Code:XV ノイズの消えた空
破砕音。
耳を劈いたその音によってか、キリアの視界が白色に包まれる。痛覚すら刺激されたそれに、アリスへと進めていた歩みも止まる。なお出血を続ける体は貧血気味になっているのか、脳の働きは通常よりも緩慢になり、戻ったはずの視界は薄っすらと滲んだように暈け、足の踏ん張りも弱まっているのがわかる。それがキリアの苛立ちを更に募らせる。
キリアの保有する『
「ぐ……ォ……」
キリアの肉体が若干収縮する。隆起した筋肉が徐々に人並みに戻り、筋圧によって抑えられていた出血がその圧が無くなったことによって、間欠泉の様に噴き出る。びたびたと混凝土の床に紅色の歪なアートを描き出していた。それに伴う体温の低下で肉体の動作が鈍くなるのに、キリアは歯を軋ませる。
「クソが……ッ! これは……!!」
キリアの視線が上階に向けられる。そこにあるべき雷電を纏ったコアがある。ある、はずだった。そこには、琥珀色の球体が浮いているはずだった。それが、ここを守る不可視の防壁だった、あの憎き女達と男を完封するための障壁だった。
――――破壊されていた。完膚なきまでに、まるで鶴嘴で採掘された鉱石の様に。悲しくも床に落ちた硝子細工の様に。破片が元の大きさと比較してあまりにも細かすぎるそのままに、遅れて起こる衝撃波。それは凡そただの武装で発生するものではない。キリアの勘が、あまりにも認めたくない現実をしかし導き出した。
「アアアアナイアレエエエエタァアァアアアアア!!!!!!!!!!!!!!」
力を求めた自分を容易く退け、苦汁に浸してきた女。汚らしい
その光景に、アリスが目を見開く。眼前の男の、絶叫にも似た雄叫びが、無残にも歪み折られた脚や完治しきれていない肋骨に響く。だが、少女にとってその痛みも、それによってもたらされる苦痛も、生命の危機も、一切の問題にはならなくなった。
「
叫ぶ。その必要が無いことをわかっていても、叫ぶ。
『起爆者、そのままじっとしていなさい』
そう言った李雨の声に交じり、何か破裂音――――ではなく、発砲音が混じる。そのすぐ後にアリスの目に映ったのは、先程黒重槍の射出の際に同時に張り巡らした極細の糸、特殊素材でできている
「ッ!?」
それを視認したキリアは即座に背後へ退かんと体を弛ませ、その閃光の被弾を免れようと動き出す。が、多量の出血と身体損壊、深層能力の出力低下による身体能力の不全により、力無く膝を折りその場に屈するような形となった。
「クッソがあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!!!」
またも叫ぶキリアに、それでも無慈悲に閃光は男の体を貫いた。正確には、貫いたのではなく、溶けるように男の体に消えた。
「……え?」
アリスが気の抜けた声を発する。眼前の大男を完全に捉えたと思った李雨の放ったと思しき閃光の弾丸は、予想に反して全くのダメージを負わせている様には見えなかった。
と、不可思議に思いながら壁に凭れかかり見ていたアリスの前に立っていたキリアが、突然床に無防備なまま倒れ込んだ。一切防御をする事も無く、顔面から床に打ち付けられ、硬い骨の音が響く。
「な……ッんだ!?」
「不思議でしょう? 哀れな姿ね」
「……処刑人ッ!」
「久しぶりね、キリア。貴方達、随分可笑しなことになってるのね」
いつの間に来ていたのか、李雨はキリアが破壊した上階の床にできた穴からこちらを見下ろしていた。不敵なままの笑顔を崩すことなく、アリスとキリアの居る部屋に降りてくる。とん、と着地音が小さく響き、まるでランウェイを歩くモデルの様にアリスの下へ近づく李雨は、懐から戦略式簡易注射器を取り出す。
「随分手酷くやられたのね、起爆者」
「う……遅くなってごめんなさい」
「いいのよ、貴女が生きててよかったわ」
李雨はそう言い、アリスの折れ
「いっ――――――――!!」
唐突の痛みにアリスが声にならない叫びをあげる。体を僅かに痙攣させ、李雨の服の裾を引き千切らんばかりに握る。
「我慢なさい、死ぬよりはマシよ」
「でもぉ……痛いものは痛いぃ……」
「全く……」
涙を溢し歯を食いしばるアリスの髪を、李雨は優しく撫でる。痛みが無くなるわけではないが、何もしないよりはマシだろうという判断はあながち間違いではなかったようで、様子こそ大きくは変わらないが、目を強く瞑り、アリスは静かに耐える。その姿に健気さを感じた李雨は小さく微笑むと、創傷被覆帯と瓦礫の中にあった直線状の鉄パイプで添え木の代替品を作り、足を固定する。
