俳句超短編① 菫

祥一

 僕は慣れない大病院に緊張していた。同じく三十代と思われる医師は、さっきから眉間にしわを寄せ、脳の写真を見ている。

「悪いんですか」意を決して僕は尋ねた。

「もう少し検査してみましょう。頭痛などはありますか」

「いえ、ちっとも」

「妙ですね。これ、なんだかわかります」医師は写真を僕の方へ向けた。

「この青紫のですか。最近の脳の写真はカラーなんですね」

「いいえ、そういうわけでは」医師はやはり困惑している。「あなた、ご職業は」

「俳人です」

「廃人?」

「はい」

 しばらくの沈黙。

「つまり、どこかお悪いということですか。入院なさっているとか」

「えっ」

「えっ?」

 そうではないのだ、僕は俳句を作る人であって、決して怪我や病気のために寝込んでいる人ではない。しどろもどろになりながら、そんなふうに説明した。

「なるほど。それでこの写真なんですが」

「菫ですね」

「は?」

「菫です。僕の好きな花でして、よく俳句にも詠みます」

 医師はうなずく。「手術が必要です。一刻も早く」

「でも、僕としては特に悪いところは……」

「自覚症状が出る頃には手遅れになります。ご家族とよく相談なさってください」

 礼を言い、僕は病室を出た。医師と若い女性の看護師による歓談の声が聞こえてくる。

「菫だってさ」「ほんとですかあ」

 仕方ないのだ、僕の頭の中は俳句でいっぱいで、そのせいで脳に致命的な異物が生じたのだろう。これでも健康には気を付けていたつもりなのに。



             菫咲く俳人の脳医師笑ふ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俳句超短編① 菫 祥一 @xiangyi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