Code:XIV ノイズキャンセリング

 カチリと音がした。

 程々の広さのある部屋の中で、金髪の少女――――アリスは、部屋内部に細工を施しつつ視界の端に映るコアに意識を向けていた。

 EMP発生装置、直径凡そ30~40㎝程の球体は、生身の人間の感覚器官にさえ異常をきたしていると錯覚させるほど強力な電磁波を放っている。耳に装着されたコントラクトが電磁波を緩衝するフィルターになり三半規管の揺らぎなどを防いでこそいるが、それでもアリスの平衡感覚には若干の違和感を覚えさせていた。

 込み上げる薄ら寒い吐き気を飲み込み、アリスは最後の細工を施す。長かった、自分が思う以上に単独での任務の不慣れを痛感した。

(今は集中しないと)

 壁際の床に黒い物体を設置する。ある意味バレバレのトラップなのだが、それは想定している、もっと言えば『それこそが目的』なのだから。トラップを隠すのは常識、ならばその隠匿をより堅牢にするためには?答えは不自然ではない露見。一見隠している様で、しかし露見こそが本来の目的になるのがこの部屋の隅に設置した爆発物。

 ――――まぁ、それもまた意味のある現実なのだが。

「オルァ!!!」

 突如、背後にあった隔壁扉が激しい音と共に破壊された。奥から覗く足からして、脆弱性のあった扉を蹴破ったのだろう。そして今それをする人間を、アリスはすぐに一人思い浮かべた。

「……扉は破壊して入るって教育でもされたの?」

「壊れかけの扉なんざあっても邪魔だろうが」

 床に倒れた厚い扉を踏み抜いたキリア。その足元には硬度厚みを無視して紙細工の様に歪められた扉だったものが悲鳴を上げている。アリスの頬に再び汗が伝い落ちる。

 ――――できるのだろうか?

 その不安だけがアリスの心を支配していた。無論万全の準備はした。今持てる装備で最善を尽くした。だが、道理諸共崩しかねないのがこの目の前に立つ大男だ。会敵してから一日も経っていないが、しかし長きに渡り戦いの世界に身を置き続けた少女の本能が叫び続けてやまないのだ。この男にセオリーは無意味だ、と。ならばどうするか。

「ちょろちょろ逃げ回ってイラつかせたことについて責めはしねぇ。出し抜かれた現実とそこに思考が至らなかった俺の落ち度だからなァ」

「勝手にイラついて勝手に納得しないで」

「ハッハァ!そりゃそうだろうなァ」

 手に顔を当て豪快に笑うキリアに、アリスはしかし一切表情を崩す事は出来なかった。左腕のサポーターは既に励起させ、何時でも戦闘に移行することができる。しかし、それでようやくキリアの速度に辛うじて対応できる程度。刹那の弛緩が死を招く以上、雑念なぞ抱く事は無理だ。

「さて、話しは終いだ」

 一頻り笑った男の表情から笑みが消えた。その眼に宿るのは殺意のみであり、次いで喜悦が滲み出る。

「――――殺す」

 右腕を無意識に前方に突き出した、無論全力で。そしてその腕の先、固く握った拳は自身の全体重を乗せながらも、大男の拳と拮抗するに留まっていた。震える足を奮い立たせ、怯える心をお道化させる。李雨に言われたから、常に笑い余裕を持つ事こそ、自分を生き永らえさせることができるから、と。

「……いい顔になったじゃあねェか、なァ!!起爆者デトネーターァ!!!」

「――――そう、起爆者。良い名前だよね。ピッタリ、付けてもらって感謝してるもん」

 奮い立たせた足に震えは消えていた、お道化た顔に怯えは消えていた。そして、その顔は次第に、年相応の少女が浮かべる、無垢で恐ろしい笑顔だった。

「だって私は起爆者。爆発者ブラスターじゃないもん」

 キリアの顔から笑みが消えた。そしてアリスの顔から笑みが零れた。

「『起爆するものが爆発物』だから起爆者ってみんな思ってるけど、違うよ。だって爆発させる者じゃなくて、起爆する者だから」

 キリアが飛び退る。本能的な逃避だった。だが遅かった。

「火薬を使ってるのなら、その全ては起爆者わたしのものだもん!!!!」

 突き出したままの右腕とは逆、左手に握られていたスイッチの様なもの。それが何を意味するのか。

 カッカッ――――と、軽く乾いた音がした。キリアが認識したのは、その音と、辛うじて視認できた『鋼鉄の槍』だった。冷たい切っ先を持ったそれは、凄まじい射出速度で壁の隅にあった黒い物体、『方形型火薬射出黒重槍ほうけいがたかやくしゃしゅつこくじゅうそう』。それがキリアの肥大した筋肉を纏った肉対を貫かんと牙を剥き接近する。

