第4話 悲しい思い出(後篇)

 母親は、彼女に「娼婦」の意味を教えた。「娼婦って言うのは、男の人の前で裸になるお仕事よ」と。「それで男の人を喜ばせるの。男性の身体を触ったり、自分も相手に身体を触られたりして。私の知っている娼婦は、それで私の大事な人を奪ったわ。私がずっと好きだった……身分は平民だけど、掛け替えの無い男を。その女は」

 彼女は、娘の肩を掴んだ。

「ヨハン君の母親よ。だから、彼は特別なの。屋敷の従僕達に可愛がられるのは、彼に対する尊敬の証。つまりは、『名誉』と言うヤツね。彼の事を可愛がるのは、それだけで尊い事だから。私の言っている意味は、分かる?」

「分かるよ。私の友達は、とても凄い人だったんだね? 屋敷の皆から尊敬される。ああ! 私は、そう言う子と遊んでいたんだ!」

「ええ、そうよ。あの子は、貴方にとって特別。だから、そのお礼をしなくちゃね?」

「お礼? お礼って、何をすれば良いの?」

「ヨハン君が喜ぶ事よ」

「ヨハンが喜ぶ事?」

「そう、ヨハン君が喜ぶ事。彼のお父さんは、娼婦の女と結ばれた。だから」

「そうか! ヨハンも娼婦の事が好きかも知れないね!」

「ふふふ、そう言う事よ」

 ミレイは、母親の前から走り出した。

「ありがとう、お母さん」

 彼女は、ヨハンのいる部屋に戻った。

「ごめんね、待たせちゃって」

「うんう、大丈夫だよ。『娼婦』の意味は、分かった?」

「うん! 分かったよ、すごく。娼婦は」

 ヨハンは、彼女の行動に驚いた。

 彼の見ている前で、自分の服を脱ぎ捨てる。上着のそれから始まって……上下の下着を脱いだ時は、その開放感に酔い痴れる一方、彼の視線に思わずドギマギしてしまった。

 彼女は、ヨハンの身体に抱きついた。

「ど、どう、ヨハン」

「な、なにが?」

「私の身体、気持ちいい?」

 ヨハンの顔が熱くなった。頭の中はもう、パニック状態。普通なら考えられる「それ」が、今では虚ろに、物凄い力に押しつぶされてしまった。彼女の身体を抱きしめ返す。

 ヨハンはふらふらの身体で、彼女の身体を抱きしめつづけた。

「う、うん、気持ち良いよ。ミレイの身体は、とても」

「本当! なら」

 ミレイは、彼の身体に自分の身体を擦り付けた。

「ああいい! これ、頭がぼうっとする! あああああっ!」

「くっ! ミレイ」

 ヨハンは(本能的に)、彼女の身体を放した。

「もう良いよ、ミレイ。僕は」

「え? もう良いの? 私は、こんなに」

「え?」

「ドキドキしているのに? ヨハンは、嬉しくないの? 私の裸を見て」

「僕は、くっ!」

 ヨハンは彼女の暴走を何とか止めようとしたが、寸前の所で「それ」を静かに止めてしまった。視線の先には、屋敷の従僕達が立っている。まるでヨハンの事を睨みつけるように、その瞳を鋭く怒らせながら。

 ヨハンは、彼らの登場に力を失った。

 従僕達は、二人の所に駆けよった。

「大丈夫ですか、お嬢様」

「お怪我は?」

 彼女は、彼らの質問に答えた。

「う、うん、大丈夫だよ。ヨハンと少し、遊んでいただけで」

「娼婦の子どもと遊んでいた?」

 彼らは不機嫌な顔で、ヨハンの周りを取り囲んだ。

「貴様、お嬢様になんて事を!」

「お前は、やっぱり娼婦の子だ。お嬢様を辱めて。貴様は」

 ミレイは彼らに「違うわ! 彼は悪くない」と叫んで誤解を解こうとしたが、彼らは「それ」を聞き入れなかった。娘の彼女がいくら叫ぼうと、彼らにはそれ以上のバックが付いている。屋敷の二階に住む、「彼女の母親」と言う黒幕が。

 ミレイは、その存在を知らなかった。母親が何故、「自分に嘘を付いたのか」と言う理由も。彼女はその理由によって、最愛の彼から引き離されてしまった。

 過去の記憶が途切れる。

 ミレイは、今の自分に意識を戻した。

「彼は今も、恨んでいるよね? 私の事を。私は、『大事なモノ』を壊しちゃったんだから。その罪は、決して許されない。絶対に、何があっても。私は……」

 周りの少女達は、その呟きに驚いた。

「え? ミレイ、罪って?」

「あ! うんう、何でもないよ。ただ、うん。やっぱり何でもない。気にしないで」

「えぇえええ、気になるよ! 『彼は今も、恨んでいるよね?』なんて。これは、絶対に何かあるでしょう? ねぇ?」

「うん! うん! 絶対に何かある」

 少女達は、彼女の周りを取り囲んだ。

 アリスは「それ」に混ざらず、意地悪な顔で彼女に微笑んだ。

「ほらほら、喋っちゃいな、喋っちゃいな」

 ミレイは、彼らの迫力に苦笑した。自分の近くにいる、一人の例外を除いて。彼女は例外の少女、ハウワーに溜め息をつくと、複雑な顔で彼女の目から視線を逸らした。

 ハウワーは、その光景にキョトンとした。自分の友達はおそらく、他人には言えない過去を抱えているのだろう。友達の自分にも言えないような、とても苦しくて甘い記憶を。その記憶は今も、彼女の心を苦しみつづけている。

「本当に何も無いよ」と慌てなければならない程に、その記憶を蝕みつづけているのだ。周りの皆からどんなに冷やかされても、それにぐっと耐えなければならない記憶。その思い出は、きっと……。

 ハウワーは、友人の苦しみに胸を痛めた。彼らの耳には届かぬよう、「アタシは、誰かを好きになった事がないから。失恋のショックにも」と呟いて。

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