第10話 2人は、意外と頑固者

 私が、彼の店で働く? まさか? 私には、何の才能も無いのに。

 セーレは不安な目で、ヨハンの顔を見返した。

「あ、あの?」

「うん?」

「私、快楽屋の事とか何も分からないけど?」

 ヨハンはその言葉に驚いたが、やがて「アハハハ」と笑い出した。

「君は、雑用。店の掃除とか」

 の続きを聞く前に、セーレは「ううううっ」と悶えた。そ、そうだよね? 普通、素人の子にあんな事はさせないだろうし。店の雑用をさせるのが当然だ。ヨハンの目を見返す。

 せーレは恥ずかしげな顔で、ヨハンに何度も頭を下げた。

「是非、お願いします!」

 ヨハンは、その返事にうなずいた。

「こちらこそ、お願いします。セーレさん」

 と言ってからすぐ、彼女に何でも屋の地図を見せるよう促す。

「断りの報せは、僕も一緒に行ってあげるよ」

「ほ、本当に?」

「ああ。この手の人は、断ると厄介そうだからね。君が一人で行くより」

 ヨハンは、彼女から渡らせた地図を見て「ふうん」と驚いた。

「なるほど。ラルフさんの店か」

「え?」と、驚くセーレ。「あの人の事、知っているの?」

「うん。彼がその店を開く時、ちょっと手伝ってね。彼ならきっと、大丈夫だよ。僕の話を聞けば、絶対に納得してくれる」

 セーレは、その言葉に胸を撫で下ろした。「これで、何でも屋に務めなくて済む」と。彼女は満足げな顔で、椅子の上から立ち上がった。

「ありがとう。ヨハ、ヨハン君だっけ? 今日、初めて会ったのに」

「いや」

 ヨハンは、近くの椅子に腰掛けた。

「君には、親近感が湧いたから。同じ娼婦の母を持つ者として、何となく他人とは思えなかったんだよ」

「そっか」

 二人は、互いの境遇を笑い合った。

「断りは、明日に行くとして。今日は、この店に泊って行きなよ?」

「え?」と驚くセーレだったが、内心では「やったぁ」と喜んでいた。彼の言葉に「うん」とうなずく。彼女は椅子の上から立ち上がり、彼の前に行って、その手を強く握り締めた。

「ありがとう」

「うん。それじゃ、カノンさんを家に送って行くね。あまり遅くなると、彼女の親も心配するし」

「……うん」

 セーレは、カノンの方に目をやった。

「ねぇ?」

「ん?」

「カノン様の親は、ここに来るのを認めているの?」

「さあ? でも、『この店を買い取りたい』って言っているし。一応は、認めているんじゃない? 僕は、この店を売るつもりはないけど」

「ふうん」

 ヨハンはカノンを起こし、カノンが服を着替えてからすぐ、彼女の身体を支えながら、その家に向かってゆっくりと歩き出した。

 セーレは、その様子をじっと見送った。

 カノンは、ヨハンの耳元に囁いた。

「ねぇ、ロジク君」

「なに?」

「彼女と何を話していたの?」

 ヨハンの目を見つめるカノン。その目には、焦りだろうか? 普段の彼女なら決して見られない、不安の表情が浮かんでいた。

 ヨハンは、その不安にまったく気づかなかった。

「ああうん、『僕の店で働かないか?』って。彼女、何でも屋のスカウトに悩んでいたから」

「そう」

「明日、ラルフさんの店に行って来る」

「そう」

 カノンは、隣の彼を睨んだ。

「彼女の事は、助けるのね」

 彼女の言葉が、刺さった気がした。

 ヨハンは複雑な、でも、困ったような顔で、隣の彼女を見返した。

「それは……その、それが僕のできる」

「範囲だから、助けるの?」

「うん」とは、すぐにうなずけなかった。彼女の言う事は、本当だから。それに「うん」とうなずく事はできても、「違う」と言い返す事ができなかった。暗い顔で、俯く。

 ヨハンは、足下の地面をしばらく見つづけた。

 カノンは、その態度に溜め息をついた。

「ワタシがあの店を買い取れば、あなたも願いも叶いやすくなるのよ?」

「それは」の時も、顔を上げない。「分かっている。でも」

「はぁ」

 カノンは彼の前を歩き、その後ろを振りかえった。

「あなたって、意外と頑固ね」

「頑固じゃなきゃ、やっていられないからね。特にこう言う商売は。……カノンさん」

「なに?」

 ヨハンは、彼女の手を握った。

「カノンさんの事、感謝していないわけじゃないけど。これだけは、僕の自由にさせてくれる?」

 カノンは、彼の手を放した。

「良いわよ、って言うと思った?」

「いや、ぜんぜん。カノンさんも、意外と頑固だから。一度言った事は、引かない」

「フッ」と笑ったカノン顔は、どこか哀しげだった。「確かにね」

 カノンは、彼の目を見つめた。

「ロジク君。ワタシ、店も恋も絶対に諦めないわ」

 ヨハンはその言葉に目を見開く一方、嬉しそうな顔で彼女の目から視線を逸らし、その手を握って、ガス灯の光る道路を彼女と並びながら歩きつづけた。

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