第5話 破廉恥
ハウワーは、自分の席から立ち上がった。
「それじゃ、あたしはこれで」
少女達は、彼女の言葉に微笑んだ。
「うん、またね」
「お屋敷まで送って行こうか? 帰りのお迎えは、頼んでいないんでしょう?」
ハウワーは、彼らの厚意に首を振った。
「ありがとう。でも、大丈夫。いつものように一人で帰るよ」
「そっか」と、ミレイが笑った。「分かった。気をつけてね。また、お茶会をしましょう?」
「うん、是非」
ハウワーは屋敷の鉄扉まで行き、そして、その鉄扉を通り過ぎた。「風が気持ちいい。でも、何故か切なくなる。どうしてだろう?」と思って。鉄扉の間を通りすぎた後は、夕陽に染まった家々を通りすぎ、人々の行き交う十字路を横切ったが……。彼女の足が止まったのは、ある鉄橋の上で「彼女」を見つけた時だった。
夕暮れの風に靡く黒髪、その肌も綺麗なオレンジ色に染まっている。年齢は、自分と同じくらいだろうか? 「大人」とは行かないまでも、どこか大人びた雰囲気を漂わせている。風に靡くスカートも美しい。そこから見える足首も……美しいとまで行かないが、やはり色っぽく感じられた。彼女の流す涙(少女は何故か、泣いていた)に思わず息を呑む。
ハウワーは(何を思ったのか)、彼女に「あの?」と話し掛けてしまった。
少女は、その声に振り向いた。
「なに?」
の声に戸惑ったが、ハウワーはすぐに「どうして?」と聞きはじめた。
「泣いているの?」
「え?」
少女は、左の目尻に触れた。
「本当だ。ワタシ」
「何か、悲しい事でもあった?」
「うんう」と、少女は首を振った。「悲しい事はない。でも」
「でも?」
から数秒して、「何でも無いわ」と返す少女。少女は悲しげに笑うと、鉄橋の欄干から背を離して、ハウワーの前に歩み寄り、その顔をまじまじと見た。
「綺麗な顔ね。ちょっと男の子っぽい所が、最高にクールだわ」
ハウワーは、その言葉に驚いた。確かに良く、「男の子っぽい」とは言われるけど。見ず知らずの、赤の他人に言われるのは、やはり抵抗があった。彼女の顔に苦笑を浮かべる。
ハウワーは当たり障りのない、(あくまで)一般的な感じに「ありがとう」と返したが、少女が「それに優しい」と笑うと、その口調を忘れて、彼女の顔をまじまじと見返した。
「あ、あたしが?」
「そう、他人の事を心配するなんて。普通の人間は」
「普通の人間は、他人の事を心配するよ?」
ハウワーは「当然!」とばかりに、自分の鼻を鳴らした。
少女はその音に驚いたが、やがて「クスクス」と笑い出した。
「面白い人ね」
「ふふ」
二人は、互いの事を笑い合った。
「あなたの名前は?」
「ワタシ?」
「そう」
「ワタシの名前は、カノン」
「カノンか、善い名前だね。あたしは、ダナリ家のハウワー」
少女……カノンの顔が変わった、気がした。
「ダナリ家って、ああ。町でも有力な貴族の一つじゃない」
「う、うん。まあ。あたしとしては……うん、そう言うのはどうでも良いんだけど」
ハウワーは、カノンに微笑んだ。
「カノンは、平民?」
「うんう。あまり有名じゃ無いけど、あなたと同じ貴族よ」
「ふうん。ちなみに姓は?」
「レーン」
「レーン……レーンって、あのレーン家?」
「そう。貴族の集まりで、いつも末席に座っていた。発言権は、ほとんど無かったけど」
ハウワーはその話を聞いて、何となく「申し訳ない」と思ってしまった。
「ご、ごめん」
「気にしないで。あたしの家が」
の続きは、良く聞き取れなかった。
「とにかく、あなたは悪くない。だから、気にしないで」
「う、うん。ありがとう」
二人は揃って、町の夕陽に目をやった。
「綺麗な夕陽だね」
「ええ。あたし、一日の中で一番夕方が好きなの」
「ふうん。あたしは、朝の方が好きだな。『今日も、一日が始まったぞ』って。太陽から元気を貰う」
二人はまた、互いの顔を見合った。
「今日は、散歩?」
「いいえ」
「ん? なら、何処かに行っていたとか?」
カノンは「ニヤリ」と、その質問に答えた。
「何処かに行ったと言うよりも、ふっ。ワタシ、これから快楽屋に行くの」
「え?」と、絶句するハウワー。「か、快楽屋に?」
ハウワーは、興奮気味にカノンの肩を掴んだ。
「ダ、ダメだよ! そんな店に行っちゃ。快楽屋って……店のお客に、女の子にエッチな事をする。あたしの友達も言っていた。あんな店に行くのは、ふしだらな子しかいないって」
カノンは、彼女の意見に首を振った。
「それは、あなたの誤解よ」
「あたしの誤解?」
「ええ、誤解。あそこは決して、あなたの思うような場所じゃないわ。それどころか寧ろ、性の悩みを解決してくれるかも知れない。自分の中に抱える。あなたも」
「あたしは、何も抱えていないよ! 性に対する悩みなんて。あたしは、今のままで十分なんだ。友達の屋敷に行って、それから」
「悶々とする?」
「なっ、くっ、友達の恋話を聞くだけだよ! 今日だって」
「その話を聞いたの?」
「うん、自分の罪がどうとか。友達は、その罪に苦しんでいた」
ハウワーは、カノンの前から歩き出した。
「ごめんなさい。あなたとこれ以上、話している時間は無いんだ。家の皆が心配しちゃうし。あたしは、普通の女の子だからさ」
「彼の店は、普通の女の子にも親切よ?」
ハウワーの足が止まった。
「彼の店?」
「そう、彼の店。ヨハン・ロジクって名前は」
「……ごめんなさい、聞いた事がないよ。その手の人には、興味は無いから」
「へぇ、そう。なら、覚えておいた方が良いわよ? 彼の店は、本当に素晴らしいから。普通の女の子でも、最後は必ず虜になってしまう。あの快楽を知ったらね、今夜も」
「行くんでしょう?」
「ええ、行くわ」
「破廉恥!」
「破廉恥の何が悪いの?」
二人は互いの目をしばらく見合ったが、カノンが溜め息をつくと、それぞれの目から目を逸らし合い、一方はその場に止まって、もう一方は片足だけを動かした。
「あなたも、そうやって生まれたのに」
「うっ、くっ! それとこれとは、話が違う。あたしは、愛の無い『それ』が『破廉恥だ』って言っているの! そう言うのは、大好きな人としないと。じゃなかったら」
「それは、ワタシも分かっているわ。だから、あなたに『それ』を教えたの。彼の仕事には、『愛』があるから。あなたの欲望にも、きっと応えてくれる」
「バカバカしい。そんな」
ハウワーはまた、彼女の前から歩き出した。カノンに話し掛けた事を後悔して。彼女は自分の拳を握ると、悔しげな顔で夕暮れの町を歩きつづけた。
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