第11話  思わぬ再会

 夕食の味に感動したのは……たぶん、初めてかもしれない。今までは温度のない食事ばかりだったら、そのメニューにスープが付いた瞬間、感動の気持ちが一気に込み上げてしまった。じわりと溢れる、彼女の涙。その涙は頬を伝って、スープの上に何滴も落ちてしまった。その涙を拭い、夢中で夕食のスープを啜りつづける。

 セーレはそのスープを飲みきると、また子どものように泣き、テーブルの上に何滴も涙を落としつづけた。

 ヨハンはその光景に胸を、胸の奥をギュッと締め付けられた。

「僕にとっては普通の食事でも、君にとっては特別な食事なんだね」

「う、ぐっ、うううっ」

 彼女の嗚咽が響く。ヨハンが夕食を食べている時も、そして、その夕食を食べ終えた時も。嗚咽は部屋の空気を湿らせ、そこにいる二人を優しく包みつづけた。「温かい食事」と言うのは、「こんなにも有り難い物なのだ」と。日々の食事に慣れていた二人、特にセーレには、重く、切なく、そして、嬉しい事だった。今夜の夕食をペロリと食べきる。

 セーレは皿の上に匙を置いて、正面のヨハンに頭を下げた。

「ず、はっ、うっ、ありがとう」

「いや」

 ヨハンは二人分の食器を片付けると、彼女の寝床を整え、その寝床が出来てからすぐ、彼女のいる所に戻り、その背中を優しくなでながら、彼女の身体をゆっくりと立たせた。

「明日の事もあるし、今日はもう休んだ方が良い」

「う、うん」と、うなずくセーレ。「ありがとう」

 彼女は彼の用意したベッドに行き、そのベッドに寝そべると、いきなり襲って来た眠気に負けて、ヨハンが部屋の中から出て行くとすぐ、深いに眠りに落ちてしまった。


 朝は、いつもと同じ時間に起きてしまった。本当は、もう少し寝ていたかったのに。長年の習慣で作られた体内時計が、その瞼を強引に引っ張り上げてしまったのだ。ベッドの上から起き上がり、店の食堂に向かう。

 セーレは食堂の彼(彼は、食堂で朝食を作っていた)に挨拶すると、昨日と同じ椅子に座って、今日の朝食ができあがるのを待った。今日の朝食は、それから十分くらいでできた。熱々のベーコンエッグと、見栄えの良い野菜サラダ。野菜サラダの隣には、昨日と同じ白パンが置かれていた。

 セーレは、ヨハンと一緒にそれらの朝食を食べた。朝食を食べた後は、少し食休みして、ラルフの店に行く準備をし、その準備が終わったら、必要な荷物を持って、その店に向かった。

 セーレは、彼の少し後ろに立った。

 ヨハンは、店の玄関を叩いた。一回、二回。三回目のノックで、扉が開いた。「どなたさま?」と、驚く店の店員(綺麗な女性だ)。

 店員はヨハンの挨拶に頬笑んだが、その用件(ラルフに会わせて欲しい)を聞くとすぐ、店の奥に戻って、そこから店の店主、つまり、ラルフを連れて来た。

 ラルフは、彼の来店を快く思った。

「おはよう、ロジク君。久しぶりだね」

「お早うございます。こちらこそ、お久しぶりですね。ラルフさん」

「それで、今日は何の用だい?」

 ヨハンは、自分の前にセーレを立たせた。

「彼女の事で、ちょっと」

 ラルフは、彼女の登場に目を見開いた。

「これは、これは、驚いたね。まさか」

「ええ。昨日から働いて貰っているんです」

「昨日から?」

 ラルフの表情が変わった。

「……なるほど。どう言う経緯かは知らないが、彼の店でお世話になっているんだね?」

 ラルフは彼女の顔を見つめたが、彼女は急いでその視線を逸らした。

「ご、ごめんなさい。でも、私!」

 セーレは、彼の目に視線を戻した。

「何でも屋の仕事は、したくありません。法に触れるかも知れない仕事は。あなたの事は、別に嫌いじゃないけど。私は……お母さんとは違う。私は、自分の仕事に胸を張りたいんです。それがたとえ、店の雑用でも!」

 ラルフはその言葉に目を細めたが、やがて「そうか」と笑い出した。

「君は、良い人材になると思ったのに。残念だよ」

 と言ったラルフ顔は本当に残念そうだったが、一方で「彼の所に行った幸運」を祝っているように見えた。目の前の少女に微笑む。

 ラルフは、彼女に握手を求めた。

 セーレは「それ」に戸惑ったが、最後は「ごめんなさい」と応えた。

「私、一生懸命頑張ります」

「ああ、頑張れ。君なら、きっとやれるさ」

 二人は、互いの手を放し合った。

「朝飯は、食べたのかい?」

「は、はい。もう頂きました」

「そうか」

 ラルフは、セーレに微笑んだ。

「うちの店には、腕利きのコックがいてね。いつも美味い料理を食べさせてくれる」

 彼の笑顔が光った。

「食べたくなったら、いつでも食べに来なさい」

「はい! ありがとうございます」

 セーレは、彼に頭を下げた。

 ヨハンも、彼に頭を下げた。「ありがとうございました」の言葉と共に。彼はセーレの手を握ると、彼女に「行こうか?」と言って、その足を促した。

 セーレはその言葉に従い、ラルフの前から歩き出した。

「ふう、緊張した」

「そうだね。でも、分かる人だったでしょう?」

「うん!」

 セーレはルンルン気分で、町の道路を歩きつづけた。

 ヨハンは、隣の彼女に目をやった。

「ねぇ、セーレさん。就職祝いに」

 の続きを言おうとした時だ。彼の後ろから、「セーレさん!」の声が聞こえた。

 ヨハンは、その声に振りかえった。視線の先には、自分と同じくらいの少女が立っている。まるで何かに驚くように、自分(恐らくはセーレの事も)の事を見つめていた。

 ヨハンはその少女に驚き、セーレも……なんだ? 不安な顔で彼女の事を見ていた。

「ハウワー、さん」

 少女はその声を無視して、セーレの前に駆け寄った。

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