第6話 名前 うっかりミスは許されない
「はあっ。しまったなあ。」
アンリは首をフリフリと振り、こめかみに手を当てている。
「ちょっと我々は二人で話し合う事が出来た。しばし待ちたまえ。」
そういうとアンリはフェリックスをつまんで、奥の部屋に引っ込んだ。
「あのな、教えてなかったのは、謝る。常識だと思っていたし、君が僕より強いとは思ってなかったからな。だが、今君は相当に悪い事をしたぞ?」
ぐいっと顔を近づける少女は側から見ればロマンチックな光景だったかもしれない。しかし、当の本人は困惑していた。おもわず体を仰け反らせて、聞き返した。
「何が問題だったんだ?一応この世界の常識については教えてもらったことには引っかかっていないはずだが。」
「ああそうだよ、この世界の常識はね。今から話すのは神の常識。
まず、神は軽々しく物や生き物の名前を口にしてはならない。種族としての名前なら問題ないが、人のように一体一体に名前があるとき、それを本人の前で口にすると厄介なことになる。」
フェリックスはハッとした顔になった。
「さっき彼女の名前を呼んだ事が、そんなにマズかったか。」
「そうだね。この世界で、神が名前を呼ぶということはな、その者の運命を支配してしまうということなんだぞ。相手が強ければ抵抗もできるだろうが、ご覧の通り、僕はともかく、新米のお前でもあの有様だ。」
アンリが後ろ手に戸を半開きにすると、戸の向こうにいるソレイユスルが、惚けた表情で頬杖を突いているのが見えた。どうやら意識が薄れてきているらしく、こちらには気が付いていない。
「あれは一時的に強く影響が出ているだけだが、普通は人同士でも多少影響が出るから、相手を呼ぶ時は人間同士でも愛称やあだ名で呼ぶ。本名で呼ぶのははっきり言ってめちゃくちゃ失礼なことだからな。向こうでもそうだったろう?」
「いや、確かに日本人は普段名前では呼び合わないけどさ…
そこまで失礼でもないだろう?」
フェリックスはその言い方に困惑した。その様子を見てか、アンリも気が付いたようだった。
「んん?ああそうか、時々時代感覚がおかしくなるな…それでてっきり常識だと思い込んでたのか。」
「もしかして、中世日本のことを言ってるんじゃないだろうな!」
「いや、だってさ、人間ってすぐに文化が変わるから?僕にとって古墳時代も平成時代もそう大差ないんだよね。」
そういってアンリは目を泳がせる。またもうっかりしていたようだ。
そんなアンリの様子にフェリックスは睨みつける。この事態を招いたのはアンリがフェリックスに言わなかったのが悪いのに、反省が足りていない。、と言いたげだ。アンリも流石に目の前の事態にお遊びモードから切り替えたのか、目つきが鋭くなる。
「で、話を戻すが、今の彼女の状態は危険だ。まずは安静にしてもらわないとな。」
そういうとアンリは手を打ち鳴らし、この家のお手伝いさんを呼び出し、ソレイユスルを床の間に運んでもらった。
床の間は田舎の大屋敷にふさわしく様々な調度品で飾られている、大きな部屋だった。
「さて。横になってもらったところで、フェリックス、お前は何か感じるか?」アンリはさっきと打って変わってかなり深刻な表情になっている。この状態を見て、改めてアンリも危機感を再認識したようだ。
「いや、特に何ともない。」とフェリックスが答えた。本当に何か変わった感じはしないのだ。それが彼が新米で、コツが掴めていないということを意味していた。
「そうか、それはまずいな。神が運命を支配するっていうのは簡単に言えば、『こうなったらいいのに』と思うように被支配者がなってしまうってことなんだよ。意識してそれができていないのであれば見境なくやってしまう可能性がある。それがどこまで影響が出るかは、僕にも分からない。ただし、多分…」
