第9話「久瀬先輩とわたし」

 久瀬先輩は頭がいい。どれくらい頭がいいかというと、普段の素行があのように最悪でも先生達が「久瀬君」とついつい君付けで読んでしまうくらい、進学校のうちでは重宝されている。そのくらい頭がいい。


「うちって体育会系の部活少ないよねぇ」

「野球部と陸上部とサッカー部だっけ?女子に選択権ないよね」

「仕方ないんじゃない?うちに入ってくるのほとんどガリ勉だし」


 近頃少し話すようになった女の子達が言う。

 たしかにうちには他の学校にはないような部活が色々ある。科学研究会とか和歌愛好会とか歴史探索部とか。

 そろそろ部活を決めなきゃいけないのに私がいつまでももたもたしているのは、単にそれらの勉強が苦手だったからだ。


(困ったなァ……)


 困ったと言えば、今現在もかなり困っている。

「放課後皆で宿題終わらせてかなぁい?」

 というこの会合(in図書室)に参加したのはいいものの、目の前にある問題の意味がさっぱり分からない。


 受験の時は、ある人の協力のもと死にそうな猛勉強を経てどうにか合格にこぎつけたが、新しく入ってきた問題となるとそうもいかない。


「あ、深月ちゃんもしかしてそこわかんないの?」

 私の手が止まっているのを見てひとりの子が首を傾げた。


「え?い、いや。(そこっていうか全部……)」

「いやいやハナー!こんなの分かんない人いるわけなくない?」

「え゛?」

「だってこれ三角関数の応用じゃん!小学生でもヨユーっしょ?」

「サンカクカンスウ…」

「確かに。けど今深月ちゃん手が止まって…」

「あ!!?いやいや今そのちょっとぼんやりしちゃってただけで!わかるわかる、あのあれ三角のね…」

「てかミヤそれ範囲ちがくない?微分積分じゃん」

「カナブン」

「そーそー、塾でやって来いって言われてさァ。あれ?いま深月ちゃん何か言った?」

「言ってない!!!」



 やばい、ボロが出る。


 泣きそうになっていると、本棚の奥のスペースから「サイッテー!!」という女の人の声と、パチーン!という音が聞こえた。私達が驚いてそちらを見ると、シャツの胸ボタンを留め直しながら真っ赤な顔で駆け出してくる女の人(おそらく先輩)の姿。


 慌ただしく図書室を出て行った彼女を追う様子もなく、奥の本棚から姿を見せたのは、やはりというかなんというか――久瀬先輩だった。

 携帯を片耳にあてて、自分もシャツの襟もとを直している。


「この前のデート楽しかったかって?そりゃもう、ユキちゃんと過ごせる時間が退屈なはずねぇよ」


 私は悟った。おそらく出て行った女の人とイチャコラしてる中、あの電話を取って今のような会話を始めたのだろう。最悪すぎる。これは妖怪オンナたらしと呼ばれても仕方ない。


 白い目で見つめる私に気付いたのか、久瀬先輩は「お!」という顔をしてこちらに近づいてきた。依然として電話相手に甘い言葉をかけまくりながら。


「今度いつ空いてるか?んー、まだ分かんないなー」


 久瀬先輩は私と一緒に座ってる子達にニコリと会釈して、私のプリントを覗き込んだ。それから傍にあったシャーペンを手に取り始める。


「いやいや、他の女とかいねぇって。ユキちゃんヒトスジだから俺。こう見えて一途な男だしね、うん」


 最低すぎる応対をしつつも、久瀬先輩の手はみるみるうちに私の問題を解いていく。まるで魔法みたいだ。

 全部解き終わった先輩は、最後にプリントの端に「屋上」とだけ書いてさっさと図書室を出て言ってしまった。

 宿題を終わらせてやったから来いということだろう。


 同席していた女の子達は、一連のあれそれに途端にざわめきだした。

「ね、ねえさっき絶対イケナイことしてたよね」

「てかあの先輩学年主席なんでしょ?意外にイケメンだし、なんかよくない?」

「えー!けどヤンキーって噂じゃん、やっぱこわくない?」

「バッカそこがいいんじゃん!」

「ねー深月ちゃんあの先輩の連絡先とか知らないの!?」


 私は曖昧に笑いながら、きれいに埋まったプリント用紙に目を落とし、そして「ん?」と首を傾げた。この三つある解答欄の数字――どこかで見た覚えがあるような……。

 ややして答えに行きついた私は、彼女らに丁重にサヨナラを言って、ウサインボルトもびっくりなスピードで屋上へ向かい、勢いよく扉を蹴り開けた。


「これ私のスリーサイズじゃん!!!!」

「目測で分かる」

「最低かよ!!!!!」


 結論、久瀬先輩はやっぱりクズでした。

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