【何様くん】悪役として舞台に立つ。
俺を誰だと思ってんだ?
父はそう言って、僕を殴った。
ついでに母も殴り、僕はキレた。
「お前は何様のつもりだ?」
と父は僕の胸倉をつかんで怒鳴り、更に暴力をふるった。
父は誰で。
僕は何様のつもりだろう?
なんの答えも出ぬまま父と母はあっけなく離婚した。僕は母と二人で暮らし始めた。
父から僕が学んだものは暴力の有用性だった。
高校に入学して、僕は暴力によって周囲を支配した。暴力があれば大抵のものが手に入った。金も、バイクも、友達も、女も――。
世界は非常に分かり易い。
弱肉強食。
他人よりも上に立つ人間が偉い。
分かり易すぎて気持ち悪いルール。
けれど、そのルールにさえ従えば欲しいものは手に入った。
学校で騒動を起こしながら、テストでそこそこ良い点数を取っていれば真面目で、良い奴だなんてレッテルも張られた。
僕よりも喧嘩が弱く、勉強さえできない人間は幾らでもいた。
何様のつもりでもないが、僕は自分より下の人間を見下した。
無気力に何にも立ち向かわず、優秀にもなろうとしない人間を僕は軽蔑さえしていた。
人見知りだと意味不明なことを言って、教室での教科書の朗読にどもり、アルバイトも一ヶ月続かない。毎日、朝目覚めて学校に登校し、授業が終わったら真っ直ぐ家に帰る。
彼らの人生に何の意味があるのだろうか。
家に酒を飲んで怒鳴り散らしてくる父親がいないというだけで、そんなぬるい生き方が許されるのか。
両親に愛され、甘やかされるって言うのは、人間の骨という骨をここまで溶かすのか。
一度、スーパーで無気力なクラスメイトを見かけた。無遅刻無欠席のくせにテストで平均点を取れず、アルバイトを一ヶ月続けることができない無気力くん。
スーパーで彼は母親と一緒だった。母親に買い物カゴを押し付けて、我がもの顔で店内をずんずんと進んでいた。レジでお金を出している母親に向かって「早くしろよ」と無気力くんは言っていた。
見ているだけで吐き気がする光景だった。
僕は無気力くんを苛めるようになった。一切の容赦をせず毎日、彼を苛めた。友人連中も面白がって僕の真似をするようになった。
行為はエスカレートしていき、ある日の放課後には教室の掃除箱の下に水道水をたっぷり注いだバケツを置いて、その中に無気力くんを立たせて、植物ごっこをさせた。
無気力くんはいつも俯いて、僕らと目を合わせないようにしていた。
「なぁ、お前さ、どうして僕にそんなに苛められているか、分かるか?」
声をかけられて彼は身じろぎをし、バケツから水が溢れた。友人の一人が無気力くんの頭を箒で殴った。
「自分が今、なんで殴られてるか分かるか?」
繰り返し僕は尋ねた。
「わか、らない、で、す」
無気力くんが絞りだすように言った。
「弱いくせに、強者みたいに振る舞うからだよ」
「え?」
「無気力で、なんもできないくせに、自分には可能性があるって顔をしてるからだよ」
「え?」
無気力はこの期に及んで何も分からないという表情だった。自分で考える気がないのか。
「無気力くん、大好きな床を隅々まで拭いたぞうきん、食べさせてあげる。嬉しいだろ?」
ずっと無気力に現実逃避してろ。
そんな僕の人生観がぶっ壊れたのは高校二年に上がった春だった。
新入生として学校に登校してきた中谷勇次は初日に僕の友人と喧嘩をし、自動販売機を壊した。
三人の男を地べたにひれ伏し、無傷で悠然と立つ勇次の周囲には多くの生徒が野次馬として集まっていた。野次馬は多いにも関わらず、勇次に近付こうとするものは誰もいなかった。
僕は二階の廊下で騒動の行方を見守っていた。
教師が中谷勇次に対し、その場で帰宅するように言った。
中谷は明らかに上の立場の教師に向かって、剥き出しの敵意を隠そうとしなかった。
――俺を誰だと思ってんだ?
父の言葉が浮かんだ。
中谷勇次もそう思っているんだろうか?