「舐めんなよ、クソガキがァ!!」

 しかし、キリアはその巨大な肉体を器用に捻じり、屈み、動かし、避けきる。槍が壁に刺さる音が部屋の中に響いた。硬質な鉄にしかし深く刺さった槍とその罅の入った状態の壁は、射出に用いられる火薬の強力さと破壊力を物語っている。

「……ッ、やってくれたなァおい?」

「……ッ」

「そのサイズでその威力、ただの量産品コピーメイドじゃあねェな?改造――――いいや、手造品オーダーメイドか」

「……化学者名乗っただけあって、目はいいんだね」

「ッたりめェだろうがよォ!これでもインテリ系なんだぜ?」

「筋肉達磨のインテリとか気持ち悪……」

 心底嫌そうに顔を拒否感に染めるアリスに、キリアは高らかに笑った。

「ハッハァ!そりゃそうだ!!俺だって適性がなきゃ本職は軍人なり傭兵なりやってたかもしれねェしな!!その感情は間違っていねェ……そして――――」

 哂った。男は一切隠す事も無く、哂った。

「チェックメイトだ、嬢ちゃん」

 姿が消える。大男の巨躯が、アリスの視界から消えた。それは先程にも見せた、人体の限界を超えた速度での移動。そう、あくまでただの移動。速いだけ、しかしその速さが極まる時、まるで人知を超えた様な移動法に錯覚させることができる。

 それを可能にする肉体にまで任意に強化することができるのが、キリアが発現させた『深層能力スタイル』と呼ばれる超能力に類似した人間の秘められた力。

 人であり人に非ず。非人に非ずして非人を現す。UA-275を理解した狂人達が行き着いた先にあったのは、人には到達し得なかった筈の力の所在だった。

「――――惨めに死ね」

 音速を超え振り抜かれた蹴りは空気を局所的に、刹那的に断裂し、この世のものとは思えない奇怪な音を響かせた、響かせ、ひび、ひ――――。

「――――あァ?」

 音は鳴らず。空気は鳴かず。世界は静寂のままに進んでいく。少女の背後で足を上げた男は、しかしその足を振り抜かなかった。否、振り抜けなかった。

 浮かせたままに足を通してある感触。視認できていないが、確かにそこには『糸』があった。幾重にも重なった不可視の糸が、少女の背の前に張り巡らされていた。

「……気が付いたんだ、流石。でももう遅いよ」

「ッ!!」

 遅いと、少女は言った。その言葉に刹那逡巡し、そして気が付く。強化した皮膚表面の感覚器官が、僅かな熱を感じ取った。そして同時に理解した。

 間に合わない。

「アハッ!」

 少女が、アリスが笑った。

「わかりやすいトラップに気を取られた?それに託けて油断してるのを見て哂った?確実に殺せるって思った?」

 少女が振り向く。

「甘いよ、そんな甘い手段しか持ってない訳ないじゃん。殺す事しか能がないのに、あっさり覆されるものしかない訳ないじゃん。見誤ったのはそっち」

 振り向いたアリスの手には、先程とは別の起爆スイッチの様なものが握られていた。細く小さい指で挟まれたそれは、ゆっくりと伝導体の接触へと沈んでいった。

「弱いから、負けるんだ」

 まず聴こえたのは軽い音、次いで広がる炎熱と鋼鉄の渦、そして轟く爆発音。キリアの感覚器の全てが、それらによって塗り潰されていった。





「…………っけほ」

 黒煙が辺りを包んでいた。

 アリスは火薬と瓦礫によって巻き上げられた粉塵に思わず顔を顰め手で覆った。次第に風で流れていくその様子を確認し、周りに視線を巡らせた。

「……死んだ……訳はないよね。流石に」

 つい今しがた対峙していた男、キリアの姿を探す。アリス自身も実際に状況を確認し驚く程の爆発力と破壊力、だがそれでも油断できないのがあの大男だ。致命傷は負っているだろうが、それでも生きている可能性が高い。警戒は怠ることな――――。

