第7話 幸せに対する冒涜
セーレがベンチの前から歩き出すよりも一時間ほど前。自分の部屋で寝ていたハウワーは、憂鬱な顔でベッドの上から起き上がった。
「気持ち悪い。嫌な夢を見ちゃったな。好きでもない男の子から告白されて。でも」
悪い気は……。
「って、何考えているの! あたしは、恋愛なんて……あれ? あたし、なんで泣いているんだろう?」
彼女は、両面の涙を拭った。何度も、何度も、その涙を拭い取るように。だからいくら拭っても、その涙は拭い取れなかった。次々と湧き出す不思議な感情……その先には、あの少女の言った言葉が立っている。自分の心を掻き乱すような、そんな言葉が心の中で蠢き、そして、渦のように回っていた。彼女の言葉に言葉が締め付けられる。
ハウワーはお気に入りの服に着替え、部屋の中から抜け出すと、家のダイニングに行き、その両親に「おはよう」と言ってからすぐ、今日の朝食を黙々と食べはじめた。
今日の朝食は正直、何の味もしなかった。普段なら「美味しい」と喜べるのに。今日は、料理の半分以上を残してしまった。皿の上にフォークとナイフを置く。
ハウワーは、暗い溜め息をついた。それに合わせて、彼女の母親が「もう良いの?」と心配する。「普段は、全部食べるのに? どこか調子でも悪いの?」
母親は不安な顔で、娘の顔を見つめた。
「うん」と、応えるハウワー。「今日は、もう良いの。だから」
「そ、そう。お腹がいっぱいなら良いけど。今日も、お友達のお茶会に呼ばれているの?」
「今日は、呼ばれていないよ。でも」
「でも?」
「ごめん。今日もまた、出掛ける」
「……分かった。お昼には、帰るの?」
「うんう。たぶん、夕方まで掛かる」
「そう。まあ、気をつけて行って来なさい。町の中には、危ない人がたくさんいるから」
「うん」
ハウワーは「ニコッ」と笑って、屋敷の中から出ると、不思議な気持ちを抱きながら、屋敷の鉄扉を潜り、町の中を静かに歩き出した。そんな彼女の足が止まったのは……夕方、ある道の角で少女、セーレとぶつかった時だった。その衝撃で、悲鳴を上げ合う二人。
二人は、互いに「ごめんなさい」と謝った。
「あたしが余所見をしていた所為で」
「こ、こっちこそ」
ハウワーは、相手の顔に恐る恐る目をやった。
その時、「あなた」
彼女の声が、カノンの声が突如聞こえた。その声に驚く二人。特にハウワーは二度目の事もあって、セーレ以上に「あっ!」と驚いてしまった。
カノンは、二人の顔を(特にハウワーの顔を)交互に見た。
「フフフ、また会ったわね。今日は、友達と一緒だったんだ」
ハウワーの顔が強ばった。
「彼女は……その、友達じゃない。さっき、たまたまぶつかって」
「ふうん、そう。なら」
「ねぇ?」
「なに?」
ハウラーは、自分の質問に顔を赤らめた。
「きょ、今日も快楽屋に行くの?」
「か、快楽屋!」と、セーレが驚いた。「そんな所に」
セーレは(若干、赤面しつつ)、カノンの顔をまじまじと見た。
カノンは、その視線に微笑んだ。
「一緒に行く? あなたも」
「え?」と驚いた瞬間、ハウワーが彼女の腕を掴んだ。
「ダメ」
ハウワーは、彼女の顔を睨んだ。
「あなたの名前は?」
「セ、セーレ・バル、です」
「あたしは、ハウワー・ダナリ。セーレさん、あなたはもう帰った方が良いよ。空も暗くなってきたし、あなたの親もきっと心配している。だから」
「私に親はいないわ、二人とも。私の親は、とんでもない屑野郎だった」
ハウワーはその言葉に驚いたが、カノンの方は至って冷静だった。
「出て行ったのね?」
「……うん。私がまだ」
カノンはその先を聞かず、彼女にただ同情を抱いた。
「大変だったわね。ワタシの親は、まだ生きているけど。貴族としては……とにかく、うだつが上がらないわ。貴族の集まりでは、いつも末席だし。誇れる物は、何も無い。ワタシは、そんな親にイライラしている」
セーレも、彼女に同情を抱いた。
「私の親は、貴族じゃないけど。あなたの気持ちは、すごく分かります(貴族だから、敬語を)。私も、何かを恨まずにはいられなかった。『私だけがどうして?』って。でも」
「でも?」と、ハウワーが驚いた。「何かあったの?」
「う、うん、ちょっとね。だから今、とても悩んでいる。返事の答えをどうするか?」
セーレはポケットの中から地図を取り出すと、真面目な顔でハウワー、続いてカノンの顔に視線を向けた。
「ある人にね、その人は『何でも屋』をやっているんですが。『俺の店に来ないか?』って誘われているんです。『給料も、ちゃんと出すから』と」
「ふうん」と、うなずくカノン。「それは、良かったわね。何でも屋の給料は良いし、何よりあなたみたいな人には」
カノンは、セーレの服装を見た。
「失礼だけど、浮浪者でしょう?」
「はい、道のお金を拾って暮らしています」
「辛いね」と、ハウワーが呟いた。「そんな生活は」
「うん、本当に。だから悩んでいるの。あの人の誘いを受けるべきか」
「なるほど。でも、嫌なら無理に受けなくても良いんじゃない? 『何でも屋』って言うのは、ほら? 危険な仕事もいっぱいあるし。最悪の場合は」
「不利益のない幸せなんて無いわ」
セーレは、カノンの言葉に驚いた。
「え?」
「幸せって言うのは、一種の博打よ。誰にも結果が読めないね。だから、みんな必死になる。安全な場所で幸せを得ようするのは、幸せに対する冒涜だわ」
「幸せに対する冒涜」
「あなたも一緒に来る? あなたの気持ちは、どうであれ。自分の選択が」
「待って!」
ハウアーは、セーレの腕を掴んだ。
「この子を快楽屋には行かせない。この子は、あたしの所で雇うから!」
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