第4話 初体験

 快感が襲った。それもただの快感ではない。気持ちいい部分を撫でられたような、そんな快感が体の隅々まで行き渡った。彼の指が、そして、オイルが、彼女の身体を包んでいく。最初は彼女の首筋から始まって……次に鎖骨が快感に包まれた。


 鎖骨が満たされた後は、胸、へそ、股、足、爪先へと進んで行き、爪先に触れられた時は、今まで出した事のない声を出してしまった。「ああ、ううん」の声が響く。自分でも恥ずかしくなる程に。その声に感化されたのか、セーレも静かに興奮しはじめた。

 

 ヨハンは「クスッ」と笑い、ナムリィの体を撫でると、その声を聞いてからすぐ、彼女の下腹部(正確には、その近く)に手を伸ばした。肌の表面をなぞるように触って行く。その快感に負けて「う、ううう」と喘ぐ少女の顔は、熟した果実のように甘くとろけていた。


 口の端から涎が垂れる。

 涎はベッドの上に染み込んで、やがて見えなくなった。

 

 ナムリィは、オイルの快感に絶頂を迎えた。


「ぐっ、うううう」の声が、部屋中に響く。「はぁ、はぁ、はぁ」


 ナムリィは快感と恐怖とで訳がわけらくなったが、しばらく呆けたように寝そべっていると、いつもの正気を取り戻して、ベッドの上から勢いよく起き上がった。「はぁ、はぁ、はぁ」


 ヨハンは優しげな顔で、彼女の頭をそっと撫でた。


「どうだった?」


 の感想は、「凄かった」だった。


「最初は、怖かったけど」


「途中から良くなったんだね?」


「……うん」の返事に赤くなるナムリィ。「ビックリするくらいに。これが、あなたのサービスなんだね?」


「そうだよ、多くの女性に安全に気持ち良くなってもらう。ここはね」


「女性の快楽に奉仕する店、でしょう?」


「うん」


 ヨハンは、嬉しそうに笑った。


「初体験は、どうだった?」


 の答えはもう、決まっている。


「最高だった」


「そう。それは、良かった」


 ナムリィは体のオイルを拭き取ると(拭き取る時も、体がゾクゾクしたが)、自分の服をすばやく着て、ヨハンの前にすっと立った。


「ねぇ?」


「うん?」


「あなたはどうして、こんな店をやっているの?」の質問に一瞬驚いたがヨハンだったが、すぐに「知りたいかい?」と聞きかえした。


「結構、長い話になっちゃうけど?」


「構わない。私も、自分の事を話したいから」


「分かった」


 ヨハンは真剣な顔で、彼女に自分の過去を話した。


 彼の過去は、少女の胸を強く締めつけた。


「悲しいね」


「うん。でも、それが生きるって事だから。生きている内は、色んな事があるよ」


「それでも、やっぱり悲しい」


 ナムリィは両目の涙を拭ったが、その涙は中々止まらなかった。


「私に比べたら、ずっと辛い人生だよ」


 ヨハンはその言葉に眉を寄せたが、すぐに真剣な顔で「そんな事はない」と微笑んだ。


「何が辛いかは、その人の気持ち次第だ。他人がどうこう決める事じゃない」


「うっ」と、彼女の涙が光る。「でも」


 を聞いて、ヨハンの目が潤んだ。


「君の」


「え?」


「名前は?」


「ナムリィ・バン」


「良い名前だね」


「ありがとう」


 ナムリィは、彼の言葉に温かくなった。


「そんな風に言われたのは、初めてかな?」


 ヨハンはセーレに目配せし、二人分のお茶を作るように頼んだ。


「話は紅茶を飲みながら、ね?」


「うん」


 セーレは彼の指示通り、二人の分のお茶を運んできた。


「はい」


「ありがとう」


「ヨハン君も」


「ありがとう、セーレさん」


 ヨハンは彼女の紅茶を一口飲み、ナムリィも「それ」を一口だけ啜った。


「美味しい」がナムリィの感想、ヨハンはそれに加えて「腕を上げたね」と言い足した。


 セーレは、二人の称賛に顔を赤らめた。


「ありがとう」


 ヨハンは、少女の顔に向き直った。


「ナムリィさん」


「うん?」


「話、聞かせて貰っても良い?」


「……うん」


 ナムリィは真剣な顔で、彼に自分の事を話した。


 ヨハンは、その話に何度かうなずいた。


「女の子は、エッチじゃいけないのか?」


「うん。私はどうしても、その事が納得できなくて」


「自分の家から飛び出したんだね?」


「うん」


 ヨハンは彼女の顔をしばらく見ていたが、やがて何かを思ったように「そうか」と微笑んだ。


「それは、大変だったね?」


「……うん」の声が、切なく聞こえた。「本当に大変だった」


 ナムリィは右手の甲で、両目の涙を拭った。


 ヨハンは、その光景に胸を痛めた。


「ナムリィさん」


「ぐ、うっ、ぐっ、なに?」


「これから、どうするの?」


「分からない。家には、帰りたくないけど」


「そうか」


 ヨハンは椅子の上から立ち上がって、店の中をしばらく歩いたが、ふとある考えが浮かぶと、彼女の前に立って、その両手を包むように握った。


「ナムリィさん」


「なに?」


「『究極の快楽』とは、何だと思う?」


「え?」と、困惑するナムリィ。「究極の快楽?」


「そう、究極の快楽」


 ナムリィはその答えをしばらく考えたが、結局は最後まで分からなかった。


「分からない。究極の快楽って?」


「究極の快楽は、他人の快楽に奉仕する事だ」


 ヨハンは、セーレの顔に目をやった。


「セーレさん」


「は、はい!」


「セーレさんは、僕の弟子になる気はある?」


「え?」と、セーレは驚いた。「ヨハン君の弟子に?」


「そう。僕の弟子になって、やがては一人で食べて行けるようになる。その覚悟は」


 セーレはしばらく考えたが、申し訳なさそうに「ごめんなさい」と謝った。


「わたしは、今のままで良いかな?」


「分かった」


 を聞いて、ヨハンの目が動いた。視線の先には、一人の家出少女。


 ヨハンは優しげな顔で、彼女の手を放した。


「ナムリィさんは? ナムリィさんは、僕の弟子になる気はある?」

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