第6話 スカウトの返事
夕暮れの町は、いつ見ても淋しかった。周りの家から温かい光が漏れているのに、道路を歩く人々はもちろん、そこを走る馬車もどこか悲しげに見える。それがたとえ、隣の乗客と楽しげに話していたとしても。彼女の目には、どうしても切なく映ってしまった。
セーレは、広場のベンチに腰掛けた。
「はぁ、疲れたぁ、今日も。夕ご飯は、パンだけか。本当は、もっと買えるけど。お金は、節約しなきゃならないし。今は、これで我慢しないと」
彼女は、今日の夕食を食べはじめた。右手のパンを二つに切って、その右側からじっくりと味わうように。だが……パンは、すぐに無くなった。
自分ではゆっくり食べているつもりだったが、思った以上に空腹だったので、右手のパンはもちろん、左手のパンもあっと言う間に食べきってしまった。惨めな気持ちで、ベンチの背もたれに寄り掛かる。
彼女は、両目の涙を拭った。
「ひもじいよ、神様」
神様は、彼女の声に応えなかった。彼女がどんなに項垂れても、冷たい目でその様子をじっと眺めつづけている。彼女の不幸を嘲笑うかのように。神様は、どこまでも意地悪だった。直ぐには「救い」を与えず……それどころか、更なる試練を与えようとする。彼女に前に、ある青年を差し向けて。
青年は、彼女の前で止まった。
「やぁ、こんばんは」
セーレは、彼の登場に驚いた。
「だ、誰? どこから?」
「脅える事はないよ。俺は別に……そう、怪しい者じゃない。俺は、君のスカウトマンだ」
「ス、スカウトマン? 私の?」
青年は、彼女の隣に目をやった。
「隣、良いかな?」
彼女はその質問に戸惑ったが、やがて「ど、どうぞ」と答えた。
青年は、彼女の隣に座った。
「ふふふ、ありがとう。君は」
「あなたは、誰?」
「……俺? 俺は、『何でも屋』だよ。お客様の要望にお応えするね。俺は、その経営者なんだ」
「何でも屋の個人経営者?」
「そう。何でも屋の事はもちろん、知っているよね?」
「うん」と、うなずくセーレ。「職種は違うけど。私のお母さんも、それと似たような商売だったから。お客の要望に何でも応える。私のお母さんは、娼婦だったから」
「娼婦か。ふーむ、なるほど。なら、話は早いね」
「え?」
「君の名前は?」
「セーレ・バル」
「歳は?」
「17歳、だけど」
「だけど?」
「ぜんぜん嬉しくない」
「なぜ?」
「あと3年で、大人だから」
青年は、その台詞に大爆笑した。
「アハハハハッ、『あと3年で、大人だから』って。君は、本当に面白いね。見掛けは気弱そうなのに。その口調は、大変尖っている。今すぐにも雇いたいくらいだ」
「私は、そんな所で働きたくない」
「どうして?」
彼女の顔が暗くなった。
「そこで働いたら、くっ。どうせ、汚い仕事しかやらせないんだろうし。お母さんと同じになっちゃう」
「町の娼婦達と?」
「……うん」
「俺の店にそう言うのはないよ。それに客とも遊ばない。特に君のような子どもは。俺の店は、そう言うのに厳しいんだ。他の店がどうかは知らないけど。子どもにそんな真似は決してさせない。何があっても、だから」
青年は、彼女に掌を向けた。
「俺の店に来ないか?」
セーレは、その誘い戸惑った。
「う、うううっ。あなたの店に行ったら……その、お金はちゃんと貰えるの?」
「それは当然、給料は支払うさ。俺の店で働いている以上」
「うっ」
「だから、俺の店においでよ? 君のような子は、ふふふ。お客様にとても喜ばれる。君は、気づいていないようだけどね。その容姿もかなり」
少女の顔が赤くなった。
「そんな、うそ」
「嘘は言わないよ、俺は。君は、本当に可愛いんだ。自分では、その自覚が無くても。だから、その才能を無駄にしちゃいけない。自分の才能は、自分の為に使わないと?」
青年は、彼女に店の地図(いつも持ち歩いているらしい)を見せた。
「そこの赤印の付いている場所が、そうそう! 丁度、パブの真向かいだね。そこに俺の店がある。左側の道を真っ直ぐに進むと、『ポア(「快楽」の意)』って店が見えてくる筈だ。そこの扉を叩けば良い。従業員はみんな女だから、きっと親切にしてくれるよ」
「うっ」
青年は、彼女の前から歩き出した。
「それじゃ。返事の方は、すぐに出さなくても良い。ただ」
「待って!」
「なに?」
セーレは、彼の背中を睨んだ。
「あなたの名前をまだ聞いていない。あなたの名前は?」
「ラルフ・ガイ。店の女の子からは、『ガイさん』って呼ばれている」
「ラルフ・ガイさん」
「そう」
青年は自分の正面に向き直って、広場の中をまた歩き出した。青年から渡された、怪しげな地図を握り締めて。彼女は青年の姿が見えなくなった後も、無言で誘いの返事を考えつづけた。
返事の答えは、明日になっても出せなかった。頭の中がぼうっとして、心の中もかなり掻き乱されている。まるで自分の弱さを笑われるように、その事実をじっと突き付けられていた。
セーレは上着のポケットに手を入れて、その中にある物をゆっくりと取りだした。
「昨日の残りは、これだけか」
と言った瞬間、ラルフの言葉が蘇った。「俺の店に来ないか?」と言う。彼の店に行けばきっと、自分はこの生活から解放されるだろう。明日の生活に困らない……もっと言えば、今日のお金に困らない生活から。彼の言葉には、それに導くだけの力があった。でも……。
「本当に良いのかな、それで? あの人の言葉にうなずけば、くっ! 私には、分からないよ」
彼女は、今の場所から歩き出した。自分自身の答えを探すために。彼女は真剣な顔で、町の中を黙々と歩きつづけた。
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