第5話 トラブル 新しい一日にありがちなこと
フェリックスが朝起きてみると目に入ったのは足だった。誰かは言うまでもないが、足が顔の上に乗っている。それを払いのけて顔を上げると、思いっきり自分の上に覆いかぶさって寝ているアンリの姿があった。
ふと、彼の心にいたずらしてやろうかと言う気持ちが湧いて出た。彼は寝ている少女の上着をチラッとめくると、
そのまま脇腹をくすぐり始めた。
「あは、あははは、やめてくれ、くすぐったい。くすぐったいって。」
少女は目を覚まし、笑い転げる。深く追い詰める気は今回はなかったので手を離した。
「おはよう、アンリ。」
「ああ、おはよう。そしておやすみ。」
ガバッとまた床に伏せる。
「起きろよ、今日グータラしてる暇なんかないんだって!」
二人にはやるべき事が山積みであった。アンリは気にしてないようだが。
アンリがようやく起きあがったところで、フェリックスは今日の予定を説明しだした。
まず、自分たちの住居の確保。職の確保。そして自分たちをどう説明するか、これについて考えなければならない、と。
「それなら問題ナッシングだよ。神は神殿に住まうもの。みんなに神殿を作ってもらえれば御神体としてお賽銭だけで暮らせるはずだ。」
アンリはこう言ったが、そう上手くいくはずがない。そう思ったフェリックスだが、
「いや、それが上手くいくんだな。ここの住民は素朴で素直だ。神という存在をすぐに受け入れる。前の神とも上手くやってたようだし。神殿を作るのは結構骨が折れそうだけど、そこまでは問題ないと思うよ。お賽銭で十分服とか買えるし。」「ただ問題は、」
とアンリは言い、そこで躊躇する。
「問題は、君が何の神なのか、それがまだよく判らない事だ。山の神なら山に住むべきだし、河の神なら河に。ま、それは君のこれからの活動次第だと思う。」
そう語るアンリはどこか迷っている様だった。
「判らないことのどの辺が問題になるんだ?」
「判らないと、明確にどう敬えばいいのか、信者が困ってしまう。信者は神が喜ぶような事をしなきゃならないんだ。… 悪い事させると邪神になるぞ?」
と言ってアンリは首をかしげ、ニヤッと笑う。まるでフェリックスが邪神になるとでも言いたげだ。
「はあ。お前ならともかく、俺は邪神にはならねえよ。じゃあとりあえず神殿を作ってもらうとしても、俺たちが神だって事を示さんとだめだろ。」
「そこは何となく納得してもらえないかな〜。」
「昨日派手な事はできないって言ってたが、お前がやった変身を見せればいいんじゃないか?」
とそこで思い出したのか質問を投げた。
「あの姿も普通の人間には見えなくなるからダメだ。それにあのぐらいこの世界の魔法使いならできるそうだぞ。」
「そうか。もしかして、感知能力の方も魔法使いならできるとかのたまうつもりじゃないだろうな?」
「大抵はできるが、直接目で見たりとかは人間には不可能だな。」
「つまり、人に見える形で何か示すことは無理、と。」
フェリックスはこめかみを押さえて悩ましげな表情になっている。対してアンリはお気楽なものである。
「まあおいおい努力すれば認めてもらえるさ。まずはこの村の人たちに挨拶だな。」
そう言うとアンリはさっと立ち上がり、外に駆け出す。突然行動を始めるところは変わっていない。
「おい、待て、待てってば!」
フェリックスは慌てて追いかける。幸いそこまで速くはなかったので、すぐに追いついたのだが、早速誰か知らない人の前に立っている。
「うーん、この家の人も今は仕事中みたいだねえ。まあ、農家が大半だろうから、当然か。仕方ない、こう言う時は酒屋だ、酒屋!」
と一人で何か言っていると
「おーい、待ってくれ、どこに行くつもりだ。俺もついて行くぞ。」
とフェリックスは声をかけ静止する。
「おー来たか。でも二人で行動する必要ないだろ?手分けしてやればいいじゃないか。」
と言いながらもう駆け出している。アンリは本当にそのへん躊躇がなくて自由なのだ。迷惑とも言う。
「お前一人だと何をしでかすか判らんからついて行く、これは絶対だ。」
そう言いながらフェリックスもアンリをおいかける。
さて、着いたのは明らかに周りの家より大きな屋敷と呼ぶべき敷地面積の建物だった。看板や暖簾を見る限り、ここが酒蔵で間違いないようだ。村で酒屋といえば、庄屋や領主などが徴収した米や麦で作っている場合が多いはずだろう、とあたりをつけていたアンリだったが、どうやら間違いはなかったようだ。
