第7話 それは夢?
自分専用のオイル作りは、思ったよりも難しかった。オイルの調合を間違えただけで、何とも言えない快感が襲ってくる。肌の表面を撫でるような……誤って頬の表面にオイルが付いた時も(叫びはしなかったが)、その口から声を出してしまった。
身体の快感を我慢して、その声を必死に抑える。「落ち着け、落ち着け、落ち着け」と。私がオイルの快楽に溺れたら、作れる物も作れなくなってしまう。ここは、何としても耐えなければ。
ナムリィは乾いた布で頬のオイルを拭き取ると、手元のオイルに視線を戻して、ヨハンから教えられた助言を基にしながら(オイルの基本的な製法は教えた)、真剣な顔で自分のオイルをまた作りはじめた。
それからしばらくして、セーレが彼女の所に現れた。
セーレは、彼女の作業をそっと覗き込んだ。
「どう? オイル作りは、進んでいる?」
を聞いて、ナムリィの手が止まった。
ナムリィは、彼女の質問に苦笑いした。
「ぜんぜん。ヨハンさんから教えて貰った方法は、完璧なんだけど。私の作ったオイルは」
「そっか」
セーレは、近くの椅子に座った。
「大変だね」
「うん。……でも、諦めるわけにはいかない。『これで食べて行くんだ』と決めた以上」
「ナムリィさん」
セーレは、彼女に微笑んだ。
「頑張って」
「うん!」
二人は、互いの顔を見合った。
「それじゃ、そろそろ戻るから」
「うん、お疲れ様」
セーレは「ニコッ」と笑って、助手の仕事に戻った。
ナムリィは手元のオイルに視線を戻し、オイル作りの仕事にまた専念しはじめた。……だが、その努力も虚しく、彼女のオイルは中々できなかった。女性に快楽をもたらす点では、完璧なのに。彼女の作るオイルには、決定的な何かが足りなかった。
ナムリィは、自分の非力さに涙を流した。
「う、くっ、はっ」
涙が彼女の頬を伝った。
彼女は「それ」を拭おうとしたが、部屋の中に入って来たヨハンが「大丈夫?」と聞いてくると、その意識を忘れて、彼の方に視線を移した。
ヨハンは優しげな顔で、彼女の労を労った。
「焦る事はない。僕も『それ』を作る時は、かなり苦労したからね。一朝一夕で作れる物じゃないよ」
彼の励ましは、少女の心を締めつけた。「ヨハンさん」を聞いた時も、優しく笑いかける。
ヨハンは彼女の肩に手を置き、「ニコッ」と笑って、部屋の中から出て行った。
ナムリィは、その背中に胸を熱くした。
「ありがとう、ヨハンさん」
彼女は「ニコッ」と笑って、自分のオイル作りに意識を戻した。
それは夢? いや、幻かもしれない。
視界に広がった光景は、彼女の家を映した世界だった。
ナムリィはその世界に怯えながらも、黙って「それ」を眺めつづけた。彼女が出て行った後の家は、文字通りの地獄だった。彼女がいなくなった事で、屋敷の召使い達はもちろん、その主人も頭を抱えてしまった。
特に屋敷の主人……彼女の父親は、娘の行為に憤るのと同時、その行為自体に深く傷ついてしまった。「自分の娘が、自分を裏切ってしまった」と。何だかんだ言いつつも娘を愛していた彼は、その事実に心を痛めてしまった。
ナムリィは、その光景に頭痛を感じた。
「う、うううっ」
彼女の父は、屋敷の召使い達に命じた。「自分の娘を探すように」と。自分の娘を探して、その目を覚まさせてやる。屋敷の召使い達にそう言った彼は、肘掛け椅子の上に腰掛けて、不機嫌ながらもその口元に笑みを浮かべた。
ナムリィはその笑みにゾッとしたが、それよりも増して、自分の身が大変危険な事を案じた。今はまだ大丈夫だが、いつ屋敷の追手が迫ってくるか分からない。彼らはまるで猟犬のように、自分の事を探しているのだ。
嫌な汗が背中を伝う。
ナムリィはそれに「ハッ」として、目を覚ました。
朝の日差しが頬に当たる。日差しは部屋の中にも差し込んで、彼女が使っていた道具や、テーブルの上に置かれたオイルも優しく照らしはじめた。
彼女はテーブルの上から上半身を起し、寝ぼけ眼で自分の頭を掻いた。
「私? そっか」
オイルを作っている時に。
「寝ちゃったんだね」
その事にホッとしつつも、内心ではやはりあの夢が気になっていた。
「やっぱり探しているよね? 私の事を」
ナムリィは窓の外に目をやり、ふとそんな事を考えた。セーレが彼女のいる部屋に来たのは(彼女の事を起しに来たのだろう)、彼女が窓の風景から視線を逸らした時だった。
「おはよう、ナムリィさん」
「おはよう、セーレさん」
セーレは彼女に頬笑んだが、彼女の表情が優れない事に気づくと、不安な顔で彼女の前に歩み寄った。
「どうしたの? 顔色が」
「な、何でもない」と、慌てて誤魔化すナムリィ。「ただ、疲れているだけだから」
「そ、そう」
セーレは心配げな顔で、彼女の目を見つめた。
「あまり無理しないでね?」
「うん、ありがとう」
ナムリィは「ニコッ」と笑って、セーレと一緒に部屋の中から出て行った。
二人は、店の食堂に向かった。
食堂の中では、ヨハンが今日の朝食を運んでいた。
「あ、おはよう。ナムリィさん」
「おはよう、ヨハンさん」
ナムリィは「クスッ」と笑って、開いている椅子に腰を下ろした。
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