まるで、暴力そのものが服を着て歩いているような男。
圧倒的と言って良いその暴力性があれば、誰よりも上に立てる。それは抗い難い事実のように感じられた。
しかし、彼はちっとも人の上に立っているようには見えなかった。誰かを支配しているようでも、暴力で何かを手に入れているようにも見えなかった。
中谷勇次は、むしろその暴力性ゆえに、多くのものを失っているようだった。
少なくとも高校生としての初日に在校生と派手に喧嘩をして、自動販売機を壊すなんて狂っている。理性の欠片も感じられない。
逆に言えば、僕が暴力を使って手に入れた気になっていたのは、理性的だったからなのかも知れない。僕は優等生的に暴力を活用していた。
理性が真っ赤に点滅するように警告する。
中谷勇次に関わるな。
しかし、仲間がやられたんだから。
まことに分かり易い理由から友人たちが、中谷勇次に復讐しようとしはじめる。僕はその輪の中にいながら、いまいち乗れなった。何人の友人を集めようと中谷勇次に勝てるイメージが持てなかったし、彼の前に立つことに少し恐怖を覚えてもいた。
「それよりさ、無気力くん苛めよーぜ」
僕の提案に友人たちが白けた表情を浮かべた。
「お前が言うから付き合ってたけどよ。弱いもの苛めして、何が楽しーんだよ?」
じゃあ、強い奴にバカみたいに挑み続けりゃあ楽しいのかよ?
相手に絶対、敵わないって分かってんのに?
六月が過ぎた頃から友人たちは中谷勇次に喧嘩を売るようになった。その全てが当然のように返り討ちとなって、終わった。
僕は一人、無気力くんを苛めた。
「結局、お前も弱いくせに、強者ぶってただけじゃないか」
無気力くんが言った。僕は何も言えず、ただ無気力くんを殴った。
「お前にはボクみたいな奴が必要だったんだよ。分かり易く、弱くて服従させられる相手が。単なるパフォーマンスだ」
どれだけ殴っても、無気力くんは口を閉じなかった。
もしかすると、無気力くんはそんなことを言っていないのかも知れない。彼はどもらず二十文字以上の言葉は喋れないはずだから。
僕は無気力くんを通して聞いた声を否定できない。
結局、僕は自分より弱いものを支配して、悦に浸っていた愚か者でしかない。それこそ、無気力くんがスーパーで母親に横柄な態度を取っていたことと変わらない。
無気力くんと僕は違う。
それを証明する方法は一つしかなかった。
圧倒的な暴力を持つ男、中谷勇次に挑むこと。
友人が勇次を襲い返り討ちにあった現場に、僕は立った。
「こんにちは」
無傷で一人立つ中谷勇次は、目を細めた。
「お前、誰だよ?」
「誰でもいいだろ? 何様でもない、誰かだよ」
「は?」
何を喋っても無意味だ。
どうせ僕は地面に沈められる。暴力のフィールドで、中谷勇次に勝てる気がしない。
僕は彼に殴られる為に、ここに立っている。
無気力くんと同類ではないと証明するために、僕はここにいる。
「ちょっと、疑問に思ったんだけどさ。中谷って、生きてて虚しくなんねぇの?」
「あ? なに言ってんだ?」
僕は手を広げて、大袈裟に周囲を見渡す。地面に倒れた友人連中は、うめき声をあげて苦しみ、身体を起こすこともできない。
こんな光景、不良漫画かやくざ映画くらいでしか見たことはない。
「だって、そうだろ? 喧嘩っつーのは、同等の力を持った関係性でしか成立しない。けど、お前が持っている暴力は圧倒的すぎる。何か? 俺TUEEEとか目指してんの?」
「おれ、つええ? 知らねぇよ。お前等が勝手に喧嘩売ってくんだろうが。オレは一度も、自分から喧嘩売った覚えはねぇぞ」
「はっ。中谷、カッコイイな。まるで、ヒーローだ」
「あ?」
「暴力を振るう理由は常に外側、世界にあって、お前はただ自己防衛っつー理由だけで拳を握っている。あとは時々女の子を守る為に暴力を振るえば、完璧じゃねーか」
俺を誰だと思ってんだ?
父の台詞が浮かんだ。結局、僕は父が誰かを想定して、その台詞を口にしていたのか分からない。
ただ、お前は何様なんだ? という問い。
それには答えられる。
僕はヒーローのつもりだった。
間違っているものを正せる。
正しさを貫ける、何様になりたかった。
なのに、僕は今、ヒーローに殴られる悪役として、ここに立っている。
中谷勇次が静かに近づいてきた。
「よく分かんねぇが、オレはお前を殴るよ。理由はないけど、ムカつくから――」
自然と笑ってしまった。
了
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