「暫くそのままにしなさい、治癒促進効果のあるUA-275を摂取させたから、暫くすれば一応の修復は終わるわ」
「うん……」
「さて」
アリスが頷いたのを見た李雨は、ゆっくりと立ち上がり後ろを振り向く。そこには、まるで生後間もない赤ん坊の様に不格好な姿勢で床に倒れ伏しているキリアの姿があった。
「テメェ……まさかこれは……」
「あら、流石に気付いたかしら。流石は化学者を名乗ってるだけあるわね、観察眼が良いと言えばいいのかしら」
「……身体動作の何かを弄りやがったな?」
「そうね、さっき貴方に撃ち込んだ物は身体動作の際の神経伝達情報とそれが届くべき場所が繋がっている道をあべこべにする情報を持った非実体の電導弾よ。その証拠に、動かしたいように体が動かないでしょう?」
キリアの顔は李雨の方に向かず、倒れたそのままに床を舐めるように伏せられている。代わりに右手薬指が曲がる。
「残念でもないけれど、貴方はもうその傷なら永くないわね。嘲弄に塗れて死ぬのがお似合いよ」
「…………ッッ!!!」
歯ぎしりの音と、少し遅れて何かが割れ砕けた音がした。キリアの姿から背を向けアリスを担ぎ出そうとした李雨の耳に届いたそれに、何故か背筋が凍てつく。言い知れぬその感覚に心を震わせながらそちらに視線を向けると――――。
「……ッハ! 少しアルゴリズムを理解すれば……ッ、大したこたァねえな……!」
「…………ッ」
立っていた。男が立っていた。決してその体を自由に動かせないと思い、事実撃ち込んだ情報の弾丸は不足なく機能していた。
なのに、立っている。自立し、収縮していた肉体は僅かだが膨張している。その手にはUA-275が入っていたのであろう空の注射器が握られていた。
「腐ってもインテリナめんな……全身の伝達異常状態を確認して理解すれば、こんなもんどうとでも……ッなる」
不味い、と。李雨は内心焦りの色を見せる。現状キリアのあの異常な筋肥大からして単純な肉体強化なのだろうが、それに対応できる術を李雨は持っていない。あくまでこの義手は重い銃火器を扱うためのパワーアシストのあるものであり、義眼は精密射撃を行うためのものだ。間違っても人間を逸脱した存在と格闘戦をするためのものではない。
「……アリス、動いちゃだめよ」
「…………うん」
自身の体をアリスとキリアの直線状に置き、サバイバルナイフを静かに抜き構える。李雨はアリスの戦闘能力を把握している。サポータによる機能があればあの小柄な体躯からは想像もできない圧倒的な力を得る事も知っている。故にこそ、そのアリスがここまで傷を負ったことは、李雨一人での対処が凡そ不可能に近いことの証明でもある。技能的な問題ではない。単純な力、筋力、その差は技によるアドバンテージを埋めることができる。そして、目の前の男はそれを可能にできるだけの力がある。李雨はそう理解した。
(せめて、蓬がここに到着できるまでは……)
手の中で一度、弄ぶようにナイフを回転させる。動きに淀みは無く、一切の油断も持ち合わせていない。確かに、今の自分は万全だ。
であるならば、時間稼ぎこそ今の最優先事項。アリスへの攻撃を防ぎ、自身への殺意をいなし、耐える。今必要なのはそれだと、李雨は自分の心に言い聞かせ、小さく呼吸を一つ済ませる。その間に、目の前の男は損傷し千切れかけていた右腕と左脇腹の吹き飛んだ箇所を急速に再生させていた。恐らくあれは中身の伴わない肉壁のみの修復だろうが、出血や体の重心の違和感を無くすための措置であることは予想できた。ならば、今こそ凌ぐチャンス。手負いの間に、その修復を阻害するために――――。
「少しでも時間を稼ぐために、先手を打とうとしたな。残念だが計画は破綻した」
李雨の眼が見開かれる。油断をしたつもりはなかった、自分が認知した状況から限りなく正確な判断を下したと考えていた。だが、その推測を超える相手のポテンシャルを測り違えただけだった。
眼前に圧が迫る。李雨の顔よりやや小さいくらいの大きさの拳が、寸分の躊躇も無く迫りくる。視認はできた。しかし認識と動作にはどうしても時間的な空白が発生する。例えこの拳が迫ってきている事がわかっていても、肉体は脳からの伝達情報にある動作の指示を受け切れていない。硬直したままの体に、避けるための動作に移る時間は無かった。
(しまった……ッ!)
