第7話 空手バックパッカー誕生
会社を辞めて旅に出るまでの間には、父親には怒鳴られ、母親には泣かれとひと騒動ありましたが、それでも出発の日は近づいてきました。
このとき私は26歳だったと記憶しています。
恥ずかしながら私はこの歳まで海外旅行の経験がありませんでした。
そこで知人の紹介で、アジア旅行のベテランのTさんを紹介され、いろいろアドバイスをもらうことにしました。
Tさんは80年代~90年代ごろの、特にインド旅行者の間ではかなり有名な人でした。
面白い話をたくさん聞かせてもらいました。もし彼がその気になって旅行記を書けば、私のこのホラ話なんかより断然面白いと思いますので、それは期待して待っております。
まず彼のアドバイスにより、航空券はスリランカではなくタイのバンコク行きを買いました。
初めての海外がスリランカというのは少しキツいかもしれないので、まずバンコクで熱帯アジアの空気に馴染んでから行った方がよいということです。そしていよいよスリランカに行くときにはバンコクで格安チケットを買えばよいと。
私は海外旅行というのはスーツケースを持っていくものだという先入観があったのですが、Tさんのように自由に動き回るスタイルの旅行者はリュックサックを背負うのが一般的だそうです。
リュックのことをバックパックと呼び、バックパックを背負って旅する人のことを『バックパッカー』と呼ぶということはこのとき初めて知りました。
「荷物は最低限に。できるだけ少ない方が楽だよ」
ということなので、あまり大きすぎないリュックサックを購入し、衣類はTシャツと下着などを少々にとどめました。それと空手着ですが、これがかなりかさ張るので他の衣類は極力減らしたのです。
作業服店に行って作業用のカーゴパンツを購入しました。
作業用カーゴパンツの利点はとても丈夫であること、そしてポケットがたくさん付いていることです。
よくウェストポーチを身に付けて旅行している人を見かけますが、いかにも『ここに貴重品が入ってますよ』みたいなのがどうも気になります。
作業用カーゴパンツの収納力はかなりのものなので、ウェストポーチやセカンドバッグは不要になります。なのでこの時以来、私は今でも日常ずっとカーゴパンツを愛用しています。
出発前夜には中川先生が居酒屋で簡単な壮行会のようなものを催してくれて、出発当日には何人かの生徒と一緒に空港まで見送りに来てくれました。
出発ロビーで搭乗時間を待つ間に中川先生にこう言われました。
「何かと予想外の苦労があるかもしれないけど、冨井ならきっと乗り切れると思うから頑張ってくれ」
「押忍。がんばります」
「それとな、大事なことを言っておくけど、お前ははっきり言ってぜんぜん強くない。むしろ弱い。だから誰とも戦っちゃいけないよ。試合とか組手とか、喧嘩も含めて戦いはできるだけ避けろ。いいな?」
・・・はっきり弱いと言い切られちゃった。なんでそんな弱い男にこんな重大な任務を課す?
中川先生の話は続きます。
「お前は見た目の派手な技とか、手品みたいな試し割りとかが得意だろ?スリランカではそういうのを見せて回れ。お前にはその方が向いているし、きっと宣伝効果はあるよ」
「押忍。わかりました」
「しかしな、もし万が一どうしても戦わなきゃいけなくなったら、それが避けられない場合は」
一呼吸おいて中川先生は厳しい声でこう言いました。
「・・絶対に勝て!どんな卑怯な手を使っても負けてはならん。もしお前が負けたらその土地に日本の空手家が勝負に負けたという話が残るだろう。それは日本の空手全体の恥になる。だから絶対に勝て。噛り付いてでも勝て。いいな」
いいな、と言われても素直に押忍とは言えない厳しい命令です。
私はもっと気楽に考えていたのですが、いつの間にか私は日本空手道の名誉を背負わされていたようです。
Tシャツにカーゴパンツを履いて、バックパックに日本空手道の名誉を無理やり詰め込まれた私は、先生たちに見送られて搭乗口に進みました。
空手バックパッカーの旅のスタートです。
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