第1話 快楽商売

 快楽に匂いがあるとすれば、それはきっと「甘い匂い」に違いない。相手の心を惑わすような、淫らで華やかな匂いだ。その匂いは何故か、多くの人を狂わせてしまう。まるで花の蜜を吸う、蜜蜂のように。彼女もまた、その匂いを愛していた。裸の身体に塗られる、そのオイルを。オイルは彼女の身体を、17歳と思えない淫らな身体を、ゆっくりと濡らして行った。

 少女は、その感触に酔い痴れた。少年の指が、彼女の身体を撫でる。首の後ろから始まって、背中や腰、そして、左右の脹ら脛を。彼女の快感を高めるように、ゆっくりと撫でて行った。

「どこか痛い所はある?」と、店主の声。

 少女は、その声に「無いわ」と答えた。

「今日も、すごく気持ちいい」

「そう」

 彼女の足を揉む。最初は右足から、その指を一つ一つ揉むように。店主は彼女の右足を揉み終えると、彼女の左足に目をやって、その指を一本一本揉みはじめた。親指は少し力強く、人差し指はやや丁寧に、中指はそれと同じくらいに、薬指は少し弱めに揉んで、小指は「それ」を撫でるように優しく揉んだ。

 彼女は、その感触に悶えた。元々、足は敏感だったので。彼の指が親指を揉み出した瞬間、背中に何とも言えない電撃が走った。電撃は、彼女の感覚……特に快感を倍増させた。ふわふわと、身体が浮くような気持ち。だが、その中には、重苦しい快感が潜んでいた。自分の口から、ヨダレが思わず漏れてしまう程の。ヨダレは彼女の頬を伝って、ベッドの上に垂れて行った。

 店主は、彼女に優しく笑いかけた。

「後ろは、終わり。次は、前だよ」

 少女はその言葉に従い、身体の体勢を変えた。部屋の灯りに光る、彼女の裸体。彼女の裸体は本当に美しく、形の良い胸も、きゅっと締まったウェストも、すらりと伸びた脚も、みな宝石のように輝いていた。大抵の男なら、それに息を飲む程に。だが……。

 店主は、「それ」に無反応だった。同じ男の、しかも17歳の少年とは、思えない程に。彼の態度には、「お客様」に対する敬意と、そして、自分の商売に対する誇りしか感じられなかった。彼女の身体にオイル、秘伝のオイルを垂らして、「それ」を丁寧に伸ばす。彼女の首元からゆっくりと。彼女の胸を揉んだ時は、少し力が入ったが。

 店主はそのオイルを塗り終えると、優しげな手つきで、彼女の首や胸、腹や脚を揉み、最後にまた、脚の指を一本一本丁寧に揉みほぐした。

 少女はその快感に耐えきれず、彼の指が離れた瞬間に「ああん」と言いながら反り返って、その快感が去ると、満足げな顔でベッドの上にまた身体を落とした。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 店主は、その声に微笑んだ。

「良かったかい?」

「ええ」と、うなずく少女。「今日も、本当に素晴らしかった」

 少女は「クスッ」と笑って、ベッドの上から立ち上がり、店のバスローブを着て、近くの椅子に座り、店主の煎れた紅茶サービスを呑んだ。

「美味しい。やっぱり、ここの紅茶は最高ね。下手な喫茶店よりも美味しいわ」

「ありがとう。紅茶それは、僕の趣味だからね。僕は、趣味には力を入れるタイプなんだ」

 少女は皿の上にカップを戻し、その中身をしばらく眺めて、店主の顔に視線を移した。

「ロジク君」

「なに? カノンさん」

「明日も」

「来て、大丈夫なの?」

 少女もとえ、カノンの眉が震えた。彼の言葉に苛立ったわけではなく、ただ……の後は、止めて置こう。彼女の心情を考えれば、これは少し残酷な言葉だった。

「大丈夫。ワタシには、時間もお金もあるから。それよりも」

 の続きは分からないが、店主には「それ」が何となく察せられた。

「『この店を買い取る』って話?」

「ええ」

 カノンは、店主の顔を見つめた。

「ロジク君」

「はい?」の返事も聞かずに、「この店を売って」と詰め寄る。「この店を売れば……あなたも、経済的に助かるでしょう?」

「確かに、経済的にも助かる。君がオーナーになればね。店の規模も大きくなるし。でも」

「なに?」

「僕は、『それ』が正しいとは思えない」

 店主は彼女の隣に座り、その目をじっくりと見つめた。

「ここは女性の、悩める性の避難所なんだ。自分の力じゃ解決できない。僕は、その手伝いをしているんだよ。彼女達が気持ち良くなれるように。店のオイルを使って」

 カノンは、そのオイルに目をやった。

「アレは、あなたが作ったんでしょう?」

「うん。作り方は、教えられないけどね。アレは、うちの切り札だから」

 彼女は、彼の顔に向き直った。

「もったいない。あれだけすごいオイルなのに」

「……ハハハッ」

「ロジク君!」

「な、なに?」

「ワタシは、あなたを凄い人だと思っている。多くの女性に快楽を与えて。だけど! ワタシには、やっぱり理解できないわ。そんな才能があるのに。自分から、『それ』を無駄にしちゃうなんて。あなたの才能は、もっと多くの人に」

「知られているよ? 君が思っている以上にね。『快楽屋』の名前を言えば……フッ、君のような熱烈なファンもいるからね。彼らはたぶん、この店が大好きなんだ。自分の思い込みや偏見を捨てて、その快楽を思い切り楽しんでいる。僕は、その手伝いができ」

 の続きが遮られた。カノンはカップの紅茶を飲み干すと、今回のお代を払って、店主に「あなたがそうでも、ワタシは絶対に諦めないわ」と言いつつ、店の中から出て行った。

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