若者に拒絶されるの巻

 スタンディングデスクに置かれたパソコンから流れるFMラジオが、室内に静かに響き渡る日曜日の20時。

 立ち飲み屋よろしく、バーボンのロックを傾けている。

 バーボンは、当然のことながら近所のスーパーで買った安物である。

 4リットルペットボトルのものを買えば安く済むじゃないかという計算が働きかけたが、何かこの、人として戻れなくなるのではないか、安いものを買うかわりに大切な何かを失うのではないかと5分ほどためらった結果、720mlの瓶にした。

 味は分からない。

 強いて言うならアーモンドの香りがするが、これはツマミで齧っている、皆様のお墨付きなアーモンドの香りそのものだと思われる。


 本来ならビールと日本酒で攻めたいところではあるのだが、そいつらにはプリン体がプリンプリンに詰まっているので蒸留酒しか飲めない。

 同じ蒸留酒ならば、焼酎よりウイスキーやバーボンといった洋酒の方がカッコいい、名前が。

 さらに、焼酎を飲んでいるとつまみが欲しくなるが、洋酒だとそうはならない。まったくもって個人的な感覚だが、食べ物に合わないのである。せいぜいナッツ系くらいか。つまり、酒以外の摂取カロリーが少なくて済むという安心感がある。この嗜好性に関してはいつかじっくりと考えてみたい。


 100円ショップで買ったグラスの中の氷が澄んだ琥珀色を透過し、疲れた目に安らぎを与えてくれる。

 ゴールデンウィークの10連休に、いやというほど働いた。明けた週も忙しかった。GW前から数えれば、実質3週連続勤務という長い長い戦いに一区切りがついた。

 明日から4日間の休みなのである。

 飲まずにいられようか。


 しかし飲んでばかりはいられないし、酒の話ばかりはしていられない。21時から未成年たちの相手をしなければならないのだ。


 カネを払ってデリバリーを頼んだわけではない。

 ネット上で知り合った小説書きグループとチャットを行うのだ。向こうの申告が本当ならば未成年である。交代で10分の自己紹介を行う順番が回ってきてしまった。

 なぜ「相手をしなければならない」と言ったかというと、単純に気が重いからだ。若者と触れ合っていない生活のせいで、彼や彼女が何を考えているのか、どんな本を読んでいるのか、かいもく検討がつかないのである。自己紹介が嫌いというのもある。

 ならやるなと言われても仕方ないのだが、、未知の世界を覗いて書くものに反映させたい、知らない誰かとつながっている感覚を味わってみたいというバカっぽいワガママがおれを動かした。ボトルメールを海に流すようなものだろうか。


 当然のことだが、ものを書くという趣味の根底には、鮮烈な読書体験が必ず存在する。読了後に芽生える「こういうものを書きたい」とか「こんな風に生きてみたい」といった素朴なあこがれが、小説を書きたいなどというトチ狂った衝動に成長してしまうのだ。

 おれの場合は北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」や筒井康隆の「七瀬三部作」などがそれだったが、チャットでこのタイトルを上げても古すぎて誰も知るまい。若者に迎合するため、村上春樹を愛読していますと言っておこう。読んだことないが。


 21時。

 時間だ。

 パソコンのウインドウに「こんばんわ」「はじめまして」といった文字が並び始める。8人くらいいる。バーボンをちびりとやる。第一声を入力。


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「おつかれさまですす」

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 社会人の挨拶「お疲れ様です」をひらがなで入力することにより年齢差から生じる威圧感を緩和、さらに入力ミスというツッコミどころを設けてみた。


 無視された。

 8人全員に無視された。


 続けて好きな本の話題だ。前に自己紹介していた若者たちは、最近ヒットしているライトノベルの名前を上げていた。

 ここは用意しておいたスケープゴートに登場してもらう。

 今から、私は嘘をつきます。

「好きな本は、村上春樹の『ノルウェイの森』です」と入力します。


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 筒井康隆の「エンガッツィオ司令塔」です

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 指が拒否した。いや、心が抵抗したのだろう。もしくは酔っているかだ。この感覚はモニターの向こうの若者たちには理解できまい。というかしたくもあるまい。

 そして案の定誰も知らない。筒井作品の中でもひたすら下品な笑いに特化した作品であることだし、むしろ知らずにいてくれて良かった。次の質問がきた。


「▼どういうジャンルを書いていますか?」


 予定外の質問に固まる。いや、確か質問表に書いてあった。すまんな忘れてた。


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 アクションです

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 考えてなかったので嘘をつきました。


「▼最近のベストセラーで面白かったのは?」


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 ベストセラーのものは読みません

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「▼なぜこの会に参加しようと?」


 この質問は書かれていなかった。

 とすると、これはあれか。おれ今、警戒されてるのか。最近のヒット作も読んでないおっさんがなんで、と思われてるのか。仕方ないことではあるが、一気にめんどくさくなった。純粋な質問なのかもしれないが、おれはその質問を拒絶の意思表示と受け取る。バーボンがはかどって仕方がない。


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 何か参考になることがあれば学びたいと思いましたが

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 多分ないのでもういいです、とまでは書かなかった。

 時間です、と司会役が告げる。

 ありがとうございましたと入力し、返答も見ずにウインドウを閉じた。明日やめよう、この会。見ず知らずの人に理解されたいという気持ちもあるが、気苦労が大きすぎる。せめて書いたもので判断してもらえればとは思ったが。


 ため息をつき、腰を下ろそうとした。椅子がないことを思い出した。

 ホームページ制作業の個人事業主のはしくれとして、この10年ほどひたすら椅子に座って作業をしてきたのだが、どんどん腰に負担がかかってきたのでスタンディングデスクに変えたのである。

 これがすこぶる良い。

 腰痛は立つ時や座る時がしんどい。ならば立つことや座ることをなくせば万事解決なのだ。人付き合いが面倒ならシャットアウトしてしまえと同じ暴論である。


 先程の10分間。立ち飲み屋で、見知らぬ若者相手にぎこちないコミュニケーションを交わしたと思えば有意義な時間と思えなくもない。

 再びため息をつき、腰を下ろそうとした。椅子がなかったので、そのまま床に座った。

 腰に、しくりとせつない痛みが走った。

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