第109話 奇妙な死体が浮かぶ湖

翌日の正午。


約束通り、ホテルの入り口にはルアンのトゥクトゥクが待機していました。


「トミー、乗ってくれ」


「ああルアン。昨夜は置き去りにしてごめんな。オーンが強引だったもんでさ」


私は昨夜のことが少々気まずかったので、ルアンに詫びます。


「別にいいさ。それより今日はまず、船を貸してくれるボスの家によるよ。そのあと湖に向かうから。湖までだいたい1時間くらいかな」


「わかった。よろしく頼む」


トゥクトゥクは旧市街のかなり奥まで進みます。

旧市街といっても特に風情や情緒があるわけでもなく、単なる住宅街のような場所です。

ルアンはそんな中の一件の建物の前で停車しました。


「トミーはそのまま車に乗っていてくれ」


そういうとルアンは扉をノックします。

しばらくして扉が開くと、ひとりのかなり太った男が出てきました。

その男の顔つきは、どう見ても優しい良い人には見えません。


・・・これは一目でわかるヤクザ者だな。


ルアンが男に何か話すと、男は煩そうに顔をしかめながら、何やら返答しています。

するとルアンはこちらに戻ってきました。


「トミー、8000バーツは今払ってもらえるかい?」


「ああ、いいよ」

そう言って私はカーゴパンツから用意していた1000バーツ札を8枚、ルアンに手渡しました。

ルアンはその札を持って、扉を開いたまま待っている男のところに行き手渡します。


男はその札を受け取ると「さっさと行け」といわんばかりに、まるで手で犬でも追い払うようにルアンを追い返します。

・・・あれで、ちゃんと話が通じているんだろうか?

ちょっと心配です。


このあとトゥクトゥクは郊外に出て、山道を登ります。

エンジンのパワーがそれほど強くないのであまりスピードは出ません。


「なあ、ルアン。さっきの人、あれヤクザ者じゃないの?」


「ははは。このあたりに売春宿を何軒も持っているボスさ。子分も大勢いるし、まあマフィアといえば言えるかな」


少し平坦な道になりましたので、スピードが乗ります。

涼しい風が心地よいです。


「トミー、湖はこの先だ」

トゥクトゥクは背の高い草が生い茂った、見通しの悪い草原の中の獣道のような道に分け入ります。


草の原っぱを抜けると目の前に大きな湖が広がりました。

そこでルアンはトゥクトゥクを停めます。


車を降りて湖のほとりまで歩きます。

そこには確かに小さな船着き場の桟橋があるのですが、肝心の船が見当たりません。


「ルアン、船はどこだ?」


「屋台を積み込みに行ってるのさトミー。もう少し待とう。間もなく女の子たちも来るはずだから」


人気の無い草原の中、湖のほとりの空き地でルアンとふたりきり。

・・・なにかがおかしい。


「なあ、トミー少し話そうか」


「なんだ、ルアン」


ルアンは遠い目で湖を眺めながら話します。


「トミー、オーンは俺の女なんだよ」


「そうなのか?オーンは違うって言ってたけどな」


そう言うとルアンはムッとした顔をこちらに向けました。


「うるさい!俺が俺の女にすると決めた女だ。俺の女なんだよ」


ルアンは完全に頭に血が上っている様子です。

私はあまり刺激しないように、冷静に話します。


「そうか、わかったよ。そうとは知らずに昨晩は置き去りにして悪かったな」


ルアンは怒りに満ちた顔を、ぐっと私の顔に近づけます。


「悪かっただと?人の女に手を出しといて、悪かったで済むと思うのか?」


「手を出してなんかいないよ。ご飯を食べてすぐに別れたさ」


「嘘つくな。オーンみたいないい女に言い寄られて、何もせずに帰す馬鹿が居るかよ」


・・・いや、僕はその馬鹿なんだけど。。


恋は盲目といいますが、恋の怒りに狂ったルアンには、もはや聞く耳もありません。


・・・まいったな。どうしよう。。


そう思ったとき、草原の中の道の奥から自動車の走る音が近づいて来ます。


・・・?


「ああ、トミーお待たせ。やっと来たよ」


来たのは女の子でも屋台でもないのは明らかです。

ルアンはまた湖の方に目をやりながら言いました。


「トミー、この湖にはね、ときどき奇妙な死体が浮かぶんだよ。手足を折られた水死体がね」

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