第108話 チェンマイの夜 2

オーンはローライズのデニムパンツと、体にピッタリしたピンク色のTシャツを着ています。

日本でローライズが流行る以前でしたので、下着が見えるほど股上の短いパンツは、すごく大胆なファッションに思えました。


ルアンのトゥクトゥクに乗っている間、オーンは私に身体をピッタリと寄せて、ときおり肩や腕を撫でながら話しかけます。

「トミー、痩せているけど筋肉あるのね。かっこいいよ」


最近の私しか知らない人が読むと、何を言ってるデブの癖にと思われるかもしれませんが、この時の私はかなり痩せていたのです。


若い女の子に甘えられて悪い気はしません。

私はなかなか楽しくなってきていました。


カラオケ店でもオーンは私の隣に着席しました。


日本語の曲集をパラパラとめくりますが、とにかく曲が古い。

私の親父世代くらいの曲がほとんどです。

まいったなあ・・・


かろうじて歌える曲は、谷村新司の「昴」くらいでした。

サラリーマン時代、上司が朗々と歌い上げるのを何度も聞かされて、うんざりした覚えがある曲です。

ま、仕方ないので昴を入れます。


ルアンはタイの国民的プロテストバンドであるカラバオの曲を、オーンはアイドルソングを歌います。


しかしあまり歌う歌もなかったので、小一時間ほどで店を出ました。


「トミー、この後はどうする?」

ルアンが訪ねます。


「うーん、なんか結構疲れたな。明日のこともあるし、今日はこれでお開きにしようか」


するとオーンが私の腕にしがみついてきて言いました。


「じゃあ、トミー、私ちょっとお腹が空いたから、どこか軽く食べに行きましょうよ」


「ああ、別にいいけど」


「じゃあ行きましょう。ルアン、じゃあね」


オーンはルアンに向かってバイバイします。

ルアンは「ええっ!」と言わんばかりの顔。


「いや、それはちょっとルアンに悪いよ。ルアンも一緒に行けばいいじゃない」


「いいから。それにルアンは仕事よ。さあ、ルアン、もうひと稼ぎしてきなさい」


私の腕を両手で抱えたまま、オーンは無理にでも歩き出します。

私は置き去りにされて呆然としているルアンに向かって言いました。


「あ、あ、悪いルアン。じゃあまた明日。。」


・・・・


「ルアンね、あいつしつこいのよ。俺と付き合えって」

近くの食堂で軽い食事を摂りながら、オーンの話を聞いています。


「ルアン、そう悪くないんじゃないか?まあまあハンサムだしさ」


オーンは顔をしかめて首を横に振ります。


「あいつはただのチンピラよ。観光客にたかるハエみたいな。私の好みじゃないわ」


「へえ。じゃあオーンはどんな男が好みなのさ」


オーンはよく聞いてくれたとばかりに私の顔を見つめながらいいます。


「日本人!コボリみたいな、かっこよくて誠実な人。だからトミー、あなたも好きよ」


小堀は、タイでいちばん有名な日本人の名前です。

タイの女流作家トムヤンティー作「メナムの残照(クーカム)」に出て来る日本人将校の名前。

映画やドラマでは、タイのスーパースター、トンチャイ・メッキンタイが小堀役を演じて大ヒットになりました。


食事を終えた私たちは店を出ます。


「じゃあ、オーン。僕はもうホテルに帰って休むことにする。今日は楽しかったよ、ありがとう」


するとオーンはまた私の腕にしがみつきました。


「オーンもトミーのホテルに連れて行って。もう少しふたりで一緒に過ごそうよ」


正直に言いますが、このときの私は、この言葉にかなり傾きました。

オーンは若くてかわいい女の子です。

しがみつかれた腕には、暖かくて柔らかいオーンの胸のふくらみの感触があります。


このままオーンを抱きしめよう・・という衝動に駆られたそのとき。


・・・ただいま・・・


かすかにサトミの声が聞こえました。もちろんこれは幻聴です。

しかし私は思わずオーンを離して、あたりを見回しました。


「どうしたのトミー?」

オーンが驚いたように言います。


私はゆっくりとオーンの方を向きました。

「いや、何でもない。オーン、君はとてもかわいいよ。でもごめんな。僕には妻が待っているんだ。サヨナラ」


私はそのままオーンに背を向けて、ひとりホテルの方に歩き出しました。


・・・・


誰も待っていない、寂しく広いホテルの部屋に戻った私。


・・・まったく!!なんで邪魔するんだよサトミは。自分は他所の男に嫁ぐくせに。。


腹が立つような、しかしなぜだか少しホッとしたような、不思議な気持ちになった夜でした。

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