目を瞑る暇も無く、拳は李雨の顔面を捉え――――。
「テメェ…………!!」
「不機嫌そうで何よりよ、キリア」
「殲滅者ァ……!!」
「残念だけれど、二人にこれ以上手を出されるわけにはいかないの」
李雨に迫る拳は、しかしか細い手によっていとも容易く止められた。一見すれば瞬く間に押し切られ弾かれそうな掌は、僅かな力も込められていない様に優しい手つきで固く握られた拳に触れている。男の腕が、その接触面の状態に反して小刻みに震えているのは、決して気のせいではなかった。
「殲滅者……貴女、どうやってこんなに速くここに……?」
「貴女達の事が心配で、空間跳躍したの」
蓬にしては随分と珍しい、冗句と共に無表情のままのウインクを向けられ、李雨は一瞬面食らってしまった。そして少しの間の後に、思わず吹き出してしまう。
「ふっ……貴女、そんな冗句を言う感じだった?」
「茶目っ気、ていうらしいわね。この間リリーから教えられたの」
何の気なしにそう言いながら、蓬はくいと掌でキリアの拳を押し返す。重心のバランスが崩れたキリアは体勢を崩し、それを確認した蓬は右の拳を握り振りかぶる。
「お返しよ」
振り抜き、響く轟音。人体から凡そ発生してはいけない音が蓬の前方から轟き、キリアの体は後方斜め下へと床を破砕しながら進んでいく。
単純な殴打。しかし、アンドロイドによる膂力と人間離れした体幹と体重から放たれたそれは、彼女からすれば脆弱な大男の体を壁や床を突き破らせながら地下まで殴り飛ばす事は造作も無いことだった。作り出された穴の奥、恐らくはEMPの妨害が無くなったことにより確認できるようになったアリスの作ったマップにあった、地下の謎の空間へと繋がったそこに、蓬は躊躇無く飛び降りていく。
風を切る様に高速で落下していく体に纏った浮遊感は、やがてある地点で着地したことにより霧散した。重量のある体故に着地点となった硬質重厚な金属の床は陥没し歪んでしまったが、今はどうでもいい。暗闇に包まれたそこに殴り弾いたキリアの姿は無く、巨大なパイプが幾重にも重なりあいながらぼんやりと発光する巨大な硝子の筒があるだけだった。普段は演算領域の負荷の関係で用いない暗視機能を起動すると、一瞬の白みからゆっくりと暗黒の中を見ることができた。やはり、キリアと思しき姿は消えていた。床に残る血痕と、僅かな氷の後の様なものだけが、唯一確認できたものだった。
「逃げられた……かしら。恐らくジリアが回収した、感じね」
小さく嘆息し、その部屋、ひいてはフロアの入口と思しき場所まで近づき照明を点ける。暗視モードを解除し、蓬が視界に捉えたものは、
「――――――――――――――」
認めがたい、己と片割れが消し去ったはずの、その名残だった。
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