「すーみーまーせんっ!」
アンリが大声を上げる。甲高く鋭いその声は屋敷の奥まで届いたらしい。下手すれば昨日降りた山の上まで届いたかもしれないぐらいの大声だったから仕方ない。
「はい、どなたかおるんかいんね?」
少しして、お手伝いさんと思しき女性が屋敷から出てきた。
服装からしてどうやら今は炊事をしていたようである。
「こんにちは。実は我々かm…」と言い出したところでフェリックスが慌ててアンリの口を塞いだ。そしてすかさず、
「我々は、最近この辺りに引っ越す予定のものなので、ご挨拶に伺いました。」と言ってごまかした。
「あんれま、こげなところによお来なすったんだ。せっかくなんだから座敷さ上がってお茶でも頂いてくんろ。」
お手伝いさんが勧めるので、我々は屋敷に上がらせてもらえることになった。
「いんまから呼び出しますけ、ここでお待ちを。」
と言ってお手伝いさんが出て行ってしまったところで、アンリがフェリックスに向かって小声で話しかけた。
「何で僕や君が神だって言わなかったんだい?いずれ何とかしなきゃならないならすぐにバラした方がいいはずだ。」
「まずは、相手を見極める。これだけ大きな屋敷を構える人物だ、一筋縄でいかない曲者の可能性もある、慎重に行動して損はないぞ。」
「なるほど、その上で正体を教えるのだな。その時はお前に任せる。何か神らしい事をできるようになっておけ。お前ならできる。」とアンリは無茶振りをする。
まだ神になって1日の元人間に自分にできない事をやらせようとするのは、彼の才能を見込んでのことなのだが、決してそれは口には出さず。
耳を澄ますと、ぎしっ、ぎしっという足音が聞こえる。誰かがこっちに来たのが分かる。
控えのお手伝いさんと思しき女性がスルスルと戸を開けると、
その先には赤い着物を着て、眼鏡を掛けた若い女性がいた。
この世界の基準はわからない。それでもまずかなりの身分の高さと教養を身につけている事がその仕立てと眼光から伝わってくる。
「お待たせいたしました。私がこのグランルージュ家の当主、ソレイユスル=アン=グランルージュでございます。」と言って当主は深々と頭を下げる。
「この地を治めていた二柱の神々が我々の元を去ってから早くも100年。この地は神の恩恵を受けられず、村民は何に祈りを捧げればいいのかも判らない有様でした。どうかお二方にはこの地の神としてお留まりいただけないでしょうか?」
予想外の言葉の連続だった。この地には神がいない?我々が神である事がバレている?
フェリックスはアンリの顔を見るが、こっちもこっちで困惑した表情をしていた。
「確かに、我々は神が去ったこの地に新たに赴任した神である。しかし、我もそこの新神も誰一人にも啓示をしてはおらぬ。汝らはいかんして我々の正体を見破ったのだ?」と、アンリは一応堅苦しく返答をする。
「はい。我がグランルージュ家は元貴族の血筋、農民なれど貴族にのみ与えられる才の一つ、
「納得した。頭を上げよ。我はこの地で営むものは汝ら人も、獣も、樹木も、大地も、全て等しく我が子同様に愛しておるのだから。」
と、アンリは今までのいい加減ぶりが信じられないほど神らしく振舞っている。
内心では神であることの証明をする必要がなくてラッキー!と思っているのだが、その言い回しに若干ショック受けたような顔をしたフェリックスだが、
「私も、神としてこの地の皆様とは良き関係を築いていきたいと思っています。どうかよろしくお願いします、ソレイユスルさん。」
そう言って、微笑む。「ソレイユスル」- 彼女の本名。それをはっきり口を動かせ、喉を鳴らし、言ってしまった。
そしてそこに、事故が起こった。全くもって彼には当主を害するつもりなどなかった。名前の持つ意味というものを現世で理解していなかったわけでもない。ただ単にアンリの説明不足であった。
つまり、より魔力の強い異性に自分の名前を直接明かし、相手に名前で呼びかけさせる、というのは相手の支配下に置かれる事を意味する。もっともそこから呪文などを続けなければほぼ効果もない。それが並みの人間によるものであったなら。
神の力によって、見えない『運命』という名の糸が今、フェリックスとソレイユスル=アン=グランルージュを結びつけてしまったのだ。
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