第3話

ここ2,3年の出来事だが、東京都は都内の住民を最優先で守るための囲い込みを続けている。あぶれた地域の切り捨てに入ったのだ。

国の首都が独立する事の影響は彼らでさえまともに測れなかったことだろう。

『殉教派』。今やこの日本において一大勢力となった宗教団体だ。

都心の独立が始まると同時に、彼らは依然として豊富な建物や物資を餌に植民地のように支配域を広げた。式根が二十歳まで学生として過ごすことができたのは、彼が東京生まれであり、かつ独立の最中でその殉教派に属していたからだった。

彼を含めた殉教派の若者の仕事は、テラフォーミングにも例えられる環境整備。

殉教派の勢力を広げるための先兵だった。



そろそろ正午も近いというのに人の気配は相変わらず少ない。

地平線の先まで見渡せる大通りが、まるで神隠しにでもあったようだ。

無音の音、というべきか。普段ならとても感じることのできない空気の流れを実感させる音。

「……難儀しそうだなぁ」思わず頭に右手を伸ばす。ザリザリ、ザリザリ。

駄目だ。また気が付けば頭を掻いている。ガシガシ、がしガシガシがし。

こうしていると思考が切り替わっていく感じがする。よだれが出てくる。まるで犬にでもなったようだ。少し痛くて気持ちが良い。張り付いていた皮を捨てたような気分。目の奥が熱くなる。喉が渇く。自分が冷静でないと実感する。それでいて、

熱に中てられた自分を、俯瞰で見下ろしているような、妙な気分で満たされる。

ああ、くそ。もうダメだ。こうなると止まらない。



グシャッ。


彼の視界の外では、彼岸に何度も首を突っ込んでいた老人の頭が熟れすぎたトマトのような色合いをしていた。その音すらまともに耳に入らず。


ザリザリ、ギ、ギシぎしジッ。ジャッ。ガシガシガシガシ、ガシガシガシガシガシ。


僕は歩き始めた。体が止まってくれない。足が止まってくれないのだ。

この激烈な痒みが湧くときはいつもそうだ。自分の理性が遠くに行ってしまう。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、全て使い物にならなくなる。ゾンビのように。

代わりに『何か』に覆われる。濁流のような『何か』が僕自身を飲み込む。

その時だった。


肉が叩かれた鈍い音がした。その音は僕の耳の中で木霊こだまする。

少しの間をおいて鼻っ柱の痛みを感じ、ようやく僕が殴られたのだと感じた。

式根が膝から横倒しに崩れ落ちた瞬間。3人の男を視認する。

鉄パイプをこれ見よがしに振り回し、全員がリュックを背負っている。

「お前、殉教派だろ。あの建物から出てきたよな」

風貌からして、野盗に違いなかった。それとも僕たちが今までに襲ってきた集団の報復か何かか?いやそんな気配はしない。僕が言うのもなんだが、人数有利に恃んだ下卑た笑いをしていた。


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