と言ってソレイユスルの方を見ると、もうバッチリ目覚めていた彼女は、突然、
「好きです!神様。さっきからどうも、好きという気持ちが溢れて止まらないのです!どうか、わたくしを貴方様のお側に支えさせては戴けないでしょうか!」
と言い、入れられたばかりの布団から出て、フェリックスに縋り付いてくる。それを見てアンリは
「こうなってしまうんだろうな。こうなったらもう解決方法は一つしかない。」
そう言ってアンリは大きく息を吸う。
「彼女をお前の巫女にする。今からお前の力を貸し与えることで、人の身にして神の力を振るう眷属となってもらうのだ。」
とんでもないことを言い出した。それを聞いていたのか、ソレイユスルは、
「私がこの家の当主を辞し、神様にお仕えする奴隷になれ、ということですか。もちろん引き受けさせていただきます。」
とその気になって答えてきた。普通は一家の当主だったのに、どこの馬の骨とも知らない神の眷属になれなんて言われてすぐに受け入れられるはずがない事である。だが、彼女は、いやこの村の彼らは違った。
しかし、事情を知らない二柱からすればこの反応はちょっと、いやかなりの驚きだった。なにせ今まで持っていた地位を人の、ならぬ神のうっかりで捨てなければならないのだから。
「まあ慌てず聞くが良い。先ほど、此奴が汝の名を呼んだのは、うっかりだ。何しろ此奴は新神なのでな。さっきも言ったが。だから神としての常識がない。元々汝を巫女にする意図はなかったのだ。しかし名を呼んでしまったからにはそうするしかない。此奴に変わって謝罪する。…一応理性は残っているだろうから言っておくぞ。もう一回寝てもらって落ち着いたらきちんと話す。」
そういうと、アンリは手を挙げ、チョップをソレイユスルの頭に叩き込んだ。それを見てフェリックスも周りにいたお手伝いさんも驚く。
「ちょっと待て、いきなり何してやがるんだ。」
「ご主人様、大丈夫ですか!?」
二人が駆け寄るって見ると、ソレイユスルは完全に伸びていた。
「良かった、死んでないな。いきなり暴力で解決しなくてもそのまま寝るまで待てば良かったんじゃないか。」
呆れつつも容体を確認してからフェリックスが言った。お手伝いさんも安心してホッと息をついてはいるが、その目はアンリを警戒しまくっていた。
「これが一番早い。状況がややこしすぎてなんか面倒くさくなってな。一旦落ち着きたかったんだよ。それに早めに眠ってもらわないと症状が悪化するかもしれないからな。」
アンリは言い訳する。
「まあ俺が起こした問題だし、それなら仕方ないな…」
フェリックスは腕組みをして納得した様子だ。
「ええっ!仕方なきゃんねなんでごとは…」
お手伝いさんは怒りたいが、相手が相手なのでどうしていいのか迷っているようだ。
「すまないな、少々手荒だったが、我は眠らせる魔法など使えない神なのでな。チョップが一番早いのだ。」
とアンリもお手伝いさんに謝る。お手伝いさんは納得がいかない顔をしつつ部屋から下がっていった。二人きりになると、フェリックスは、
「ろくな魔法が使えないとか、ほんとに神らしさがないよな…いや、チョップで人が落ちるのもおかしいか。何をしたんだ?」
「あれは神チョップと言ってな、神の幸運ぱわーでチョップした時の気絶率を上げているのだ。ま、要はただのチョップだ。
さて、本題に入る。彼女は今お前と運命が繋がってる、と言ったよな、あれはつまりだ、お前が何かを念じただけで魔法の対象として彼女が自動的に選ばれる。まあ今は魔法は使えないからほぼ意味もなくただお前が望む性格に変わるだけだが、普通神はこれを使って巫女とか神官とか呼ばれる対象と『契約』して普段は人間の力を徴収しつつ、望まれればその分の力を分け与える。これによって人間は神の力を間接的にふるえるわけだ。」
ソレイユスルの布団を整えながら、アンリは言った。
