか、僕に微笑みを向けている。

 それが僕には苛つきをもたらすのだった。


 御子は物覚えが早いというのは知っていた。

 保有している魔力量も多いし、稽古すれば剣術では負けなしになる。

 いまロビンが何も出来ないのは、王城に来るのが遅れたからに過ぎない。


 僕はロビンが恐ろしい。

 いや、僕だけでなく誰もが恐ろしいと思っているだろう。


 今までの歴史の中で御子がその才能を活かして要職に就いたという記録はない。それは何かをさせれば、人間よりもよほど優れていることが歴然としてしまうからだ。


 だから御子は代々ことになっている。

 王城という大きな檻の中で、一生を幸福に終えてもらうのだ。


「ルイ、この絵本最初から最後まで読めたよ」

「ああ、良かったですね」

「次の絵本探してくるね」


 文字と発音規則を少し教えただけで、彼は現実に音で知っている単語と結び付けてすらすらと文章を読めるようになってしまった。例外的な綴りの単語について時々質問を投げかけてくるくらいで、もう彼は一人で絵本を読める。

 彼がもっと難しい本に手を出すのに時間はかからないだろう。


「待って」


 彼の腕を掴んで止める。

 それだけで彼の熱い魔力が手を通して流れ込んでくる。

 それに呼応して身体が熱くなってくる。


 悔しかった。

 マルセルの冷たい手よりも、彼の熱い手の方がよほど心地よく感じることを知ってしまった。

 きっと手に触れて僕が感じているのは温度ではない。触れた相手の身体に流れる魔力量が熱さ冷たさに近い感覚として触覚に反映されているだけ。

 分かっていても、熱を求めるのを止められなかった。


「うん?」

「次は本じゃなくて、僕の部屋で遊びませんか?」


 だから僕は彼にささやかな復讐をすることにした。

 復讐と言っても彼を痛めつける訳じゃない。

 むしろ彼も気持ちよいとすら感じるだろう。

 ただ僕は、死ぬまで純粋無垢に生きるはずだった御子の生涯に足跡をつけたいだけなのだ。それもなるべく汚い跡を。


 *


「ロビン……ロビンと呼んでもいいよね」


 自分の部屋にロビンを連れ込むと、上着を脱ぎながら振り返って尋ねる。

 本来ならば神の子である御子様は王族よりも格上で、何時いかなる時も敬語でいなければならないのだが、ロビン相手にそれはダルい。

 図書室で会話しながらも時折呼び捨てにしてみたが、彼の気に障った様子はなさそうなのでそろそろ大丈夫だと思ったのだ。


「うん、むしろその方が落ち着くよ」


 思った通り、彼は不快に思うどころかぱっと顔を明るくさせたのだった。


「ふふ、ありがとう」


 微笑みながらベッドの縁に腰掛ける。


「ねえ、ロビンは僕のこと好き?」


「うん、ルイほど綺麗な人は見たことないよ。一緒にいられるだけで幸せな気分になるから、とっても好きだ」


 そんな類の知識は無いはずなのに、ロビンはごく自然に口説き文句のような言葉を口にする。御子は人間関係に関してすら飲み込みが早いのだろうか。

 そんなことを考えながら靴を脱ぎ、ベッドに上がる。


「じゃあ……僕のこと、ハグしてくれる?」


 ベッドに寝そべりながら、立ったままの彼に向かって腕を広げた。


「え……? でも……」


 物を知らない癖に細かいことを気にしているのか、彼が躊躇の表情を見せる。


「大丈夫だ、僕もロビンのことが好きだから触れられても嫌じゃない」

「そうなんだ……」


 にこりと微笑んで嘘を口にすると、ロビンはやっとおずおずとベッドに上がり込んできた。

 本当はロビンのことなんか好きじゃないし、今だって彼に触れられるのは嫌だ。

 でも嫌だと思う以上に彼のことを傷つけたかった。


「こうかな?」


 彼がぎこちなく僕の身体に腕を回す。

 初対面の時は遠慮なくハグしてきたのにどうしたというのだろう。

 もしかしてこの抱擁には挨拶以上の意味があることを感じ取っているのか。


「もっとぎゅっと強く抱き締めて」

「うん……」


 ベッドの上で身体と身体が密着すると、彼の魔力が伝わってくる。

 熱くて、身体が灼けそうなほどに気持ちがいい。

 足りなかったものが満たされていく感覚がある。

 でも、それも僕を苛立たせるだけだ。

 相手がマルセルではないから。


 もしも僕がロビンのことが好きなら、これだけで心の底から幸せな気持ちになれたろうに。ほんの少しだけ、そのことを残念に思った。


「ねえ、直接触って」


 シャツをまくりあげて腹を見せると、彼が動揺したように目を逸らす。

 まるでいけない物を見たとでも思っているようだ。

 彼の情緒は子供そのものだと思っていたが、その考えは少し改めなければならない。……少なくとも思春期の少年程度の情動は持ち合わせているようだ。


「お願いだから」

「ルイ……」


 彼の手を掴んで僕の肌に触れさせる。

 彼の熱い指が直接僕の脇腹をなぞり、直に魔力が伝わってくるのが分かる。

 魔力で満たされていくにつれて、日々魔力不足により感じていた頭の鈍痛や身体の怠さが抜けていくのが分かる。


 だからもっと欲しくなってしまう。

 彼の粘膜からならもっと効率よく魔力が伝わるだろう……。


「ロビン」


 彼の濃褐色の瞳を真っ直ぐに見つめながら足を組み、つま先を彼に見せつける。

 彼の目の前で靴下をゆっくりと脱ぎ、白い肌を晒していく。

 裸足を見せると彼の顔が赤くなっていくのが見えた。

 初心で可愛らしいじゃないか。


「その、人前で裸足になるのは、あまり……」

「人前じゃない。ここには君と僕しかいない」


 口では戸惑いを見せながらも、彼の視線は白い素足に釘付けになっている。

 彼の瞳の中に欲の色が灯され始めている。

 僕がその穢れた情欲を彼に植え付けてやったのだ。


「ロビン、舐めてくれないか?」

「え……?」

「君ともっと深く触れ合いたいんだ、いいだろう?」


 ロビンが戸惑って僕の顔と目の前の素足を交互に見つめる。

 だが躊躇しているだけで、僕に触れたいと望んでいることが彼の表情からよく読み取れた。


 僕が彼の欲を操作してやっている。

 それだけで彼のすべてを掌握しているかのような気分になれた。


「ねえ……お願いだ」


 眉を下げて懇願するような表情を作って、彼を見つめる。

 彼が戸惑いと共に目を逸らすと、つま先で彼の顎をくいっと上げ、僕と目を合わさせた。彼の顔が耳まで真っ赤に染まっていく。

 そして遂に……


「……っ」


 彼はおずおずと舌を出して僕の足の甲を舐め上げたのだった。


「ふ、ふふふ……!」


 御子を思いのままに操ってやった優越感に高笑いさえ漏らしたい気分だった。


 ロビンは羞恥を堪えるように赤面しながら、僕の足を舐め続けている。

 僕の掌の上では彼は犬も同然だ。

 御子がこんなに歪で淫らで惨めな姿を晒していることを僕以外の誰も知らない!


 ああ――――快感だったとも。

 憎い相手の人間性を踏みにじるのは。

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