「――――ッ!?」

 突如感じる足首への感触、それは手だった。武骨で太い指のあるそれが、混凝土の床を突き破ってアリスの足首を掴み、そして引きずり込んだ。正確には引きずり落とした、のだが。

「――――ッうぁ!!!」

「やって……くれたなァ、起爆者ァ……ッ!!」

 階下の部屋に引きずり落とされたアリスの前に立っていたのは、全身が血液に塗れ、右腕と左わき腹の肉が大きくはじけ飛んだ状態で立っているキリアの姿だった。明らかに致命傷であるその姿だが、それでもキリアは確かにそこに立ち、アリスの足を掴んだまま立っていた。

「離せ……っ!!」

 体を激しく動かし、キリアの手から逃れようとするアリス。だが、絶対的な筋力差によってその足掻きは悲しくも一切効果は無く、ただ暴れるのみに終わった。

「体フッ飛ばしてくれた礼だ」

 キリアが右手に持つアリスの足を持ち上げ、左手を反対の側面に添える。それが何をしようとしている行動なのか、アリスは直感で理解した。

「……待って、何する気」

「こうするんだよ」

「ま――――」

 キリアの手に力が入り、てこの原理の要領でアリスの足、厳密には脛とふくらはぎが歪む。その痛みに顔を歪めた次の瞬間、重く歪な音が響いた。

「がッ――――アアアアアアアアアアアァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!」

 絶叫。少女の可憐な声が出されるはずの声帯からは、濁った苦悶と悲痛の声が世界を揺らした。キリアの握っていた少女の華奢なようで肉付きのいい足が、アルファベットのZを彷彿とさせる形状に力づくで歪められていた。

「うっせェな」

 その足を持ったまま腕を振るい、アリスの体を部屋の壁に投げ叩き付けた。小さくうめく声が消えていくのを気にせず、キリアは血みどろの体をふらつかせる。

「クソが……どんだけ法外な火薬仕込んでやがる……ッ!舐めた真似してくれたもんだなァ!!アァ!?起爆者ァ!!」

 抉れた箇所からぶら下がる自身の肉塊をその指で千切り、床に捨てる。湿った音が微かに鳴り、赤いそれはただ床を汚すだけで終わった。

「アァ屈辱だ、つまらねぇ小手先にやられたもんだ、屈辱以外の何物でもねェ。はらわたが煮えくり返る」

 揺れる体を前に進める。うずくまり、涙と嗚咽を漏らす少女に、一歩、また一歩と。





「よく頑張ったわ、起爆者。そして少し待っていて頂戴」

 爆発によってコアが露出した。スコープ越しに見えていた建物の、その最上階。突起の様にあったその場所が激しい爆発で壁ごと消え去り、帯電し宙に浮く球体を、蓬は遂に視認した。

 ボルトハンドルは既に引かれ、戻されていた。特殊弾である固定砲用対防護隔壁装弾筒付翼安定徹甲弾、正式名称『FAB2-APFSDS弾(Fixedgun Anti-Barrier Bulkhead Armor-Piercing Fin-Stabilized Discarding Sabot)』が装填された巨大な銃を今一度構え直し引き金に指をかけた。

 安全装置セーフティは存在しない。それを扱うことができるのも、引き金を引くことができるのも、あらゆる動作を完全に御しきることができる蓬と艾のみであるが故に、安全装置は初めから作られなかった。誤射は絶対に起こらないという信頼があるために。

「対象の視認を確証事項と定義、想定される通過環境の測定完了、データを基に速度減衰と起動変化の計算――――終了。仰角と方角の調整に必要、無し。全行程クリア。超々長距離狙撃用演算シークエンス、全行程起動完了」

 蓬の口から発されたそれらの言葉は、普段の彼女とは違う、一切の人間的情緒の消えた機械的な羅列だった。伏せられた状態のまま重心は一切ぶれることなく、また銃身は真っ直ぐに目標物が破壊できるように調節されていた。

 引き金にかかる指がゆっくりと、その流線に沿うように力が籠められる。

 ――――そして、物体の破壊すら成し得そうな轟音と、後方十数㎞まであった雲の一切が消え去ったそらだけが刹那辺りを包み込んだ。

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