「ああ、神聖魔法という奴だな。それは来る前にも聞いたぞ。」
「だが、それをするには神がいちいち契約した人間たちの願いを聞き届けて力を発揮せねばならん。これが非常に難しい。
まず第一にきちんと相手との繋がりを把握しておかないと神が考えただけで魔法が全契約者に飛び火してしまう。こいつを抑えても次は特定の人間だけに力を送るという難題が待っている。
だから神の力を一人前にコントロールできるようになるまで契約はしては危ない。多分だけど今のはお前が無意識に垂れ流した『彼女に好かれたい』という思いが、惚れ薬みたいに作用したわけだ。まあ彼女の方の意識がなければ問題ないがな。しかし、会ってまもない女に対して自分を好きになって欲しいと思うなんて、男ってのは本当に単純だな。」
そういってアンリはからからと笑う。
「くっ…!」
おまえにだけは言われたくない、とフェリックスは思ったが、事実ソレイユスルのあの有様という動かぬ証拠があるので何の反論もできないのであった。
「これが、『最初の契約』の話、契約は基本誰かとすれば一生魂に刻まれ解除できない。故に契約済みなら本来問題ないんだが…してなかったみたいだな。2回目以降はしばらく使わないだけで簡単に千切れるやわな
アンリはそう言って首を傾げた。
神聖魔法は神の力を通じた通常魔法の行使であり、人間にできないような魔法も使えるようになる。
精霊魔法はそこに存在するものと契約してものの『あるべき』形を変える魔法だ。ただ欠点として無から有を生み出せない。
通常魔法はマナを扱える人なら誰でも使えるが、マナの量と人間の知力で可能な範囲を超えることができないという限界がある。
「すまん、それも聞いた。しかし契約のやり方は聞いてなかったぞ。」
「うーむ、常識だと思ってたからなあ。ともかく、お前が契約をコントロールできないと彼女は危険に晒される。どうせもうすぐお前の力が目覚めるはずだからな。だから彼女には巫女として側にいてもらう。力について理解すればおそらく大体何とかなる。多分。」
「何だその歯切れの悪い言い方は。」
「実際僕も他神の使う力のことはよく知らないしなあ。何かに特化している僕みたいなのもいれば万能なのもいる。最悪彼女にお前を叩いて気絶させてもらえば魔法を中断できるはずだ。逆でもいいけど。」
そう言いながらアンリはまた勝手にソレイユスルの脈を測り始めた。
「ちょっと待て、じゃあ巫女ってのは神をぶっ叩くためにいるわけか?他に何かないのか?」
「…ふーむ、正常だな。ん、ああ、まあ普通は違うが、今回はそうだな。後は神と一緒に居られる人間だから他の人間とおいそれと会えないし、普通の仕事に就くこともできない。公務員みたいなもんだから兼業が禁止されてるんだ。その代わり国から補助金は出るが。」
そう話すアンリの顔はどこかホッとしている。どうやらソレイユスルには別状がないようだ。
「よし、とりあえず今日はここら辺でお暇しよう。まだ他の家への挨拶が残ってる。彼女もなんか用事があったみたいだけどまた明日来ればいいや。」
そういうとアンリはゴキブリのような素早さで逃げ出したのだった。
「この事態が嫌になったからって逃げ出すなあ!」
フェリックスも慌てて追いかけてグランルージュ家から飛び出していった。
その日は結局村の人々への挨拶周りだけで全て終わってしまった。
なんと正体はこの家の農民さんがほぼ皆にばらしていたし、皆信じてもらえていたので、説明する必要はなかった。
そしてフェリックスが何一つ目標を達成できてないことと余計に事態がややこしくなったことに震えるながら昨日と同じ床で眠れぬ夜を過ごしたのだった。それをよそにアンリは爆睡していたが。
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