第8話 ヨハンの店

 セーレは、ハウワーの言葉に驚いた。「あたしの所で雇うから!」って。それは願ってもない、ある意味ではもったいない言葉だった。自分から雇い主の会社に赴くならまだしも、まさか、向こうから「お出でよ」と誘われるなんて。「驚くな」と言う方が、無理がある。

 セーレは彼女の顔を見つつも、内心では「や、やったぁ」と舞い上がっていた。「これで温かいご飯が食べられる」と。「彼女の家(たぶん、工場長の娘だろう)」で働けば……すぐには無理だが、今よりはずっとマシな生活になるはずだ。明るい未来に期待を抱く。

 セーレはその未来に微笑んだが、ハウワーが「そんな怪しい所で働くより、貴族の屋敷で働いた方がずっと良いよ」と言うと、今までの気持ちを忘れて……所謂、ダークな気持ちになった。

「私、やっぱり行く」

「え?」を無視して、セーレは言葉をつづけた。「私は……娼婦のお母さんも大嫌いだけど、貴族の家で働くのは同じくらいに嫌なの! 自分が惨めになるから」

 あなただって……今は地味な服だけど、お呼ばれの時には、素敵なドレスを着るんでしょう? 平民の、私達の事を嘲笑ってさ。私の事を助けようとしたもも……。

「ただの優越感なんでしょう?」

「ちが」

 う、の声は、セーレに届かなかった。

 セーレは、カノンの顔に視線を移した。

「あなたのお名前は?」

「カノン・レーンよ」

「カノン様、その快楽屋に私を案内してください。そこのサービスに耐えられれば……汚い仕事もきっとやれる。お母さんと一緒になるのは、癪だけど」

「生きて行く為には、仕方ない」

「はい。その覚悟を決めるために、私はその店に行くんです」

「分かった。それじゃ、快楽屋へ。ダナリさんも一緒に行く?」

「行かない」が、ハウワーの答えだった。「そんな場所に! あたしは」

「そう。なら、行きましょう。バルさん」

「はい」

 二人は後ろのハウワーを無視し、カノンの案内で、ヨハンの店に向かった。ヨハンの店には、それから三十分程で着いた。

 カノンは店の前に立つと、嬉しそうな顔で玄関の戸を叩いた。一回、二回、三回と。ヨハンが玄関を開けたのは、カノンが五回目を叩こうとした時だった。

 ヨハンは、カノンの来店を喜んだ。

「いらっしゃい。今夜は、少し遅かったね」

「ごめんなさい」と謝りつつ、カノンは後ろの少女に振り返った。「彼女と少し、話していたから。本当は、もっと早くに行くつもりだったけど」

 ヨハンは、後ろの少女に目をやった。自分と同じくらいの少女……いや、「美少女」と言った方が正しいかも知れない。本人は、「それ」に気づいていないようだが。「あ、あの」と脅える顔も、「うっううう」と震える身体も、別にそう言う趣味はないが、相手の頭を撫でたくなる、そんな感覚が、その顔を通してひしひしと伝わってきた。カノンの顔に視線を戻す。

 ヨハンは「営業」とは行かないまでも、穏やかな顔で「ニコッ」と笑った。

「彼女は?」

「セーレ・バルさんよ。あなたの仕事に興味があるらしくてね。今夜のアレを見学したいそうよ」

「ふうん、見学か」

 ヨハンは店の中に二人を導き、そして、二人分の紅茶を用意した。

 二人はその紅茶を呑みつつ、一方はヨハンを話し、もう一方は店の中を見渡した。

「不思議な場所だね。店の椅子は、オシャレだけど」

「ベッドのデザインが怪しい?」

「う、うん、とても。まるで……私も詳しくは知らないけど、そう言うお店に入ったみたい。私自身は、入った事はないけど。なんて言うか」

「雰囲気だね?」

「そう、エッチな所に来たって感じ」

「ふふふ、まあ、そう言うテーマの店だからね。快楽の匂いはまず、その雰囲気からはじまる。男は女の身体に興奮するけど。女性の場合は……うん、そうは、いかないからね。余程の事がない限り、女性は男の身体に興奮しない。こいつは、僕の経験さ」

 セーレは、ヨハンの顔に視線を戻した。ヨハンの顔は、美しかった。性別の意味では「男だ」と分かっているのに、その表情には何か色気のようなモノが漂っている。見る者の頬を思わず「ポッ」とさせるような、何とも言えない怪しさが漂っていた。

 セーレは、その顔にしばらく見惚れつづけた。

 ヨハンは、その表情に驚いた。

「セーレさん?」

「あ! ごめんなさい、その」

「ふふふ、カップの中が空だね。もう一杯呑む?」

 セーレは、その質問に(緊張のあまり)上手く答えられなかった。

「え? あっ、ううう、うん。大丈夫、もう要らない。私は……ごめんなさい! やっぱり、もう一杯ちょうだい!」

「うん、良いよ、ちょっと待っていてね」

 ヨハンは、彼女のカップに紅茶を注いだ。

「どうぞ」

「う、うん。ありがとう」

 セーレは、コップの紅茶を一気に飲み干した。

「はぁ、はぁ」

「ふふふ、余程気に入ったんだね。紅茶を出して良かったよ」

 ヨハンは二人のカップを片付けると、穏やかな顔でまた元の場所に戻った。

「それで、見学はいつ始めるんだい?」 

「少し落ち着いたら」と、セーレ。カノンも「私も。今日は、人に見られるからね」と言いつつ、彼女の言葉にうなずいた。

 二人は、それぞれに気持ちを落ち着かせた。

「もう良いわ」

「私も、大丈夫」

「分かった」とうなずいたヨハンは、二人の前から歩き出して、仕事の必要な準備を始めた。素人の二人(特にセーレ)では分からない、彼だけが知る準備を。彼はその準備を整えると、ベッドの前まで二人を連れて行った。

「さあ、カノンさん。脱いで」

「うん」とうなずくカノンの顔は少し赤らんだだけだが、セーレの顔はそれ以上に赤くなった。今の返事に「うっ」と、息を飲む。

 セーレは両手で自分の顔を覆い、その隙間から二人の様子を窺った。

 カノンは、自分の服を静かに脱ぎはじめた。最初は、セーレの反応を楽しむように、それから……。胸の下着を外す動きは、女のセーレでも思わずドキドキしてしまう程に美しかった。

 カノンは、彼女の反応に微笑んだ。

「ダメよ、サービスはこれからなんだから。こんな所で興奮しちゃダメ」

 彼女は残りの下着を脱いで、ベッドの上に寝そべった。

 ヨハンは、彼女の顔を見下ろした。

「カノンさん」

「んん?」

「どうする? 今日も、君の専用メニューを?」

「うんう。初心者の人もいるし、今日は『普通』のメニューで良いわ」

「分かった。なら、最初はゆっくりと、だね?」

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