第37話 また来たのか。
「なんだ、また来たのか」
珍しく休日だというクリスの部屋を尋ねると、ギロリと鋭い視線を向けられた。その視線に私の心臓がどくりと跳ねるのを感じたのだった。
何故私はこんなにもこの少年に執着しているのだろう。
何故マルセルのアドバイス通りに彼に焼き菓子を持っていき、そしてまた二度目の今回も持ってきてしまったのか。
彼の指摘した通り、私は彼を憐れんでいるのか?
違う、と思いたい。
多分、私は……純粋に彼を好ましいと思っているのだ。
ずっとそんな風に意識したことなど無かったのに。
「約束通り、今回も菓子を持ってきたぞ」
彼の為だけに持ってきた菓子の包みを差し出す。
「は? 菓子を持ってこいっていうの本気にしたのか?」
彼は呆れたような返答をするが、その瞳が嬉しそうに輝くのが見えた。
やっぱりお菓子が好きらしい。マルセルの助言に間違いはなかった。
「今日パティシエに焼かせたのはカヌレだ」
「カヌレ……?」
包みの中から菓子を一個取り出して、不思議そうに首を傾げている。
どうやらカヌレを見たのは初めてのようだ。
何でも涼しい顔で完璧にこなしているようなクリスにも知らないものはあったらしい。まあ、当たり前か。彼だってごく普通の少年なのだから。
「王城ではあまり饗されないだろうからな。南の方の菓子だ。南にワインの名産地があるだろう? ワインの澱を取り除くために卵白を使うから、余った卵黄を活用する為にこの菓子が作り出されたらしい。うちのパティシエが南の出身で、時折焼いてくれるんだ」
「卵黄……なるほど」
小さな菓子をじっと見つめていたクリスが、おもむろに齧り付いた。
そして驚いたように目を丸くする。
「む、中は柔らかいんだな」
「見た目に騙されただろう?」
彼の驚きの表情が可愛らしくて、頬が緩むのを感じる。
「ああ。あんたのおかげで知識を深めることが出来たよ、礼を言う」
一瞬、幻覚を目にしたかと思った。
彼が微笑んだのだ、私に向かって。
いつもの執事としての張り付けたような完璧な笑みとは違う。
彼の素の笑顔だ。不意打ちの表情に心臓がバクバクと動悸する。
何故なのだろう。
何故私はこんなにも動揺しているのか。
マルセルに対してだってこんな感情は覚えたことがないのに。
「今日は他に包みは持ってきてないようだが、マルセル様にはもう渡したのか?」
「いや……今日はクリスの分しか持ってこなかった」
私はマルセルにはこんなに高い頻度で菓子を持ってくることはなかった。
だから急に何度もマルセルに菓子を渡したりしたら、クリスに個人的に何度も会いに行ってることがバレるだろう。それは何となく恥ずかしかったのだ。
あとクリスに会うついでで菓子を押し付けられたのだと知ったらマルセルもいい気がしないだろうし。
「つまり……オレの為だけに?」
また「使用人の為に馬鹿なのか?」なんて言うつもりだろうか。
眉を吊り上げて突っかかってくるその表情すら愛おしかった。
「……オレは何も礼などできないのに」
だが意外にもぽつりと呟くのみだった。
「私とこうして二人きりで会って、会話を交わしてくれるだろう?」
「……っ」
彼ににこやかに笑いかけるが、彼は不安そうに私の顔色を窺う。
一瞬、彼の顔つきが実年齢よりも幼く見えた。
彼の心の脆い部分が顔を出したかのようだった。
「いや、本当に。君との会話以外には他に何も望んでいない。安心してくれ」
慌てて口にしながらも自分の言葉に疑いを持っていた。
本当にそうだろうかと。私が望んでいるものは彼との会話だけか?
本当はもっと……彼の弱いところを暴きたいと思ってるんじゃないのか?
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