第39話「夏から走り出せ」

 明日から夏休みが始まる。高校に入って初めての夏休み。

 それというのに、私の気持ちは妙に沈んでしまっていた。


「よう、春野」

「.....あれ。クロ先輩、久瀬先輩」


 私は目をぱちくりさせて二人を見た。


「一緒に登校なんて珍しいですね」

「そこで会った」

「.....」

「そんであいかわらず低血圧なんですね、久瀬先輩は」

「.....お前がかわいらしいアニメ声で『おにいちゃん、おはよ』っつーなら血圧上げてやってもいい」

「血圧をコントロールすんな」

「あ、大丈夫ですそのままで。静かだし」


 三人並んで歩道を歩く。

 ぼんやりしてると、「何かあったか」と目ざとく久瀬先輩に尋ねられた。こういう鋭さは寝起きでも健在らしい。

 学校はもう目と鼻の先だ。

 私は一瞬ごまかしの言葉を考えて、面倒になってやめた。


「夏休み.....ほんとは好きじゃないんです」

「あ?」

「へぇ、意外だな」

「だって何していいか分かんないし、毎日うだるように暑いし、それに.....学校行ってた方が、楽しい」


 何だろう。何だこれ。何だか分からないけど鬱。

 この夏休みを迎えに学校に向かっている感じも嫌だ。はしゃいでる奴らも何だか癪に障る。

 自分の情緒に理解が及ばずむっすりと黙り込むと、久瀬先輩は「よし」と手を打った。


「.......じゃあ逃げるか」

「え」

「黒峰。」

「チッ、しゃーねェ。乗れ」


 言われたとおり、黒峰先輩が押していた自転車にまたがる。「こことここに足置いて、立ち乗りできるか?手は俺の肩」「は、はい」

 言われるがままになっていると、背後にもう一人分の重みが増えた。久瀬先輩も私の後ろに乗ったらしい。


 どこからかコラーー!と声が聞こえた。

 後ろの方で生活指導が火を噴いているようだ。が、気にせず、黒峰先輩は今通ってきたばかりの道を逆走し始めた。


「え!ちょ、ど、ど、どこ行くんですか!」

「さぁな!」

「さーなって、」

「春野。お前はどこに行きたい?」


 咄嗟に思いつかない。自転車は下り坂に差し掛かり、景色はビュンビュンと後ろに流れた。

 先輩達の行動は、いつも突然で大胆だ。

 なのに私の胸を占めていた不安は、いつしかその影を消してしまった。


「遠くへ......!」


夏の向こう側まで。


了解!そう言ってグンッとペダルを踏み込んだ黒峰先輩。私の後ろで久瀬先輩が笑った。

 じりじり、背中が暑い。

 蝉の声がそこら中で聞こえる。


 終業式をエスケープしたこの日、私は今までよりほんの少しだけ、この季節のことが好きになった。

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