第2話 浮浪者
それから十数時間後。
店の外に広がる世界は……なるほど、確かに近代化した世界だ。町の道路はしっかりしているし、その両端にも見事なガス灯が設けられている。客観的に見れば、その発展は疑いようがない。だが、そこを行き交う人々はどうだろう?
彼らは果たして、笑っているだろうか? 議事堂の中を歩く大臣達みたいに、見事な燕尾服に身を包んでいるだろうか? その答えはもちろん、「否」だった。鉄橋の上で物乞いする乞食達を見れば分かる。
彼らは、今の社会に喘いでいた。自分達がただ、「貧乏」と言うだけで。帝国の民としてはもちろん、人としても満足に扱って貰えない。自分達は、文字通りの屑なのだ。姿や形は「それ」でも、普通の人とは天と地程に差がある。それこそ、道のお金を拾わねば生きていけない程に。
少女……セーレは、道端のお金を拾った。側溝の近くに落ちていた銅貨と、ガス灯の前に転がっていた銀貨を。周りにバレないように、慣れた手つきでポケットの中に仕舞った。
彼女は、額の汗を拭った。
「はぁ、疲れた。朝からずっと歩いて」
ガス灯の柱に寄り掛かる。それから地面の上に座って。地面の上は(お世辞にも)心地よくなかったが、掃き溜めの近くに座るよりはずっとマシだった。
彼女は、その感触に涙を流した。「なんで、私ばっかり」と。そして、「こんな目に遭わなくちゃいけないの?」と。自分の前を歩く人々は、ほら!
あの馬車に乗っている女の子。とても綺麗な服を着ている。貧民の自分には、一生掛かっても着られそうにない。彼女は、上流階級の人間だった。隣の従僕と話す顔が上品なら、馭者の男に微笑む顔もまた上品。セーレの浮かべる顔とは、正に正反対である。
少女はその視線に気づかないまま、セーレの前を悠々と通り過ぎて行った。
セーレは今の場所から立ち上がり、地面の上を踏み荒らした。それで自分の足が痛くなっても、その動きを決して止めようとせずに。彼女は、地面の上を何度も踏みつづけた。
「ううう、なんで? なんで?」
彼女は、自分の人生を呪った。こんなにも辛い自分の人生を、そして、自分とはまるで違う「あの子」の人生を。あの子の人生には、きっと明るい未来しかないだろう。綺麗なお屋敷に移り住んで、それから素敵な人と結婚するんだ。彼女の家族はもちろん、相手やその親族にも祝福されて。くっ! 本当になんて幸せなんだろう。
自分の家族とは、まるで大違い。自分の家族は、文字通りの屑野郎だ。父親は飲んだくれの遊び人で、母親は「それ」を相手にした娼婦なんだから。自分の子どもをまともに育てる筈がない。ましてや、それに幸せを教える事も。
彼らは、せーレの前からいなくなった。何の前触れもなく、突然に。テーブルの上に置かれてあった手紙には、せーレに対してこう書かれてあった。「ごめんなさい。わたしたちは、アナタの事を育てられません」と。
セーレは、その一文に絶句した。「自分の親に捨てられた」と言う現実は、もちろん辛い。だがそれ以上に、「これからどうやって生きて行こう?」と言う不安の方が強かった。一通りの家事はできるとは言え、自分はまだ子ども。できる事よりも、できない事の方が圧倒的に多すぎる、それにお金の事だって……。
彼女は、家のお金を探した。当分の生活費を手に入れる為に。子どもの自分が一人で生きて行く為には、どうしてもお金が必要になってくる。
彼女は、家のお金を探しつづけた。洋服ダンスの引き出しから、本棚の隙間まで。だがいくら探しても、家のお金は見つけられなかった。
彼女は、その現実に打ちひしがれた。家のお金が見つからなければ、自分はこのまま飢え死にするかも知れない。誰かが自分の危機に駆けつけるまで、その空間にじっと耐えつづけなければならないのだ。それがたとえ、どんなに低確率な事であっても。
彼女は、助けが来るのを待ちつづけた。一日目の朝日が昇っても、また二日目の夕日が沈んでも。彼女は、家の中から決して出ようとしなかった。「助けは、必ず来る」と信じて。だがそれは、文字通りの泡と消えてしまった。人々の助けは、来なかった。玄関のドアをドンドンと叩く音も。
彼女は、床の上から立ち上がった。「私は、誰の事も頼れないんだ」と呟いて。それから必要な荷物を揃えると、「それら」を持って家の中から出て行った。
「家の外は、最悪よ。私を苦しめる物しかない。道路の上を走る馬車も、貴族の屋敷から聞こえる音楽も、みんなみんな」
彼女の涙が光った。
「地獄に落ちてしまえ! 真っ赤な炎に焼かれて、真っ黒な灰になっちゃえば良いんだ! 何もかもを失って、そうよ! 『あの子』も失えば良いんだわ! あんなに綺麗な服を着て、うっ。こんなのは、不公平よ。あの子と私は、同じ人間なのに。その人生が全然違うなんて、残酷にも程がある。私だって、綺麗な服を着たいの。格好いい男の子と恋愛がしたいのよ! オシャレな店に入って、それから……うううっ」
彼女は「うわん」と泣き崩れてからすぐ、「あの子」が不幸になる様を思い浮かべた。
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